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明鈴結婚秘話 其の三

「ちょっと、凌江!」

 背後からの呼びかけの声に、彼はひどく動揺した。まさか、彼女の方から自分を呼び止めてくれるなんてこと、あり得ない。期待に胸を膨らませて後ろを振り返ってから、愕然とする。

 彼の後ろから大股で廊下を歩いて来るのは、地獄の鬼……もとい、鬼のような形相の明鈴だった。命の危険を感じる程の凄まじい迫力に、彼は一瞬その場から逃げ出そうかどうか迷った。……が、その一瞬の迷いが命取りとなり、すでに彼女は彼の背後まで迫っていた。もはや、逃げられない……。

「どういうつもりよ、これっ?」

 そう言って彼女は、一通の封書を差し出す。差し出し人として書かれている自分の名前を見て、思い出す。そう言えば、彼女に手紙を送ったかもしれない。自分の、ありったけの想いを込めて……。

 しかし、その手紙がどうも彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。怒髪天を突く、どころか、突き破る勢いだ。

「いや、これは、その……」

「言い訳なんかしなくていいわよ!」

 怒った彼女は、もう一度封書を差し出す。それを受け取った凌江は、中から手紙・・を取り出した。それを見計らった明鈴が、一気にまくしたてる。

「訳のわからないことをするのはやめて! 何なのよ、一体? 他の手紙みたいに馬鹿みたいなお世辞がたくさん並べてあるならわかるけど、どうして何も書いてないのよっ? あんた、私を馬鹿にしてるのっ?」

 そう、彼が彼女に贈った封書の中身には、何も書かれていない紙が一枚、丁寧に折り畳まれて入れられていたのだ。

「ば、馬鹿にだなんて、とんでもない!」

 そうだ、彼女を馬鹿にするだなんて、それこそとんでもない話だ。彼は、彼女を尊敬こそすれ、馬鹿にするなんて気持ちは微塵も持ち合わせていなかった。

「じゃあ、どうしてこんな馬鹿みたいな手紙を送ったのよっ?」

「……」

 しばらくの沈黙。流れる風だけが、二人の頬を掠めて過ぎて行った。そして、凌江が口を開く。彼は、その沈黙の間に一世一代の大勝負に挑むことを決めた。

「馬鹿みたいだなんて、言わないで欲しい!」

 普段温厚な彼のあまりの気迫に動揺して、明鈴は硬直してしまった。肩を怒らせて、震わせている。どうやら、本当に彼女を馬鹿にするつもりはなかったらしい……。

 しばらくしてから肩をすぼめて、消え入りそうな声で彼は言った。

「……何も、書けなかったんだ……。書きたいことはたくさんあった。それこそ、明鈴さんには馬鹿みたいなお世辞としか思われないような言葉も、たくさん書きたかった。……言っておくけど、俺の場合はお世辞じゃない。真実そう思っているんだから、他の手紙を書いた人々と一緒にはしないでくれ」

 そこで一息ついてからチラと彼女に視線を走らせて、再びついと逸らす。明鈴がまだ訳がわからず硬直している様が、緑の目にはっきりと映った。

「……だけど、そんな言葉を書いても、明鈴さんは喜ばないだろうと思った。明鈴さんが飾らない人だから、綺麗に飾った言葉なんて、胸に響かないだろうと思った。でも、思いつくのはそんな言葉ばかりで、書けなかった。だからせめて、俺の存在に位気付いてもらおうと思って、手紙を出したんだ。中身は結局、書けなかったんだけど……」

「……」

 何て不器用な人なんだろう。明鈴の中で、彼の言葉が滴になって落ち、波紋が広がる……。それは決して不快感を得るようなものではなく、むしろ、とても優しくて心地良い。彼は何て、飾り気のない人なのだろうか……。そして。

 自分のことをこんなにも理解してくれる人がいるなんて、思いもしなかった。彼の中でどれだけ自分が大切にされていたのかを思うと、きゅっと、胸が苦しくなる。

 たまらなくなった明鈴は、くるりと彼に背を向けた。その小さな背中を、凌江が苦しげに見つめる。おそらく彼女には嫌われてしまっただろう、そう思うと、たまらなく胸が苦しい……。もっときちんとした手紙を出せばよかった。何日も悩んで、悩み抜いて、彼女があっと驚くような気の利いた台詞ばかりの手紙を……。

 さあっと、二人の間を風が吹き抜ける。沈黙と向けられた背中が辛くなった凌江が逃げ出そうとした、その時。

「……尻に敷かれても、知らないわよ」

 そう言ってから、彼女がふいに振り返る。その後に見せたのは、今まで誰にも見せたことのない、とびっきりの笑顔……。

 一瞬固まった凌江だったが、その後彼女の群青色の瞳を見つめ返して、笑った。

「それ、柳鏡にも言われたよ……」

 一世一代の気の利いた台詞だったな、と、彼は穏やかに笑った。

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