龍神誕生秘話 其の三
「とまあ、出会った時はこんな感じだったらしい」
柳鏡は一度そこで話を区切って、隣で真剣な顔をして聞き入っている景華を見下ろした。
「すごいね。運命の人って、初めて会った時に本当にわかるものなのね」
彼女はそう言いながらふと立ち上がり、先程縫いかけだったおくるみを持って彼の隣に戻って来た。どうやら、休憩は終わり。また続きを縫いながら、彼の話を聞くつもりらしい。
「そうか? 別に俺、あんたに会った時、なんとも思わなかったぜ」
いつものように思っていることと真逆のことを言った彼に、真紅の瞳が向けられる。
「うーん、そう言えば、私も特に何も……。じゃあ、違うのかなあ?」
カクン、と彼の体から力が抜ける。素直な言葉をかけてやれない自分も悪いのだが、悪意のない笑顔でそんなことを言われては、相当な打撃を受けてしまう。彼女に悪意がない以上、自分で立ち直らなければならないので、必死に言い訳の言葉を探す。そして見つけたとっておきの言い訳、年齢。
「ほら、考えても見ろよ? 俺たちが初めて会ったのは、俺が四つ、まあ、すぐに五つになったんだけど……。そして、あんたが三つの時だぜ? そんなことわかる訳もないだろうが」
「……うーん、それもそうだね。じゃあ、会った瞬間に全員が全員、わかる訳じゃないんだ」
彼女を納得させて、ホウと息をつく。運命の人は出会った瞬間に説、完全否定。彼はそれによって、彼女が自分と出会った瞬間に何も感じなかったという事実を揉み消そうとした。
「ねえ、続きは?」
隣から見上げる瞳の、心地良さ。その柔らかさを隣から感じられるということが、彼には至上の幸福であった。彼女が何気なく用いた、運命という言葉。それらを乗り越えて結ばれた、それこそ運命の人。彼女の小さな体が育んでいる命が、何よりの証拠だ。
自分が何を考えていたか彼女に悟らせないように、彼は落ち着いてからゆっくりと口を開いた。その間にも、綺麗に整えられた縫い目が、いくつも布の上に落とされていた。
「ああ、その後母さんは、父上を自分の家に連れ帰って、怪我の手当てをしてやるんだ」
「これでもう大丈夫です」
「ああ、すまない」
青年はそう言って、捲っていた袖を元通りに直した。その裂け目から、真っ白い包帯が覗く。
「あの……もしよろしければ、それ、繕いましょうか? お急ぎじゃなければ、なんですけど」
「ああ、そうしてもらえるとありがたい。何しろ、こんな袖のままで家に帰っては、母上がうるさいからな。ところで、名前は?」
青年のその問いかけで、少女はハッとして体を強張らせ、直立の姿勢になった。
「も、申し訳ありません! 助けていただいたのに、名前もお教えしていなかったなんて! 私、蓮華と申します。……あの、失礼ですが、貴方様のお名前は?」
青年は群青色の瞳を細めてから、彼女の深緑の目を覗きながら答えた。
「私は連瑛だ。龍連瑛。瞳の色から察するに、亀水族の娘か?」
「は、はい、そうです。龍、と申しますと、清龍族の方でしょうか? それも、部族長の一族の方では?」
蓮華は軽く口元に手を当てて、自分を覗きこむ瞳から目を逸らした。なんだか、心の奥まで見透かされてしまいそうな色。そんなことを考えていると、頬が熱くなる。彼女が連瑛は部族長の一族だと判断した理由は、龍という姓だった。姓を名乗ることが許されているのは、王族と各部族の長の家系のみなのだ。よって、蓮華には姓はなかった。
「ああ、その通りだ。ところで蓮華、お前の家族は?」
連瑛にしてみれば何気なく訊ねたことだったのだが、蓮華の表情は暗くなってしまった。その変化に訊いてはいけないことを訊いてしまったらしいと慌てるが、もう遅い。
「父と兄は、虎神族との争いに兵士として借り出されたまま、帰って来ません。母は、二年前に病気で……」
「そうか……辛いことを思い出させてしまったな、すまない。と言うことは、お前一人でこんな山奥に暮らしているのか?」
連瑛の問いに、蓮華はやっと顔を上げた。その瞳の色は、連瑛の目にはひどく痛々しく映る。
「はい、そうです。里に出て男の方に騙されるよりは、辛いかもしれないけど山奥で暮らしなさい、と母に言い聞かせられたものですから」
確かに、彼女のようにお人好しで純粋な娘なら、里に出れば騙されたりもするだろう。今も、一人暮らしの家に、見ず知らずの他人である自分を招き入れているのだから。連瑛はふとそんなことを考えて、眉根を寄せて笑った。
「まことに申し訳ないんだが、二、三日私をここに置いてくれないか? これから冬になるだろう? 手当てと繕い物のお礼に、薪割り位手伝わせてもらおうと思ってね」
「い、いえ、そんな! 助けていただいた上にそんな仕事をお手伝いしていただくだなんて、できません!」
蓮華は真っ赤な顔をして両手を前に突き出し、断わりの意を込めて激しく振って見せた。その様子を見た連瑛から、思わず、笑みが漏れる。
「冬仕度は色々と重労働だろう? 男手があった方がいいと思うんだが……」
「そ、それはもちろん好都合、じゃない、ありがたいお言葉ですが、こんな山奥で何のおもてなしもできませんから」
「別にもてなしてくれとは言っていないだろう?」
連瑛のその言葉で、蓮華はついに断る理由がなくなってしまった。
「決まりだな」
彼の穏やかな笑みに、蓮華はただ頷いただけだった。