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龍神誕生秘話 其の五

「とまあ、こんな感じでその時は別れたらしい」

「え? それじゃあ二人は?」

 続きが心配になって眉根を寄せる彼女に、彼の唇の端から苦笑が漏れた。

「おいおい、しっかりしろよ。誰もこれで話が終わりだとは言ってねえだろ。そもそも、この後ちゃんと俺が生まれてるんだぜ? 結末はわかってるんだから、もう少し落ち着いて聞け」

 彼の溜息混じりの言葉に、彼女はニコリと笑って見せた。

「そうだったね。じゃあ柳鏡、続けて!」

「ああ。……その前に」

 ふと柳鏡は立ち上がると、先程まで景華が腰掛けていた揺り椅子まで歩き、そこに掛けられていた羽織を取って戻って来た。それを景華の肩に掛けてから、彼女の隣に座る。

「体、あまり冷やしたらよくないだろ?」

 春先とは言っても、まだまだ寒い日が続いている。しかも今日は雨が降り、普段以上に空気がひんやりと冷たかった。

「うん、ありがとう」

 素直に礼を述べてほんの少し彼我の距離を詰めると、彼の温かい手のひらにぽんぽん、と軽く頭を撫でられた。

「それから里に戻った父上は、若い長で子供もいない、ということで、しきりに嫁取りを勧められるようになったらしい」


「ですから連瑛様、やはりこの娘に決められては……」

「……」

 毎日のように持って来られる見合い話に、さすがの連瑛も辟易していた。今はまだそんな気はない、と何度も何度も言って聞かせているのだが。

「緋雀の女は嫌だ」

 部族を理由に断るなど本来ならしてはいけないというのはわかっているのだが、そうでも言わなければ治まりがつかないようにも思えて、連瑛は嘆息とともにそうこぼした。

「なるほど、情熱的な女性は気後れされてしまいますか。それでは、亀水の女性はいかがです? 嫁取り歌でも水のように優しい、と歌われているようですし。連瑛様のお気に召すのでは?」

 亀水族の女性と聞いて最初に思い浮かぶのは、山奥に暮らす彼女の笑顔。

「どうやら、そのようですね」

 独りでに唇が綻んでしまっていたようだ。そばで嫁取りの話を延々としていた世話係が、うんうんとしきりに頷いているのが目に入る。

「ち、違う! 別に亀水の女なら良いという訳ではない! とにかく、こんな話ばかりするのなら、しばらく屋敷を開けるからな!」

 都合が悪くなった彼は、普段からは考えられない程乱暴な所作で立ち上がり、同じ位乱暴に戸を開け放つと、外へ出て行った。


「まったく、何が嫁取りだ……。他にしなければならないことが山のようにあるだろう!」

 外に出るなりそうこぼして、道端の石ころを思い切り蹴り飛ばす。小気味いい程遠くに飛んでいったそれを見つめていると、いくらか重い気分も払拭される……が。

「きゃあ!」

 突如その軌跡から聞こえて来た悲鳴に、彼は真っ青になった。まさか、誰かに怪我をさせたのだろうか?

「すまない! 怪我はないかっ?」

 小石が消えた茂みに分け入ると、女性が地にぺたりと座りこんでいるのが見えた。

「大丈夫か? どこか怪我は……」

 しゃがみ込んでその顔を覗き込むと、女性は柔らかい笑顔を返してくれた。上品で艶やかな唇が笑みの形に綻ぶと、何とも言えない柔和な印象を受ける。

「いえ、大丈夫です。少々驚いて転んでしまっただけですから、どうぞお気になさらないで下さい。……あ」

 連瑛の顔を見上げて、女性はふわり、と笑みをこぼした。

「連瑛様でいらっしゃいますか? 私、リンと申します。先日北西の村からこの里に越して来たので、ご挨拶にお伺いしようと思っていたところです」

「そうか、この前越して来たばかりか……」

 女性を助け起こしながら、連瑛はそう呟いた。北西、それは自分の心の大部分を占める、彼女がいる方角だ……。

 その彼女と別れてから、もう三年になる。彼女は、元気にしているのだろうか。父や兄には会えたのだろうか。困ったことがあれば自分を頼る、そう言ってくれたのは、本当だったのだろうか……?

「はい。この度の水害で村が壊滅いたしましたので、こちらを頼らせていただこうかと……」

 清龍族の全てが清龍の里に住んでいる訳ではない。皆小さな村落に分かれて生活しているのだが、天災や戦禍の被害を受けた際には部族の長が住んでいるこの里を訪ね、頼ることになっている。

「何っ? 水害? 規模はどの位だっ?」

 青い顔をした連瑛に鬼気迫る表情で迫られて、女性は驚いてしまったようだ。顔を青くしながら、震える声を紡ぐ。

「は、はい……。私たちの村は全て、濁流の渦に飲み込まれました……。どうやら、山奥の方で川が決壊してしまったようです……」

「山奥……」

 彼の眼裏に、懐かしい笑顔が過る。まさか、彼女は……。

「上流に、人が住んでいたのは知っているか……?」

「はい。亀水の少女が、一人。時々村に薬を売りに来てましたから……」

「彼女は、どうしている……?」

 答えなど、叶うことなら聞きたくない。それでも、彼女の安否を確かめたかった。望みが薄いことが、わかっていても……。

「……おそらくは、この度の水害で……。上流から……家の建材が流れて、来たので……」

「っ……。……そうか……」

 それきり、連瑛は顔を伏せてしまった。彼女から見えるのは、真っ白くなるほど噛み締められている、痛々しい唇だけ……。顔を上げない理由は、ただ一つ。部族長としての、尊厳……。自分の部族の人間の前で、威厳を失う訳にはいかないのだ……。小さな頃から、何度もそう教えられた。それなのに彼には、眦から溢れるものを押しとどめることもできない……。

「……」

 彼女は、そんな連瑛にくるりと背を向けた。しかしその場から去る訳ではなく、ずっと彼のそばにいてくれるようだ。

「私、何も見てません。何も、聞いていません。だから……」

 それは、彼の部族長という重い責務を理解しての一言だった。自分が彼の涙を見なかったことにすれば、彼を一人で泣かせることもなく、彼が重んじる尊厳を傷つけるようなこともない。

「……困ったことがあれば、私を頼ると言ったんだ……。いつかは来てくれると、信じていた……」

 込み入った茂みの中、彼女の背中を眺めながらの連瑛の呟きだけが、風に乗って消えて行った。

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