爆弾陛下と龍神 薄桃
「柳鏡」
「はい、父上」
彼は、里の父の屋敷に呼ばれていた。部屋に入るなり、冷たい空気がピリピリとしているのがその肌に感じられる。まずい、自分は、一体何をやらかしたのだろうか……?
「そこに座りなさい」
父が指し示したのは、彼の足元の床。まずい、あそこに座れということは、父上は相当怒っていらっしゃる……。柳鏡はその瞬間に説教三時間、正座付きフルコースを覚悟した。
大人しく、指定された場所に正座する。どうしても、父には逆らえない。恐ろしいという思いはない。彼は、すでに武芸ではその父を凌駕していた。それでも逆らえないのは、自分が父親を本当に敬愛しているからなのかもしれない。
「最近、城からよく聞こえてくる噂があってな」
「はぁ……」
城、城……。さて、一体自分はあそこで何をやらかしたのだろうか。姫の護衛の仕事を始めて三年以上になるが、その間姫に怪我をさせたり、曲者を近づけたりするようなことは一度もなかった。とりあえず、仕事上の問題ではないだろう。しかし、他に何か怒られるようなことをしただろうか……?
「姫君の護衛が、主人である姫君に対して大層失礼な口のきき方をしているとか……。確か姫君の護衛の奴は、この清龍族の族長、龍連瑛の三男だったと思うが……。間違いないのか?」
「……」
不敬……。わがまま姫とか、あんたとか、アホとか……。ああ、そうか。確かに、不敬ととられても仕方がない。だが。
「父上、恐れながら申し上げます。確かに私は不敬ととられても仕方ない言葉遣いをしておりますが、あれは主人である姫の命なのです」
「ほう、姫君の命、とな……」
連瑛が、柳鏡の言葉に興味を示した。
「はい」
彼の目に思い出されるのは、渡り廊下から桜を眺める、彼女の寂しげな横顔……。
「春蘭も、成人しちゃったね……」
欄干にその身を預けて、城から帰って行く春蘭を彼女は眺めていた。先程まで、彼女は景華の元に遊びに来てくれていたのだ。しかし。
「趙雨も春蘭も、成人した途端に私に敬語、使うようになっちゃったね……」
それは、当たり前の話だ。いくら彼女と親しいと言っても、身分が違う。成人すれば、大人としての対応が求められるようになる。子供の内であれば、彼女と対等な口調で話すことも許されていたが、大人になればそうもいかない。しかし、彼女にはそれが納得いかない。
「なんか、寂しいね……」
「仕方ねえだろ。姫と部族長の一族とじゃあ、身分に差があるんだから」
欄干に背中を預けて、彼女の隣に立つ。少年の声は、いつの間にか低くなっていた。元々大きい方だったが、その背丈もぐんと伸びている。体つきも、全体的に逞しくなってきた。今ではもう少年、という言葉よりも、青年、という言葉の方がふさわしいのかもしれない……。
その様子を見て、彼女が一層寂しげに微笑む。
「柳鏡の声、変わっちゃったね。かわいくない……」
「かわいくなくて結構。いつまでも何の成長もしないあんたには、言われたくねえな」
「放っておいてよ。柳鏡の方が二歳も年上なんだよ? 先に大人になって当たり前でしょ!」
口を尖らせて、ほんの少し元気になる。それでも、寂しさは消えない。
「ねえ、柳鏡。柳鏡が成人するまで、後どの位?」
一瞬、考える。頭の中で軽く計算してから、彼女の問いに答えた。
「一年と一カ月。そんなこと聞いてどうする気だよ?」
城の庭園にある桜は、散り始めていた。彼女が風に吹かれてその花びらが散るさまを、ぼうっと眺めている。その横顔の切なさが、苦しい。
「じゃあ、柳鏡も一年と一ヶ月後には私に敬語を使うようになっちゃうのかな……?」
「嫌なのか? いつもは散々、口のきき方が悪い、とか言うくせに」
いつものように、ふざけた調子でそう訊ねる。隣の彼女が、笑った。
「口で言ってる程嫌じゃないよ。だって、その方が柳鏡らしいもん。かわいくなくて、腹が立って。でも、その方が良い。敬語なんか使われたら、友達じゃなくなっちゃうみたいで……」
彼女の考えは、わかる。急によそよそしくされたら、寂しがりな彼女は人一倍寂しく感じるのだろう。
その額を、長い指が軽く弾いた。
「痛っ」
「アホ、誰があんたみたいなじゃじゃ馬で生意気な、わがまま姫なんかに敬語を使うか。死んでもお断りだ」
その言葉を受けて、彼女が微笑んだ。嬉しそうに笑うその横を、薄桃色の花びらが通り過ぎる。それは、彼女の真紅の瞳によく映える。
「約束だよ、柳鏡!」
そう言って大きく伸びをした彼女の表情は、春の光と相まって、とても明るかった。
今思えば、それが失敗だったのかもしれない。彼女と約束をしてしまった以上は仕方ないが、彼女に対する口のきき方については、彼はあちこちから注意を受けていた。中には、成人したのにそんなこともできないのか、龍神はやはり武芸のみか、などと、ひどい誹謗中傷を受けることもあった。それでも彼が不敬な言葉遣いをやめなかった理由はただ一つ、彼女がそう望んだから……。
「そうか……。そのような話が……」
連瑛は、そっと溜息をついた。彼の息子が姫に不敬な言葉遣いをしている、ということは、彼自身の教育に問題があったのでは、と言われかねないことなのだ。しかし。
「柳鏡、お前は本当によくできた息子だ」
「は……?」
お小言を喰らっている間に何を考えていようか、などと思っていた柳鏡は、父のその言葉に驚いて顔を上げた。
「周囲の目も気にせず、姫君の命に忠節をつくす。その様子、本当に立派だ……。お前も、他人に何度も注意を受けているのだろう?」
「はぁ、まあ……。注意から、いわれのない誹謗中傷まで……」
そして、おそらくそれはこの父にも及んでいることだろう。自分がきちんとした対応をできなければ、当然その波紋は父にまで及ぶはずだ。
「しかし、父上にまでそのような誹謗中傷が及んだのであれば、姫に理由を説明し、改善させていただきます」
そう言って深く頭を下げた息子を、父は何も言わずに見下ろした。この息子に、姫の願いを切り捨てることなどできるはずがない。しかし改善してみせると言うのだから、何とかして板ばさみにならなくて済む解決法を見つけるつもりだろう。それを見守ることも、面白いかもしれない……。
息子の成長を喜ぶ連瑛の上に、月光が降り注いでいた。