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龍神誕生秘話 其の七

 正直に言って、国王の気まぐれに彼は閉口していた。自分が亡くした前妻に似ている女性を見つけたから、と言って、周囲の反対を押し切って半ば強引に婚儀を進めてしまったのだから。亀水の一族は、先代の王妃も出している。珎王も亀水の血を引いているというのに、さらに亀水の血を王家に入れるということになれば、当然亀水族の部族間での力は非常に強固なものとなる。

「まったく、その位の配慮はあってしかるべきだと思うが……」

 一国の王が自分のわがままだけで婚儀を強引に推し進めるなど、本来あってはならない。ましてや、辰南のように多数の部族がお互いに力を拮抗させて形を保っている国家であるならば、なおさら……。

「困ったものだな……」

 そう言って彼が深く溜息をついた、その時。

「無礼者! 龍連瑛様の輿である! 頭が高い!」

「きゃあ!」

 輿の周りを警護していた兵士の一人がそう言って、彼の輿を前にしても腰を折らなかった女性を突き飛ばした。

「よせっ!」

 連瑛はあまりの仕打ちに輿を飛び出し、女性に駆け寄った。

「怪我はないか? 部下が大変失礼なことをした。本当にすまなかった。私に免じて、どうか許して欲しい」

 女性に向かって軽く頭を下げるが、上掛けを深く被ったまま、彼女が上を向いてくれる気配は一向にない。具合でも悪いのか、と思わず心配になってしまう。

「どうした? 大丈夫か?」

「は、はい……失礼いたします!」

「っ……!」

 彼女は立ち上がると、その場から逃げるかのように駆け出した。その後を連瑛は慌てて追いかけた。嘘だろう、まさか……。そんなことが、あるはずがない……。

 連瑛様! 長! と後ろから兵士たちの声が追いかけて来たが、そんなものに構ってはいられない。どうしても、気になることがあった。耳の奥に懐かしい、あの、声……。

「待ってくれ、頼む!」

 彼が必死に呼び止めても、彼女が足を止める気配は、全くない。それは、彼女が彼から逃走しているということの証だ。彼もさらに速度を上げる。今追いつかねば、今度こそ、永遠に逃してしまう……。

「待て、蓮華っ!」

 捕まえた。冷たい、細い腕……。深く被った上掛けが彼女の髪から落ちて、豊かに波打つ黒髪が現われる。そして、ゆっくりと振り返る。涙をいっぱいいっぱいに湛えた、深緑の大きな瞳……。

「れ、連瑛様……」

「蓮華!」

 彼女の名を呼んで、自分の腕できつく拘束する。柔らかな温かさと、確かな感触。髪に含んだ森の香りが、彼女が本当にそこにいるのだということを証明してくれる……。

「今までどこにいた? 私を頼ると言ったあの言葉は、嘘だったのか……?」

 夢の中では、彼が掻き抱けば消えてしまった、少女。しかし今彼女は、彼の腕の中で小さく震えている……。夢とは違う。やっと、触れられた……。

「連瑛様を頼らせていただこうかとも考えました。でも……」

 細い腕が、彼の胸を強く押し返す。俯いて震えている彼女の足元は、雨でもないのに土に小さなしみができる。

「連瑛様は、ご結婚されたと伺いました……。同じ清龍族の、とても綺麗でお優しい方なのでしょう?」

「……ああ……」

 彼には、彼女を傷付けているその事実を否定することもできない。自分は本当に結婚していて、子供もいる。妻も、自分には過ぎたよい妻だと思っている。蓮華は悲しげにニコリと微笑むと、顔を上げて続きを言った。

「そんなところに私が押し掛けて、連瑛様の幸福を壊すようなことはできなかったんです。会えば私は、連瑛様に自分だけを見て欲しい、自分だけを大切にして欲しいと思ってしまいますから……」

 そこまで話した蓮華の顔が、クシャッと苦痛に歪む。涙は溢れる一方で、もはや滴の形態ではなく川となって彼女の頬を次々に伝う。

「……でも。どうしても、会いたいと思ってしまいました……。一目でもいいからお目にかかりたい、どんなに遠くからでもいいから、もう一度だけ、と……」

「っ……!」

 何と言う一途な想いだろうか。彼女のその言葉だけが、何度も彼の頭の奥で響く……。ずっと、心の奥底で想い続けていた女性が自分に向けてくれた、ひたむきな想い。その事実だけで、彼の胸はいっぱいになてしまった。

「今、何と言った……?」

 そう、問い返すのが精一杯だった。蓮華の深緑の瞳が、あふれる涙の奥でゆらりと揺れる。彼女の動揺が、そのまま現われてしまっているのだ……。意を決したように顔を上げると、蓮華は連瑛の目をしっかりと見つめて笑った。

「もう一度連瑛様にお会いしたかった、と言いました……。……私の願いは、もう叶いました。だから……さようなら!」

「待て!」

 駆け出す彼女の手を、必死に捕まえる。連瑛はすでに、その手が今後の自分の一生になくてはならない物だということが、よくわかっていた。

「は、放して下さい! 連瑛様がお元気でいらっしゃったから、それでいいんです! お幸せなら、それで……!」

「ちっともよくない! 蓮華、お前は本当に大馬鹿者だな!」

 真剣な顔で、彼女に負けないようにそう言葉を返す。一瞬彼女がピタリとその動きを止めてから、顔をクシャクシャに歪めて反論した。

「し、失礼です! いくら連瑛様でもひど過ぎます! 大体、何を根拠にそんなことおっしゃるんですか?」

 ホウ、と一息ついてから、連瑛はまた真剣な顔で、今度は冷静に話し始めた。

「以前お前は言っていたな。里に出ないのは、母君がおかしな男に騙されるかもしれないから、と言ったからだと……」

「た、確かにそうお聞かせしましたよ! でも、それが何なんですか?」

 蓮華もいくらか落ち着いたようで、彼女らしい、どことなく目を吊り上げるかのような拗ねた表情でそう訊ねた。

「お前は本当に大馬鹿者だ……。あの山奥に住んでいたにも関わらず、悪い男に騙された……」

「連瑛様……?」

 彼の意味することがわからなくて、蓮華はまた瞳を不安定に揺らす。連瑛の群青色の瞳が、彼女の深い色の瞳を正面から捕らえた。その真剣な光に、彼女は硬直してしまう……。

「蓮華、前に私は言ったな? お前が悪い男に騙されたりしないように、きちんと見張っていると……」

「はい……」

 そんな言葉を時の彼方に聞いたような気がして、彼女は静かにその言葉に頷いた。

「それは予想以上に難しいことだったらしい……。現にお前はこうして、私に騙されてしまった。……なあ、蓮華」

 彼に騙された、なんて、彼女の記憶には全くない。それでも彼がそう言うのだから、彼の方には何か覚えがあるのだろう……。ゆるりと彼の口が開かれるのが目に入ったので、蓮華は続きを待って口を閉じた。

「今からでも、遅くはないと思うか? 今からでも、お前を守ってやることはできるか? 今からでも、初恋の人を手に入れることは、できると思うか……?」

 初恋の人……。彼女の耳に、その言葉だけが響いて、残る。彼は今、確かにそう言った。溢れる涙は再び勢いを増して、もはや止めることは不可能だと思われた。

「連瑛様なら、できると、思います……」

 自分が何を答えているのか、頭のどこかではわかっていた。それは何の罪もない人を不幸にしてしまう、最悪の返答……。それがわかっていても、自分の想いを押し止めることは、できなかった。彼の想いを切り捨てることは、できなかった。自分が今選んでしまったものは、それだけ大きな罪を背負うことを意味している……。

 頬を伝う涙に一筋、犯した罪悪の重さが溶け出した。

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