姫と龍神 戸口
「ハッハッハ! しかし、あんたもよくやるわねぇ! 見た? あの兄さんたちの顔!」
明鈴は、屋敷の外に出るなりに大声で笑いこけた。彼に衝撃の告白を忘れさせ、少しでも明るい気分にしてやろうと考えたためである。柳鏡も、抑えてはいるものの本当は今にも吹き出しそうに違いない。そういった複雑な表情をしていた。
「姉さん、笑い過ぎですよ。あの人たちに聞かれたら呪い殺されますよ?」
それでも明鈴の笑いは治まりそうもない。もう涙目で、歩くことさえ辛そうだ。
「だ、だってあの顔……! 一生に何回見られるかわからないわよ! 姫のおかげね」
柳鏡の表情が、急に引き締まった。
「その呼び方はやめておきましょう。村人には感づかせない方がいい。だから父上も人払いをしたのでしょうし」
明鈴も、急に真面目な顔に戻った。とても三十秒前まで笑い死にしそうになっていた人とは思えない。
「そうね……。じゃあ、景華、と呼ばせてもらいましょ。音だけなら割とある名前だし、漢字で書かなければ問題はないわ」
「名案です。それで村人によって通報されるという危険性は減るでしょう」
明鈴は、そこで柳鏡たちとは別の小道に向かった。
「じゃ、私はこっちだから。またね、景華」
そう言うとくるっと、背を向けて明鈴は歩いて行ってしまった。その背中に小さく手を振ってから、先に歩き出してしまった柳鏡の後を追いかける。
なんだかとても疲れた、と景華は今更思った。今までは、城から逃げ出したり、柳鏡が倒れてしまったり、連瑛に会いに行ったりと忙しくてそんなことを考える暇さえなかったが、安全な隠れ家が確保できたとなると、心が落ち着いたのかもしれない。
だがその落ち着きは、別のことを想起させることにもなった。今彼女の脳裏に浮かんでくるのは、夥しい血、そして凍てついた青い瞳、彼女の心臓に杭を打ち込むかのような言葉……。
「大丈夫か?」
景華は、その声にハッとした。そこはもう、彼女がこれから身を寄せると決めた柳鏡の家の前だった。知らないうちに険しい顔をして歩いていたのかもしれない、それで心配をかけたのではないかと思った景華は、なんとかして心配ないと伝える手段はないかと考えた。そして、おもむろに柳鏡の手を取った。
「し、んぱ……。ああ、心配するなって言いたいのか? 誰があんたの心配なんかするか」
冷たい指先が、大きな手のひらの上を走る……。その手のひらは、あちこちにマメや切り傷ができていた。そして懸命にそれらの間を縫いながら、ひどいのね、という文字を記す。
「そりゃどーも」
軽く溜息をついて家の戸を乱暴に開けた柳鏡の手を、再び景華の右手が捕まえた。そして、さらさらと美しい文字が記されては、僅かに残像を残して消えていく……。
「……どういたしまして」
頭を掻きむしりながらぶっきらぼうにそう言った柳鏡は、景華と敢えて目を合わせないようにしながら戸口をくぐった。夕日が、開けられたままの戸口から室内に入り込む。景華が戸口をくぐったすぐ後に、その光を遮る戸が現われた。彼女をここまで守り抜いてくれたその手が、木の戸から離れた。