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姫と龍神 秘密

 次の朝目を覚ました景華を待ち受けていたのは、山のような衣類だった。

「あんた、裁縫はできるか?」

 柳鏡が衣類の山を顎で指しながら景華に訊ねたので、景華は寝台から下りてその中の一つを手に取った。裾の部分が少しほつれている。他にも、飾りボタンがとれてしまった物や、布同士の継ぎ目が破れてしまった物もあった。ざっと見まわしてから、なんとか自分の手に負えるだろうと思って、コクリと彼に頷いてみせる。

「じゃあ、それが今日からのあんたの仕事だ。ここでは六歳の子供から七十歳の老人まで皆働いているんだ、あんたも食べて行くためには仕事をしなくちゃならない。昨日の一件でわかったと思うが、俺はあてにならないぞ。もちろん、父上もな。ここにいる以上、あまり兄さんや奥方様ともめ事を起こしたくない」

 景華は素直に頷いたが、自分の隣に腰を下ろした柳鏡の手を取った。

「どうして、か……。そうだな、あんたもここで暮らすんだから、知っておいた方がいいかもしれないな」

 柳鏡の目が遥かを見通すような、遠い目になった。何か言いにくいことのようだ。それでも、景華は聞こうと思った。そして、その答えを受け止めようとも……。

「俺は、昨日会った奥方様の子じゃないんだ。つまり、兄たちや姉さんとは腹違いってことだな。俺は父上と亀水族の母の間に生まれた子だったんだ……」

 目をぱちくりとさせている景華に、柳鏡は横向きのまま視線をあてた。

「つまり、愛人の子だよ。そのせいでガキの頃から色々とひどい目にも遭わされた。まぁ、あの奥方様は自分の子である姉さんにも平気でひどい仕打ちができるような人だったからな、あまり気にはならなかった」

 再び、彼の目が遠くを見た。

「俺は母さんとこの家に住んでいたんだが、母さんが死んだ時、追い出されることになった。まぁ、五年前のことだな。そこに、陛下があんたの護衛の話を持って来たんだ」

 そうだ、柳鏡が自分専属の護衛として雇われたのは、丁度その頃だった。自分の事のはずなのに他人事のように淡々とした語り口で話す柳鏡に、景華はなんと言葉を掛けていいかわからなかった。

「それに、俺がこの村であまりよく思われていない理由はこれだ」

 柳鏡はそう言うと、彼の着物の左手の部分を肩まで捲り上げた。そこにあったのは、くっきりとした青い痣。一目で龍の形とわかるそれを見て、景華はすぐさま柳鏡に訊ねた。

「これが……龍神の、呪い?……ああ、そうか。あんたにはあの時そうやって説明したんだったな。まあ、呪いじゃなくて龍神の紋章と呼ばれるらしいが……」

 一度そこで言葉を区切って、柳鏡は溜息をついた。この痣の意味まで、説明するべきだろうか……。だがこんな説明だけで誤魔化しても、いつかは里の人々からこの痣を持つ意味も、封印を解放してしまうことの危険性も彼女の耳に入れられるだろう。その時に自分がそれを隠していたことを知れば、彼女は今自分の口から真実を聞くよりも深く傷つくはずだ。そう思った柳鏡は、あまり気は進まないが言葉を続けた。

「清龍の里には、ごく稀にこの痣を持って生まれる奴がいるらしい。これがある奴は天性の武芸の才能を持つとかで、半端なく強くなると言われている。ようは、村の連中は俺に暴れられたら抑えられないから怖いんだろうな」

 再び、彼は言葉を区切って息をついた。その様子から、話にくいことだということが感じられる……。

「この痣に掛けられた封印を解放して龍神の試練を乗り越えれば、そいつ自身が龍神となって永遠の命と巨万の富を手に入れることができると言われている。まあ、大抵の奴が試練とやらで命を落とすらしいけどな」

 彼女が気にかけずに済むように、軽い調子と言うものを意識して話したつもりだった。だが、それでも難しい顔で考え事をしている様子を見て、柳鏡は少し後悔した。自分が冷遇されている理由は話しておくべきだとは思ったが、やはりショックが大きかったようだ。ましてや、龍神の紋章の真実は、なおさら……。

「まあ、あんたが心配することじゃねえよ。幸い、近隣の村から虎やあやかしの退治依頼がたくさん来ているらしいからな、それを片っ端から片付ければ食いっぱぐれることもないだろ」

 柳鏡は柳鏡だよ。

 景華がとっさに書いたのは、その一言だった。おそらく、自分の言いたいことは半分も彼に伝わらないだろう。それでも、思いつく言葉はそれだけだったのだ。生まれなんて関係ない、ましてや、生まれ持ってしまった運命など。それが、彼女のその言葉に込められた想いだ。

「わかってるよ、あんたに言われなくたって、そんなこと……」

 ふと柳鏡は、小さい頃のことを思い出した。彼が父に連れられて城を訪れ、初めて景華に会った日のことだ。

 なんでも、年が近いので遊び相手になって欲しい、とのことだった。一体どんな子なんだろう。そんな期待に胸を膨らませて城を訪ねたことを、よく覚えている。


 父親の陰から少しだけ顔を出してこちらを覗いている姿は、今でも彼の中に鮮明に焼き付けられている。彼女と初めて出会った時、その真紅の瞳に、彼は魅入られた。鼓動が高鳴るのは、果たして初対面の緊張のせいだけだろうか。

「はじめまして」

 柳鏡は、父に教えられたようにそう挨拶をした。景華は父親の陰からとことこ、と出て来て、じっと彼の目を見つめた。あまりにも真っ直ぐ自分を見つめる瞳に、彼は少々臆してしまった。

「おんなじ!」

 景華はそう言って嬉しそうにニコニコした。

「あなたのめ、わたしのかみとおんなじ!」

 どうやら、彼の瞳の色と彼女の髪の色が同じだということが言いたかったらしい。

「わたし、きょうか! おなまえは?」

 自分より二つ年下の少女は、すっかり自分のことが気に入ってしまったようだ。柳鏡は、初めて自分に向けられた無垢な好意というものに恐れを感じた。家では彼の出自のことで疎まれていたし、村人は彼が背負っている運命のせいで彼を恐れて、近付きもしなかった。

「りゅう……きょう……」

 自分の名前を言うことすら、緊張のせいでおぼつかなかった。

「きれいななまえ!」

 そう言って向けられた笑顔を、彼は今でも忘れられずにいる。


 その時、彼は初めて自分が自分という人間であって良かった、と思えたのだ。そしてその後も、彼女の眩しい笑顔が向けられる度に何度もそれを実感した。

「いや、もしかしたらあんたのおかげで、自分は自分だと思えるようになったのかもしれないな……」

 珍しく自分に対して素直な態度を取った柳鏡を訝りながらも、景華は彼が衣類と一緒に運んで来たと思われる裁縫道具の箱に手をかけた。

「ちょっと柳鏡! どういうことっ?」

 そこに朝一で朝食を運んで来てくれた明鈴が現われて、発した第一声がそれだった。

「何がですか?朝から騒ぎ過ぎですよ……」

 柳鏡はわざとらしく欠伸をしてみせた。明鈴の形の良い眉が、ピクリと動く。

「景華になんてことさせてるの! 一体どういうつもり?」

「外で話しましょう、姉さん」

 柳鏡は景華の方にチラと視線を走らせてから、明鈴を連れて外に出た。

「あんたわかってるの? 景華はお姫様なんだよ? 仕事なんて……」

 明鈴は小声でそうまくしたてた。

「わかってますよ。でも、仕事はさせた方がいいんです。確かに俺が守って養うのは簡単です。それに、一番効率が良いに違いない。しかし、それじゃあ姫はいつまでたっても人に頼ってばかりで成長できないんです。それに、忙しく手を動かしていた方が余計なことを考えずに済むでしょう。事実と向き合うには、まだ日も浅く傷も深すぎる……」

「そこまで考えてたんだ……」

 それは、明鈴の純粋な感想だった。きっと、一晩寝ないで考えに考え抜いた結果なのだろう。悪夢に怯えて震える彼女をその腕で守りながら、彼は今後のことについて考えていたのだ。

「そうだ、姉さんにお願いがあります。姫に料理を教えてやって下さい。彼女には、少しでも多くのことを学んで欲しいんです。あと、着物も何着か手配して下さい。あの衣装では動きにくいと思うので……」

「わかったけど……」

 明鈴は、そこで意地悪くニヤッとした。

「本当は、景華の手料理が食べたいだけなんじゃないの?」

 ボンッ!柳鏡の顔が、一度に赤くなった。その様子は、普段の彼からは想像もつかない。

「なっ、何を言うんですか、姉さんっ!」

 明鈴は、普段あまり表情を変えない弟がしどろもどろするのが面白くて、もう少し意地悪をしたくなってしまった。

「あっそう、ふうん、やっぱりね。昔から柳鏡は景華にゾッコンだったもんねぇ。いつも城から帰ってきたら景華のことばっかり話してたし」

「そ、そんな子供の時のことを今更……!」

 柳鏡の目が、景華がいる家の方向に一瞬向けられた。どうやら、彼女に聞かれていないことが確かめたかったらしい。かなり焦っているのが読み取れたので、明鈴はここが引き際だと察知した。

「まあ、頑張ってねぇ。じゃあ、邪魔な姉さんは退散するわー!」

 そう言って明鈴は踵を返すと、手を振りながら行ってしまった。

 柳鏡が、戻って来るなり乱暴に壁を叩いた。仕事に取り掛かっていた景華が、その轟音に驚いて顔を上げる。

「覚えてろよ……」

 柳鏡の静かで危険な怒りの原因は、景華には全く想像のつかないものだった。

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