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龍神、浮気する? 前編

「あー! 柳鏡、起きなきゃ!」

「うるせえな、いいだろ、別に。あんたは閣議でも、俺は今日は休みだ」

 若葉が茂り、次第にその色を青く深くしていく今日この頃。辰南の新婚夫婦は、いつものように慌ただしい朝を迎えていた。

「ダメ! それじゃあ一緒に御飯が食べられないもの! 早く起きて!」

 実力行使。景華の細い腕が、柳鏡が着こんでいる布団を勢い良くはぎ取った。恨みがましそうな目で軽く舌打ちしてから、彼が起き上がる。

「はい、起きて。よし、御飯食べに行こう!」

「何がよしだ、アホ。俺はちっとも良くねえよ」

 文句を言いながらも、身支度はちゃんと整える。羽織を着た彼の腕に、景華が飛び付いた。身長差がかなりあるので、飛び付いた、とは言っても、柳鏡が彼女を腕にぶら下げて歩いているような状態だ。そのまま廊下に出ると、朝の爽やかな風が二人の頬を軽く撫でた。

「ふわぁ……」

 大きく欠伸をする柳鏡に、景華がむくれて見せる。

「もう、目は覚めたでしょ? ほら、鳥の声とか聞こえてるよ?」

「ああ、はいはい。聞こえてる聞こえてる」

 彼のその様子に一層頬を膨らませてから、彼女はふとあることを考えた。

「ねえ、柳鏡?」

 どうせまたくだらないことを思いついたんだろうな、と思いながらも、そのくだらないことに付き合ってやるのが彼の仕事であり趣味なので、続きを促してやる。

「何だよ?」

 返って来た答えに若干機嫌を直したようだ、彼女は、真紅の丸い瞳で彼を見上げて問いかけて来た。

「ほら、雀って、よく見るでしょう? でも、他の小鳥ってあまり見ないのよね。どうしてかしら?」

 本当にくだらないことだったな、と思って苦笑しながらも、その問いにはしっかりと答えてやる。

「ああ、雀は人里に住むことによって外敵から身を守ってるからな、だからよく見るんだ。他の小鳥は山の中だとかに住んでるぜ。ほら、清龍の里で見なかったか?」

「あの時は周りの物なんて見てる暇なかったから、覚えてない……」

 そう言ってしょんぼりと俯いて、彼女は黙ってしまった。小鳥、見てみたかったな、と言う呟きを残して……。彼女にしてみればその言葉は誰にという訳ではなく、単に口の端からこぼれてしまっただけの物なのだろうが、柳鏡はそれをしっかりと聞いてしまった。そして、聞いてしまった彼が何を考えたかは、言うまでもない……。


 次の日の夜明け前、柳鏡は景華の隣をそっと抜け出して、外に出て行ってしまった。景華は夢見心地な中で颯のいななきを聞いた気がしていたが、寒さのせいでついに目が覚める。

「あれ、柳鏡?」

 目を擦りながら起き上がって、その姿を探し求める。とりあえず、室内には彼の姿は見当たらない。

「どこ行っちゃったんだろう?」

 しばらく待ってみようとも思っていたが、眠気が勝ってしまい、彼女の瞼は重さを増して閉じられてしまった。


 朝靄がかかる山の中、柳鏡は颯を疾駆させていた。

「よし、颯。この辺りでいい」

 そう言って手綱を引いてやると、颯は低くいなないて止まった。木々がその葉を擦り合わせて、心地良い音を立てる。朝の森の空気はとても清々しくて、彼の故郷、清龍の里を思い起こさせた。

「……まあ、こんなもんだな。さあ、帰るぞ、颯。目が覚める前に戻ってやらないと、またわがまま陛下の機嫌を損ねることになるからな。ここなら城から離れてないから、毎日でも来ることができるし」

 何かを木の上に置いて固定し、彼は颯の背に飛び乗った。朝の空気は、まだ少し肌寒いと柳鏡に感じさせる。彼女の隣、心温まる場所へと早く戻りたくて、彼は来た時以上の速さで颯を駆けさせた。


 夜が明けて、少しずつ城でも人々が活動を始める。うとうととまどろんでいた景華だったが、居室の戸が開けられたことでふと目を覚ました。部屋に入って来た人物は、そのまま迷わず彼女が眠っている寝台まで歩いて来る。そして上掛けをそっと捲ると、彼女を起こさないように細心の注意を払いながら布団の中にもぐりこんだ。

「柳鏡?」

 寝ぼけ声で自分の名を呼ばれて、彼は正直言って動揺した。まさか彼女が起きているとは、思ってもみなかったのだ。部屋を出る時も今も、物音一つ立てないように気を配っていたのだから。

わりぃ、起こしたか?」

「ううん、大丈夫。それよりどうしたの? どこか行ってた? 体、すごく冷たいよ?」

  彼女にそう問われて、一瞬答えに窮する。冷たい、と言われた体を彼女から遠ざけるようにしながら、言い訳の言葉を見つけてそれを口にする。

「ああ、ちょっと遠乗りに。どこかの誰かに叩き起されないようにと思ってたら、早く目が覚め過ぎたからな」

「ふうん、そっか。一緒に行きたかったな」

 景華は心ここにあらずといったふわふわとした口調でそう言うと、冷たいと言っていた彼の胸に顔を埋めて、再び眠りについた。


 それから十日が過ぎた。柳鏡が朝方部屋を出て行ってしまうのは、毎日のこととなっていた。さすがにおかしいと思った景華は彼にその理由を訊ねてみるが、遠乗りだって言ってるだろ、気にするな、とあしらわれてしまう。しかし、その時の彼が決まって動揺しているかのような素振りを見せるので、その言葉が嘘だと言うことも、景華にはなんとなくわかっていた。

「ねえ、お姉ちゃん」

 柳鏡が城の見回りに行っているある日の午後、閣議が早く終わった景華は、義理姉の明鈴とお茶を飲んでいた。明鈴が漆黒の瞳を彼女に向けて、軽く眉を上げて見せる。それは、彼とそっくりな問いかけの仕草だ。

「最近ね、ちょっと気になってることがあるの」

「どうしたの、景華?」

 兄弟がいない景華にとって、明鈴は実の姉以上の存在だった。そして女兄弟がいない明鈴の方も、この妹をとても大切にしている。しょっちゅう相談ごとに乗ってやったり、景華の新しい衣装を作る際に、二人でキャッキャと騒ぎながら生地を選んだりしていた。

「あのね、最近柳鏡が朝早く、ううん、夜明け前に部屋を出て行って、陽が射し始めたころに戻って来るの。いっつも遠乗りだって言ってるんだけど、本当は違うと思うの。何してるんだと思う?」

「は? ちょっと何それ! どういうこと? だってそれ、もしかしたら……」

 そう、もしかしたら。一般論から言えば、あり得ない話ではない。しかし、あの弟に限って、彼女を掌中の珠のように愛おしんでいる彼に限って、そんなことをするだろうか?

「もしかしたら、何?」

 目の前の妹の真剣な顔に、明鈴は言葉に詰まった。あるはずのない話だとは思うが、彼女に知恵をつけておくこと位必要かもしれない。できれば、必要のない知恵であって欲しいとは思うが……。

「あのね、景華。これは決して、柳鏡がそうだって言ってるんじゃないよ。もしかしたら、万が一の可能性としてあり得る、って話で……」

「うん」

 あまり素直に返事をされると、かえって話しにくい。自分がこれから彼女に言うことは、間違いなく彼女をどん底に叩き落としてしまう言葉なのだから。

「可能性として、って話なんだけど……柳鏡、もしかしたら……」

 進んで続きを言いたがらない明鈴を、景華は視線で促した。明鈴の方も、覚悟を決める。

「浮気、してるのかも……」

「へっ? 浮気っ?」

 明鈴のその言葉に、景華は頭の中が真っ白になって、固まってしまった。その様子に慌てた明鈴が、一生懸命に彼女を浮上させる言葉を探す。

「ほら、まだそうだと決まった訳じゃ……。あくまでも、一般論として、の話だし。あなたたち二人がその一般論とやらに当てはまってるって保証もないんだからさ、気にしない方が良いよ!」

 しかし。景華の耳に、そんな明鈴の言葉はすでに届いていなかった。

「ど、どうしよう、お姉ちゃん! そもそも、どうして? どうして浮気なんてするの? 私たち、まだ結婚して半年だよ? ……まさか、私の寝相が悪いから? 私の寝相が悪いから、柳鏡に嫌われちゃったの? そんな!」

「きょ、景華、落ちついて……。まだ決まった訳じゃないんだよ。可能性だけだってば」

 パニックを起こす景華をなんとか宥めようとする明鈴だが、彼女の思考の暴走ぶりはもう止められない。

「もしかして、私がわがまま過ぎるから? だから柳鏡、嫌気がさしちゃったの?」

「いや、それはないでしょ。柳鏡は景華のそういうところが好きだった訳だし……」

 もはや、ありえることからあり得ないようなことまで、何でも口に出しているといった状態。

「まさか、私が最近太ったから? 大した量じゃないんだよ、ちょっと重くなっただけだもん! え、もしかして逆? いつまで経ってもぺったんこだから? そんなのどうしようもないよぉ!」

 目の前で固まる明鈴を無視してひとしきり一人で悩み終えた景華は、勢い良く立ち上がった。

「きょ、景華?」

「確かめなきゃ!」

 彼女はそう一言だけ言って、部屋を出て行ってしまった。後に残された明鈴が大きく溜息をつく。

「まあ、そんなことはないだろうけどね」

 一体弟は何をやっているんだろうな、と思いながら、彼女はお茶を一口含んで笑った。

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