爆弾陛下と龍神 失敗
食事を終えた二人は、暗くなってしまったことを口実に早めに部屋片付けを切り上げた。引越しが終わるまでの間にあてがわれた仮部屋に、わがまま姫の日記を持って戻る。
「うう、寒い……」
そう呟いて、景華は部屋に戻るなり寝台にもぐりこんだ。
外はまだ雪が降っている。もしかすると、明日は一面銀世界になった庭園を見られるかもしれない。景華にとっては、あまりありがたくないことなのだが……。
チラと一瞬、現在の日記帳がそこにあることを確認してから、柳鏡の様子を盗み見る。
「明かり、そっちに持って行くか?」
「うん。寒いから、ここで見る」
蝋燭が立てられた燭台を持って、柳鏡も寝台の方へやって来た。先程約束した通り、彼女の日記帳の続きを見るのだ。
二人並んで、寝台に横になる。うつ伏せの状態で上半身を起こし、寝台に頬杖をついた。景華が、日記帳を枕に立掛けるようにして置く。
「……」
左手で頬杖をついた柳鏡は、しばらくそのまま居心地悪そうに固まっていた。だがやがて、手持無沙汰になった彼の右手が、彼女の髪に触れる。優しく髪を撫でられて、景華は心地良さそうに真紅の瞳を細めた。
「なあ、聞いていいか?」
「なあに?」
隣から彼を見上げて、彼女はほんの少し首を傾げた。
「ほら、五歳の時の夢と六歳の時の夢、違うだろ? その間に何があったんだよ?」
彼が考えていたのは、もしも彼女の将来の夢が変わっていなければ、もしかしたら、自分たちはもっと違う形で現在に至っていたのではないだろうか、ということだった。彼女の父もいて、親友たちもいて……。そんな当たり前で平和な生活が送れていたのではないかと思って、ふと持ち上がった疑問がそれだ。
景華がいかにも不機嫌だといわんばかりに口を尖らせ、頬を膨らませる。そして、無言で日記のページを繰り始めた。それから何も言えずに黙っている柳鏡に、あるページを開いて日記を押し付ける。
「ここ、読んで」
彼女はそう言って指差したきり、口を噤んでしまう。仕方なく、彼が日記を読み始めた。
「五歳、九月十七日。今日は、異国からのお客様が来ました。綺麗な人たちで、楽しかったです。一番大きいお兄さんのお嫁さんになる? ってお父様に聞かれたけど、柳鏡のお嫁さんになるからダメって言いました。そうしたら、柳鏡に嫌だって言われちゃいました。悲しいです。柳鏡は意地悪だから、もう柳鏡のお嫁さんにはなりません。……」
日記を読み終えた彼は、しばらく沈黙していた。それから、溜息混じりに呟く。
「あったかもな、こんなこと……」
異国からの使者をもてなす宴で、景華は歓迎の歌を歌わされた。その後大人たちは宴に出てしまうので、彼女が一人になってしまうため、柳鏡、趙雨、春蘭の三人は城に泊りに来ていた。
「よくできたね、景華。上手だったよ」
珎王がそう言って娘の髪を撫でてやると、彼女は褒められたことが嬉しかったらしく、かわいらしい笑顔で応じた。
「ほら、ご褒美だよ。皆と食べなさい」
そう言って、小さなその体では運びきれない程のお菓子を持たされる。
「……少し持ってやるよ」
いつの間にやって来たのだろうか、隣にいた柳鏡が、そう言って彼女の荷物を半分以上持ってくれた。そこに、使者の一人が歩いて来る。黒髪に青っぽい色の瞳をした、背の高い青年だ。
「姫君は素晴らしい歌い手ですね。とてもお上手でした」
それから青年は、小さな景華が自分をじっと見上げていることに気が付いて、柔らかく微笑んだ。普段なら人見知りをして父親の影に隠れてしまう彼女だったが、その青年が纏っている優しい雰囲気のせいだろうか、人懐っこい笑みを返した。
「ありがとうございます。この子の歌の師匠もなかなか見所があると言ってくれているので、嬉しい限りですよ」
珎王は、笑顔でその言葉に応じた。そして、娘の頭を撫でる。その拍子に、彼女の腕に抱えられていたお菓子が一つ、床にポトリと落ちた。どうやって拾おうかと彼女が考えていると、大きな手がそれを拾い上げてくれる。
そのまま青年はしゃがみ込んで、景華に視線を合わせてくれた。
「どうぞ、姫君」
しばらくくりっとした真紅の瞳で青年を見つめてから、景華はニコリと笑った。何となくそれが面白くない柳鏡が、ピクリと眉を動かす。
「お兄さんの目、綺麗ね! 素敵!」
「ありがとうございます、姫君」
彼女の言葉を受けて、青年はさらに柔らかくその瞳を細める。
「ねえ、お城にはいつまでいるの? 明日は、私と遊んでくれる?」
小首を傾げて目をぱちくりとさせる姿は、とても愛らしい。青年は、困ったように笑って見せた。
「申し訳ありません、姫君。僕たちは明日、お暇させていただく予定なんです」
「なあんだ、残念」
これでもし相手が柳鏡だったなら、ダメ、景華と遊んでくれるまで帰らないで! などとわがままが言えたのに、と密かに落胆する。
「景華、そんなに残念だったなら、大きくなったらお嫁さんにしてもらう約束をすればいい。そうしたら、お兄さんはまた遊びに来てくれるぞ。どうだ? お兄さんのお嫁さんになるか?」
その言葉に、柳鏡は軽く唇を噛んだ。しかし、そんな彼の様子は珎王の目にも異国の使者の目にも、景華の目にも入っていない。
父親が冗談交じりで言った言葉に、景華はますます首を傾げる。お嫁さんになる約束をすれば、お兄さんはまた遊びに来てくれるのだろうか。でも。
「ダメ。だって私は、大きくなったら柳鏡のお嫁さんになるんだもの。それでね、柳鏡に毎日遊んでもらうの。ね? 柳鏡?」
ニコリと笑って自分を振り返った彼女に、ひどく動揺させられる。一瞬にして体が熱くなったのは、自分でも嫌と言う程はっきりとわかっていた。
どう答えればいいのだろうか? 彼女が言ってくれたことは、とても嬉しい。けれど、こんなに大勢の人の前でいいよ、と答えて、自分の想いを露見させるのも恥ずかしい。お菓子を取り落とさないように何とか踏ん張りながら、彼は必死になって反論した。
「きょ、景華と結婚したらわがままばっかりで大変だから、嫌だっ!」
一瞬、景華も珎王も使者も、そう言った彼までもが硬直する。その居心地の悪い沈黙を破ったのは、彼女の泣き声だった。それから珎王が口を開く。
「ははは、振られたな、景華。そんなに柳鏡にわがままばっかり言ってるのか?」
小さな娘を膝の上に抱き上げて、その背をトントン、と叩いてやる。自分が彼女を泣かせてしまったという事実に、いたたまれない気分になる。
「あ、えっと……」
謝ろうにも、続きの言葉が出て来ない。そして。
「柳鏡なんて大っ嫌い!」
最後には、彼女に思い切り嫌われてしまったのだった。