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龍神、浮気する? 後編

「ねえ、柳鏡」

「何だよ?」

 夜、いつものように二人で寝台に横になったなりに、景華が切羽詰まった口調でそう声をかけて来たので、柳鏡は少々驚いた。

「私の寝相って、そんなに悪い?」

「ぶっ……」

 真面目な顔で何を問いかけるのかと思いきや、そんなことか。彼はそう思って、思わず吹き出してしまった。

「笑わないでよ、真面目に訊いてるんだから!」

 顔を真っ赤にして怒る彼女に、普段通りの爽やかでとても意地悪な笑みを向ける。

「ああ、最悪だな。だけど今更そんなこと言ったって、どうせ直せないだろ? 気にしてねえよ」

 その言葉にホッとしながらも、別のことが原因だと思いあたって、また真剣な顔に戻る。

「私、最近太っちゃったの」

「……あんた、アホか? 確かに食い過ぎだけど、別にそんなに気にする程のことでもないだろ? 元々痩せっぽちだからな、ちょうどいいんじゃねえか? そんなこの世の終わりみたいな顔する必要、どこにもねえだろ」

 欠伸をして眠そうにする彼に、最後の質問をする。

「柳鏡、最近どこ行ってるの?」

「遠乗りだって言ってるだろ? もう百回以上同じこと答えた気がするんだが……」

 ここで引き下がってはいつもと同じなので、じとーっとした目で彼を問い詰める。

「案外、美人でスタイルが良いお姉さんの所だったりして……」

「はいはい、そうだそうだ。まったく、アホなことばっかり言い過ぎだろ。ほら、寝るぞ?」

「うん……」

 昼間明鈴が言ったことが、景華の中で真実味を増して来る。柳鏡が明かりを消した室内で、景華は一人静かに涙を流した。それから、彼に背中を向ける。

「おい、そっち向いて寝たら、また頭ぶつけるぞ?」

 彼がまだ起きていたことに多少驚いたが、彼女はそちらに向き直らずに答えた。

「いいの、別に。私が頭をぶつけたって、柳鏡は痛くないでしょ。構わないで」

「あのなぁ……一体何に対して怒ってるんだよ?」

「怒ってなんかないよ」

 そうだ、自分は怒ってなんかいない。ただ、どうしようもなく悲しんでいるのだ……。

「頭をぶつけることがわかりきってるのに、そっち向いて寝てるんだぜ? 怒ってるに決まってるだろ。何かあったのか?」

「まだぶつけるなんて決まってないよ!」

 ついいつもの調子で、彼のそんな一言に反応してしまう。しばらく意地悪く笑っていた彼だったが、ふいにその腕が動いた。彼女の体が、少し苦しいと思う位の力で拘束される。背中に感じる彼の鼓動音が、とても温かい。どうやら、彼女が壁に頭をぶつけないようにしてくれるらしい。

「頭、ぶつけるなよ。ただでさえアホなんだから」

「……やっぱり、そっち向いて寝る」

 そう言ってくるりと彼の方に体を反転させると、いつもの柔らかい香りが景華の鼻腔をくすぐった。そうだ、やはり彼に限って、そんなことはあり得ない。隣の温もりと香りが、何よりの証拠だ。明日明鈴と会ったら、そう言ってやらなくちゃ。景華は、そんなことを考えながら深い眠りに落ちていった。


 次の朝、柳鏡はいつもと同じように朝早くに目を覚ました。隣で眠っている少女の肩が朝の冷たい空気にさらされているのに気付いた彼は、風邪をひかないようにと布団をかき上げて温かくしてやった。それから一人、こっそりと城を抜け出す。額に彼の唇が軽く触れたのを感じていながらも、景華は眠気のせいで起きることが叶わなかった。それからしばらく経って、本格的に目を覚ます。

 今日もまた、明け方すぐに戻るのだろうか。そんなことを考えながら彼を待っていた景華だったが、ついに彼は、朝食の時間になっても戻っては来なかった。まさか。景華の脳裏に、また暗い妄想がよぎる。


 景華の妄想劇場……。

「もうお帰りになるのですか? 柳鏡様」

 そう訊ねたのは、大人っぽい妖艶な女性。当然、彼女と正反対な女性らしい体つきをしている。

「ああ。早く帰らないと、アホな女王陛下が騒ぎ立てるからな」

 いつものように彼女のことは散々な言い方をする、彼。しかし、普段のようなどことなく愛おしむ様子が見受けられない。

「まだ夜明け前ですよ? こどもでわがままで寝相の悪い女王陛下は、まだ起きていらっしゃらないでしょう?」

 いくら自分の想像上の人物とは言え、あまりに自分を小馬鹿にしたような物言いをする彼女に、景華はカチンときた。いくら美人でスタイルがいいからって、言っていいことと悪いことがある。彼も、せめて浮気するならもう少しまともな女性を選べばいいのに、と。

「……そうだな、アホでぺったんこでかわいげのない女王陛下が、まだ起きてる訳もないな」

 そう言って彼は、その妖艶な女性を腕の中に収めた。


「馬鹿ーっ! 柳鏡の馬鹿ーっ!」

 自分が勝手に繰り広げた妄想だけで、彼に対する怒りがふつふつとこみあげて来る。布団をバンバンと激しく叩きつける音に、廊下を通りかかった女官が驚いて飛び上がった。

 ひとしきり妄想を展開させてしまうと、先程の想像が真実のように思えてならなくなる。昨日は浮気なんて絶対にあり得ないと思っていたが、やはりこう毎日となっては、怪し過ぎる。行き先を教えてくれないと言うのも、さらに怪しい。

 彼女が八つ当たりを大方済ませたところに、ひたひたと渡り廊下を歩く足音が聞こえて来た。聞き間違えるはずもない、これは、絶対に彼の足音だ。彼女の中に籠っていた感情が、彼が居室の戸を開けた瞬間に一気に溢れ出た。

「馬鹿馬鹿っ! 結婚して半年で浮気するなんて、最低っ! 考えられない! 離婚よ、離婚っ!」

「は? 浮気? 何の話だよ?」

 彼女の平手を利き手だけで巧みに受け止め、かわしながら、彼は一歩室内に入って来た。その後ろで、木の何かが揺れる。

「馬鹿! 最低! いくら私の寝相が悪くてぺったんこでかわいくないからって、ひど過ぎるよ! おまけに、よりによってあんな人と! 美人でスタイルがよければ何でもいいのっ?」

「はぁ? おいおい、まったく身に覚えのない話でそんなこと言われたって、俺だって困るだろうが。ほら」

 彼はそう言って、右手に持っていた木製の何かを彼女の目の前に差し出した。細い枝が格子状に編まれているそれは、鳥籠だ。そして。

 ピィ、ピチュリ、ピピピッ! かわいらしい鳴き声に、彼女も思わず攻撃の手を緩める。

「これ、何?」

 そう言って、彼女は籠の中を覗き込んだ。中では、彼女の見たこともないような愛くるしい姿の生き物がちょこちょこと動いている。

「何って、見ればわかるだろ? 小鳥だよ。あんた、雀以外が見てみたいって言ってただろ?」

 そう言われて、ある朝のことを思い出した。清龍の里には雀以外の小鳥がたくさんいたということだったが、彼女は他のことに夢中で、見逃してしまっていたのだ。それを彼から聞かされた時に、見てみたかったな、と呟いてしまったかもしれない。

 パッと顔を明るく輝かせてから、彼女は再び鳥かごの中をまじまじと見つめた。雀と変わらない位の大きさで、お腹と頭の一部が黄色く、背中は黒い。羽の一部には、白い模様が入っている。そして、お腹側の下の方も白い。初めて見る鳥だが、とても美しい。しばらくじーっと眺めてから、彼に訊ねる。

「ねえ、柳鏡。これ、何ていう鳥?」

「ああ、キビタキって鳥だ。こんな色をしているのは雄だけなんだが、綺麗だろ?」

「うん、すっごくかわいい!」

 景華はそう言って、とびきりの笑顔を柳鏡に向けた。彼の心臓の鼓動が一つ、跳ねる。本当に、彼女の笑顔は彼の心臓には良くない。どうしようもなくドギマギして、落ちつかなくなってしまうのだ。

「ところで、浮気って何の話だよ?」

 目線を必死で彼女から逸らしながら、先程彼女が放った重要で、しかし身に覚えのない言葉の真意を問いかける。悪戯っぽく笑った後で、彼女がその問いに答えてくれた。

「実はね、柳鏡が朝早く出て行っちゃうって、お姉ちゃんに話したの。そうしたら、一般論から言えば浮気かもしれない、って言われて……。でも、この子を捕まえるためだったんでしょ?」

 またしてもくだらないことで良かったなと思いながら、彼女が楽しそうに小鳥を眺める様子を見つめる。

「あんたはそんなくだらないことで怒ってたのか。まったく、どこの世の中に、結婚してたった半年で浮気をする男がいるって言うんだよ? まあ確かに、あんたの寝相が悪くてぺったんこでかわいくないって言うのは当たってるけどな」

「そこまで言わなくてもいいじゃない! 大体、柳鏡が何しに行ってるのかさえ話してくれれば、こんなことにはならなかったんだからね。どうして教えてくれなかったのよ?」

 再び、彼はつい、と視線を逸らした。どことなく頬が赤いように見えるのは、景華の気のせいだろうか。長い指が黒いくせ毛の中に掻き込まれて、見えなくなった。間違いない、どうやら、彼は相当照れているようだ。

「いや、言ったらあんたを驚かせてやれねえし、その……小鳥とるために罠仕掛けたりまでしてるって言うのが、若干恥ずかしいし……」

 鳥籠を机の上に置いてから、景華が彼に飛びついた。

「ありがとう、柳鏡!」

 素直に笑って見せる、彼女。どうやら、無事解決したようだ。

「それにしても、あんたにそんな余計なことを吹き込んだのは姉さんだって言ってたよな? あの人は本当にろくなことしねえな……。そんなこと位で浮気だって決めつけるなよ。と言うか、あんたもそんな言葉簡単に信じるな、アホ」

 彼はその頬をますます赤くしながら咳払いをして、彼女から視線を逸らした。それから、どことなく言い淀むような様子で口を開く。

「いいか? そんな心配はあんたがする必要のないことだ。わかったな?」

「じゃあ誰か他に心配してくれるの?」

 柳鏡の体が、ガクリと沈み込む。それが彼の落ち込んだ時の仕草だと最近気付いた景華は、その様子をまじまじと見つめる。自分は、そんなに悪いことを言ってしまったのだろうか?

「アホ! まったく、あんたはどこまで鈍いんだよ? もういい!」

 彼のその様子がなぜか嬉しくなって、景華は別のことを思い出す。自分を見上げたまま彼女が含み笑いなどをするので、柳鏡はその理由が気になって彼女に問いかけてみた。満面の笑みが、返って来る。

「あのね、柳鏡。私、欲しいものがもう一つ出来ちゃったの!」

「は? 何だよ? あんまり面倒なものだったら、俺に言ったって知らねえぞ」

「あのね、きっと柳鏡も欲しいものだよ」

 彼女が口元に手を当てて背伸びをする。どうやら、二人しかいないこの部屋なのに、耳打ちで何事かを聞かせてくれるようだ。彼の耳元で、彼女の甘い声が響く。真っ赤になって硬直した彼に対して、彼女はニッコリと笑って見せた。

「ね? 柳鏡も欲しいものでしょ?」

 彼女のその問いに、彼はしどろもどろに答えた。

「い、いや、その……まあ、あれだ。それは、天からの授かりものだって言うし……」

 あたふたと落ち着きをなくす彼の腕をギュッと抱き締めて、景華は目を細めて笑った。

 二人に朗報が訪れるのは、これよりも半年先のお話……。

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