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姫と龍神 悪夢

「じゃあ、景華姫はこれから柳鏡の家で暮らすのね。それなら安心ね」

 小さな娘がほっと胸をなでおろす様子は、母親の目にはとても愛らしく映った。

「そうね、命の危険はなくなったわ。でもね、お城の外の暮らしを全く知らなかったお姫様にとっては、これからが大変なのよ」

 子供たちが何の合図もしなくても自分の声に聞き入っていることに多少の驚きを感じながらも、母親は続きを話し始めた。


 夥しい量の血が、辺り一面を埋め尽くしていた。真っ暗な闇の中にいるのに、その鮮烈な赤い色が景華の瞳を射る。

 (怖い)

 辛うじて彼女の頭が、その言葉を紡ぎ出した。恐怖にすくむ足を、逃げなければという意思の力のみで動かそうとする。……やっと動いた。だが、その動きのなんと緩慢なことだろう。

 何かが闇の中に潜んでいるのが、空気の流れでわかった。逃げようと懸命に足を動かす自分を、見えない所から嘲笑っている。

 ドサッ!焦りのせいで足がもつれてしまい、その場に転んでしまった。闇に潜む者が、静かにその身を起こす。ゆらり、と影が迫って来る。

 彼はどこに行ったのだろう。彼がいてくれれば、絶対に自分をこんな目に遭わせることはないはずだ。景華は、一縷の望みを託してその名を呼んだ。


「おい、大丈夫か?」

 月の光に浮かび上がったのは、彼女が呼んだ人物だった。いつになく気遣わしげな表情で、彼女の顔を覗き込んでいる。ふと自分の顔に触れてみてから、景華はその頬を伝う幾筋もの涙に気がついた。どうやら、眠りながら泣いていたらしい……。

 大丈夫。

 そう彼の手に記してから小さく溜息をこぼして、まだ溢れてくる滴を拭った。

「あのなぁ、大丈夫っていうのは、泣きながら言うような台詞じゃないだろ……」

 大きく溜息をつきながら、彼は床の敷物の上にその身を横たえた。急なことだったので寝台の手配ができず、彼はそこに横になって休んでいたのだ。

「無理にでも休めよ。あんただって疲れてるはずなんだから」

 そう言って自分の右手を枕にして、柳鏡はそっぽ向いた。景華は先程の夢を思い出すと、とてももう一度眠るような気分にはなれなかった。恐怖に支配されていた余韻が、まだ彼女の体に残っている。恐ろしさに震える体は、なかなか止まりそうにもない。

「ああ、もう!」

 なかなか横にならない景華の様子を見るに見かねて、柳鏡が再び起き上がった。

 バサリッ!乱暴に景華が座っている寝台の上掛けを捲ると、その隣に入って彼女を強制的に寝かせて、自分も横になった。元のように上掛けを掛け直した腕が、そのまま細い肩を引き寄せる。右頬が柳鏡の胸に押し当てられるような形になった景華は、赤くなってジタバタした。

「小さい頃だってやってただろ! 今更暴れるなよ!」

 その言葉に、彼女の体がピタリと止まる。

 景華の母親が病気で亡くなった時、柳鏡は趙雨や春蘭たちと一緒によく城に泊っていた。寂しがり屋の彼女が寂しがらないように、と、公務で忙しい珎王が、彼らの両親に頼んでいたのだ。景華は、時々夢にうなされて夜中に目を覚ましていた。周りで皆がすやすやと寝息を立てている中、自分だけが取り残されていると思うと、とてつもない孤独に苛まれた。

「何だよ、怖い夢でも見たのか?」

そんな時、彼は必ず起きていた。いや、眠っていても、景華が目を覚ますと必ず彼も目を覚ましたのだ。景華は必ず、涙に濡れた顔でその問いかけに頷いた。

「仕方ないなぁ」

 柳鏡はそう言うと起き上がり、景華の横に移動してギュッと彼女を抱き締めて横にならせた。

「ほら、これで怖くないだろ」

 ぶっきらぼうな物言いでも、昼間のように彼女をからかうようなものではなく、優しい言葉……。景華は、涙を拭って笑顔で頷くのだった。

 こんなことは、子供の頃には何度もあった。だが今更、まさか成人してからこんな風にして眠ることになるとは、景華も柳鏡も思っていなかった。

「ほら、これで怖くないだろ」

 昔と変わらない、少し乱暴で、それでいてとても優しい言葉……。景華は、あの頃と同じように笑顔で頷いた。

 目を閉じた彼女を、ほんの少し懐かしさを感じる匂いが包み込む。しばらくして、静かで規則正しい呼吸の音が柳鏡の耳に入った。何も知らなかった、大切な人たちの裏切りなどなかった時代の夢を見ている彼女の瞳から、透明な滴が一つ、溢れる。

「泣くなよ……」

 それが、彼の願い。その願いを、月だけが聞き届けた。

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