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爆弾陛下と龍神 幸福

「あったかもな、こんなこと……じゃない!」

 思い切り不機嫌になってしまった彼女を、一体どうやって宥めようか。先程まで彼が優位に立っていたのに、あっという間に立場を逆転されてしまった。

「ほ、ほら、考えろよ? あの場合は照れ隠しってやつで……」

「五歳の子に照れ隠しがわかる訳ないでしょ!」

 ……確かに。あの当時、自分だってそんな言葉があるということを知らなかったのだ。今思い返せば、その言葉がぴったり当てはまる状況だったというだけで……。

 彼がホウ、と深く溜息をついてから沈黙したので、景華はふと彼を見上げた。

 深緑の瞳の中に、何とも言えない影が躍る。彼の瞳がこんな風に揺れるのは、決まって自分を責めている時。普段冷静な彼が、心の奥底から動揺している時……。

「柳鏡?」

 隣からの訝しげな問いかけの声で、彼の思考はふと現実に引き戻された。それから、やや自嘲的な笑みを浮かべる。

「あ、いや……。もしあの時、あんたの言葉にちゃんと答えてたら、こうじゃなかったのかな、って思っただけだ……」

 彼が言うこう、とは、親友の裏切りや父の死、そしてその親友たちとの別れで、彼女が深く傷つくような人生のこと……。

 眉間にしわを寄せて難しい顔で唸ってから、彼女がゆっくりと口を開いた。

「確かにそうかもしれないけど……。でもそうしたら、私はいつまでも皆に甘えっ放しで、ダメな子になってたんじゃないかなぁ? それに……お父様の時代が、もっと長く続くことになってただろうし……」

 確かに、一国民の立場として考えてみれば、珎王の治世が続くということはあまりありがたいことではなかった。彼の治世は、辰南の政治史における暗黒時代とも言えるのだ。

「……」

 しかしそれでも、彼の心の中に生じた黒い塊は、溶けてなくなったりはしない。難しい顔で考え込む彼の横顔を眺めていた彼女が、明るく笑って日記帳を閉じた。

「はい、今日はこれでお終い。続きはまた明日ね!」

「明日は片付けだ、片付け……」

 明かりを消す直前に、彼女がぷうっと頬を膨らませるのが、彼の目に映った。景華が寝返りを打って、仰向けになる。

「それにね……」

 温もりを求めるように、彼女が彼の方に身を寄せる。心の中に生じたものとの葛藤で、彼がピクリと動いてから硬直した。

「どっちでも、私、柳鏡のお嫁さんだったでしょ?」

「……」

 どうやら先程のこうじゃなかったら、の答えの続きらしい。だんだんと闇に慣れて来た目が、彼女の表情の変化を彼に伝えた。彼女の口元が淡く綻んだのが、深緑の瞳に映った。

「だから、いいの。どっちでも幸せになれたんだもん。今が一番幸せだから、いいの……」

 とろんと瞳を閉じた彼女の体が、甘えるかのように、また僅かに彼の方へ寄せられた。いつも彼女が眠りに落ちる直前に、無意識で行うことだ。だが今日は、そんな彼女の小さな仕草が、何よりも愛おしく感じられた。

「今が一番幸せ、か……」

 彼女も自分と同じことを考えていてくれたんだな、と思って、少しホッとする。胸のわだかまりが、何気ない彼女の一言で融解して行く……。

 自分でも気付かない内に、彼は彼女の小さな体を、強く優しく抱き締めていた。

 どうかこれからも、今が一番幸せだと思える日々が、続きますように……。そんな願いを、込めて……。


 それからどの位時間が経っただろうか、景華が寝返りを打って、柳鏡に背を向けた。一度は解かれた彼の腕が、再び優しく体に回される。彼が起きている様子は、ない。眠っているくせに自分を護り続けてくれる腕に、胸がいっぱいになる。

 ふと窓を見やる。松明の明かりにチラチラと舞う影が映っていることから、まだ雪が降り続けているらしいということを知った。それなのに寒さなんて全く感じないのは、おそらく彼のおかげだろう。

 景華は、そっと壁と寝台の隙間に手を伸ばした。

「さてと……」

 チラと彼が本当に眠っていることを確認してから、日記を開く。同じ壁と寝台の隙間に隠してある筆と墨を取って、闇に慣れた眼と松明の明かりを頼りに、彼女はその日の日記をつけ始めた。


 景華の日記。

 十七歳、十二月二十九日。今日は、片付けをしていて昔の日記を見つけました。柳鏡に見つかったのはまずかったと思います。だって、柳鏡の悪口ばっかり書いてあったんだもの! この日記帳の存在も知られてしまいましたが、今は死んでも見せられません。恥ずかしいもん! この日記帳は、二人がおじいちゃんとおばあちゃんになってから見せます。……柳鏡、おじいちゃんになんてなるのかしら? 今はこんなに素敵だから、信じられません。これで終わ……。

 あっ、そうそう。私が使っていた部屋を子供部屋にしたい、って言ったら、柳鏡も賛成してくれました。二人の思い出がいっぱいの大事な部屋だもん、とっておきのことに使いたいよね! あ、夫婦の約束事は三十四条まで増えました。だって、柳鏡がすぐ離婚だなんて言って脅すんだもの。そんなことされたら、死んじゃう! あと、今日の夕食には苺がついていました。柳鏡がこっそり苺くれたの、本当はちゃんと知っていました。でも、わざとお礼は言わなかったの。柳鏡、照れ屋さんだもんね! 日記帳の好きな食べ物の欄に苺、って書いてあったのを見てくれたんだと思います。やったね! 今度こそ終わりま……せん。

 やっぱり懺悔しておきます。今日って書いてあるけど、この日記は日付が変わってから書きました。ごめんなさい。柳鏡に見つからないようにしたら、日付が変わっちゃったんです。柳鏡のせいです。何か随分長くなっちゃった。一週間に一ページの決まりだったのに無理みたいなので、今日だけで一ページ書きます。今日は本当に色んなことが書きたかったし、いいよね? せっかく見せるって決めたんだから、柳鏡のことを書こうかな?

 柳鏡のどこが好きなの? って訊かれたら、正直言って答えられません。だって、自分でもよくわからないもの! でも、一番好きなのは私のわがままを絶対に叶えてくれる所です。あ、あと、本当は優しい所も。口の悪さで誤魔化しているけど、ちゃんとわかっています。……今は、ね。それと、怒られるかもしれないけど、顔も好きです。いっつも吊り目で機嫌悪そうだけど、目の色は絶対穏やかで優しいです。それに、髪も好きです。黒のくせ毛。切り揃えるのが面倒だからって伸ばしっ放しにしないように、ちゃんと見張ります。あとは……あぁ、もう! 書ききれないよぉ! ……全部! 全部好き! よし、書ききった! あ、いい加減じゃないよ! 本当に、全部!

 それから、最後に。二十九日は、珍しく城にも雪が降りました。結局、一晩中やまなかったみたいです。でも、ちっとも寒くありませんでした。ありがとう、柳鏡。大好き!


 それだけ書き終えると彼女は満足気に微笑んで、日記の道具一式を元の場所にしまい込み、再び寝返りを打って彼の方に向き直った。緩やかに眠りの道を辿り、やがてまた無意識に彼の方に身を寄せる。そして、穏やかな寝息が聞こえて来た頃。

「そんなところに隠してるのかよ……」

 そう低く穏やかな声が囁き、深緑の瞳が開かれた。

 柳鏡は彼女が日記をつけるのは自分が眠った後だろうと思って、寝たふりをして彼女が日記をつけるのを待っていたのだ。

「どうせまた俺の悪口ばっかり書いてるんだろ、爆弾陛下」

 体に回された腕が僅かに強さを増したことに気が付いたのか、彼女の唇が柔らかく綻んだ。

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