爆弾陛下と龍神 修復
たたた、っと廊下を駆けて来る足音が、彼の耳に届いた。今日は、少し風が強い。それでも彼の耳がその音を拾った理由は、ただ一つ。それが、彼女の足音だったから……。
「あ、いたいた! 柳鏡!」
城の渡り廊下の隅、誰の邪魔にもならない場所でじっと木の葉を眺めていた彼の元に、わがまま姫が転がり込んで来た。
「きゃっ」
自分が戦場に行っている間もこうだったのだろうか、彼女のドジは相変わらずだった。反射的に、彼女が転ばないように支えてやる。彼でなければできないような早業だ。
「助かったぁ……。あ、おかえり、柳鏡!」
「助かったぁ、じゃねえよ! 転ばないように気を付けろ! 大体、なんで走って来たんだよ?」
自分を笑いながら見上げる彼女に、何となく尖った言葉をぶつけてしまう。今は、彼女には会いたくなかった。戦場から帰ったばかりの汚れた手で、彼女には触れたくなかった……。
「だって、柳鏡が帰って来たってお父様が……。柳鏡すごいね! すごく頑張ったんだって、皆言ってたよ!」
「……」
自分を褒めてくれているつもりなのだろう。しかし、彼女のその明るい笑顔が今は何よりも辛い。
自分は、人を殺したのだ。しかも、誰よりも大勢の人を……。彼の脳裏に蘇って来るのは、夥しい量の血と、人々の苦悶の表情、金属の不協和音。彼の心には、大きな穴が開いてしまったのだ……。
「どうしたの? 疲れた? 大変だった?」
不安げな真紅の瞳が、自分を見上げて来る。彼女にこんな顔をさせては、いけない。努力して、今の彼には精一杯の笑みを返す。ぎこちなくて、曖昧で、寂しげな笑み……。
「別に……。何でもねえよ……」
「嘘つき!」
間髪入れずにそう言う彼女に、返す言葉がなくなってしまった。
「どこか痛いんでしょ? 痛そうだもの! ダメじゃない、ちゃんと診てもらわなきゃ! 来て!」
そう言って、彼女に腕を引っ張られるままに歩く。痛い場所はあるが、誰にも癒すことはできない。それは、彼の内側深くにあるのだから……。
「はい、横になってね。具合が悪い時は、寝なきゃダメ!」
「いや、別にどこも怪我とかしてねえし……」
あっさりと自分の寝台を提供する彼女に、断りを入れる。いくら功績を上げたとは言っても、彼女の寝台にただの護衛の自分が横になるなどということが、許される訳がない。
「じゃあどこが痛いのよー? 頭? 柳鏡がお馬鹿なのは今始まったことじゃ……」
「あんた、この剣の錆にしてやろうか……?」
真剣な顔で冗談にしかならないようなことを言う彼女に、そう凄んでみせる。しかし、対する彼女は怖がる様子など全く見せない。それどころか、落ち込んでしまったようだった。
「……だって、柳鏡の元気がないから……」
そんなことを言って、俯く。どうしようもなくなって、とりあえず彼女の頭を撫でてやった。顔を上げた彼女が、とびっきりの笑顔を見せる……。
その瞬間。涸れたはずの彼の心が脈打ち、蘇った。穴の開いていた個所が、あっという間に修復されていく。誰にも治せないはずの傷が、彼女のその笑顔であっという間に消えて行った。そして、納得する。そうか、自分は。このために、戦って来たのか……。
「いや、あんたのアホな顔見てたら笑えてきた」
「死んじゃえー!」
真っ赤になって怒るその様子が、たまらなく愛おしい。秋の風が、窓の外だけを強く吹き過ぎて行った。