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姫と龍神 波紋

 柳鏡が目覚めたのは、夕方になってからだった。外で薬草をより分けていた明鈴の元に景華が駆けて来て、その袖をクンっと引っ張る。

「起きたの?」

 明鈴の問いかけに答えことなく、景華は踵を返して駆け戻った。

「柳鏡? やっと起きたの?」

 明鈴がそう言いながら開けっぱなしになっていた入口をくぐると、柳鏡はちょうど大きく伸びをしていた。その様子を、景華が安堵の息を漏らしながら見つめている。彼女は、死んだように眠る柳鏡の枕元で彼が目覚めるのをずっと待っていたのだ。

「やあ、姉さん。おはようございます」

 清龍の里に着いたという安心感からか、柳鏡のずっと張りつめられていた神経はほぐれたようだ。顔色も大分良くなっている。

「ほぉ、こんな時間まで寝ておいて、どの口がそれを言うのかねぇ……。さぁ、事の次第を説明してもらおうか」

 最初柳鏡を白い目で見ていた明鈴は、今は真剣な顔をしていた。割と整った顔立ちで、鼻筋がすっと通っている。柳鏡の方も、急に真剣な顔になった。

「それは父上たちにも話さなくてはならないから、屋敷に行ってから話します。とにかく、最初に俺たちを見つけたのが姉さんで良かった。おそらく、もう一方の里には城からの急使が来たでしょう?」

「ご名答。そこまでわかってるなら早いわ。私もついて行くから、仕度をしなさい。血塗れじゃあ行けないわよ」

 明鈴は、入口に向かって歩き出した。

「奥方様とは……相変わらず?」

 柳鏡は、敢えて明鈴の顔を見ないようにしながら少し重い口調で訊ねた。明鈴の足が、ピタッと歩みを止める。

「……まあね。それより、あんたは自分の心配をしなさい」

「そうですね……。ほら、あんたも行くんだよ」

 二人の様子を気遣わしげに見ていた景華の手を、羽織だけを着替えた柳鏡が引いた。

 姉弟の父親である清龍の長が住んでいるという屋敷は、里の柳鏡の家とは反対側に位置していた。荘厳な造りで、装飾というものが全くと言っていい程施されていない。

「私が先に行って父上に用件を伝えてくるから、あなたたちはここで待ってなさい」

 明鈴はそう言うと、古い木の扉をくぐって奥へと消えて行った。

 気のせいか、景華は里の中を歩いてくる時からずっと人々の冷たい視線を感じていた。それが気になって辺りを見回している景華に、柳鏡がほとんど口を動かさずに声をかける。

「あれはあんたに対する敵意じゃない、俺に対するものだ。気にするな」

 景華は気にするなと言われてしまった以上は仕方ないと思い、辺りを見回すのをやめたが、頭の中では考え事を続けていた。

(どうして柳鏡が? 三男とはいえ、長の血を引く直系のはずなのに……)

「父上がお呼びよ。人払いもして、最小限の人数で待っているわ」

 ふと耳に入って来た明鈴の声で、景華の考え事は中断された。

「奥方様は……?」

「あの人も、いるわ……」

「そうですか……」

 柳鏡が軽く唇を噛むのが見えた。明鈴も、なんとも形容し難い顔をしている。

 屋敷の中は、森の中に建っているにも関わらず天井が高く、広くて快適そうであった。人の気配が全くないのは、先程明鈴が言っていたように人払いがされているせいだろう。自分たちの足音が、やけに耳につく。

 入口から真っ直ぐに進んだ一番奥の部屋の前で、柳鏡と明鈴が足を止めた。

「父上、龍柳鏡、只今戻りました」

 柳鏡の声がほんの少しだけ震えているのは、景華の気のせいだろうか。

「入れ」

 短く、入室を促す言葉。その声から、二人の父親が相当厳しい人物であることが窺える。

「失礼します」

 二つの空間を仕切っていた戸が、柳鏡の手によって開けられた。重い音が響く……。部屋の中には、先程の声の主と思われる壮年の男性と、明鈴よりももう少し年上に見える男性が二人、そしてそれらの母と思われる女性の姿があった。皆真っ黒な髪の色で、目の色も同じ位黒い。どうやら、くせ毛なのは柳鏡だけのようだ。

「よく帰った。まずは、なぜ姫君をお連れしてここに戻ったのかを説明してもらおうか」

 何となく威圧的で形式的なその様子は、景華の足をすくませた。しかし、柳鏡はそんな父親の様子にも臆することなく答える。彼は、それが他の人物たちの前でのみの対応だと、知っていたから。

「簡潔にお話させていただきます。虎神族の虎趙雨による珎王の暗殺が起こりました。王位の簒奪を目論んだものと思われます。姫と婚約したことから王位継承権を得たと考えたためにそのような行動を起こしたようで、緋雀族のジャク春蘭との企てです。姫をも亡き者にと企んでいたようなので、ここにお連れしました」

 柳鏡は一礼してから淀みなくそう言うと、口を閉じてぐっと前を見据えた。

「その話、どこまで信じて良い? 向こうの里には、城からの急使が入っていたぞ。お前が珎王を殺し、景華姫を誘拐したとな」

 若い男性のうちの一人が口を開いた。明鈴が隣で、アホか、と呟いているのが辛うじて景華の耳にも届く。向こうの里と言うのは、景華は後から知ることになるのだが、清龍の里が抱えている、外交用の里のことだった。こちらの里には外部の人間が自分一人で入ることは不可能だが、そちらの方は他の部族の商人などでも容易に出入りができるようになっている。

「私が申し上げたことは全て真実ですよ、長兄殿。ここにいる姫ご自身が証人となってくださることでしょう」

 いつも景華にしているように不敵な笑みでそう切り返した柳鏡だったが、言葉の端々にいつもとは違うとげとげしいものが感じられる。

「景華姫、お久しぶりです。龍連瑛レンエイでございます」

 柳鏡の父は、椅子から立ち上がって景華に対して礼をとった。

「まずはこの度の父君の御不幸、お悔やみ申し上げます。ところで、只今息子の柳鏡が申しましたように、城では虎神族の趙雨による王位の簒奪が行われたということですか?」

 景華は大きく首を縦に振ってみせた。きつく噛み締められた桜色の唇が白くなるのを、深緑の瞳が映し出して、彼の眉がピクリと動く。

「姫君は、事件の恐ろしさからお声をなくしていらっしゃるようです」

 明鈴が付け足してくれたおかげで、なぜ景華が言葉で連瑛の言葉に答えられなかったかを皆一度に理解した。

「それはおいたわしい……。姫君は、良き歌い手でしたのに。ですが、どうぞご安心下さい。そのような謀略が巡らされていたことが明らかになった今、私ども清龍族は、全力を持って姫君の御身柄の安全を図らせていただきます」

「あなた、そんなに簡単に柳鏡なんぞの言ったことを鵜呑みにしてよいのですか?」

 連瑛が深々と景華にお辞儀をしている時に、今まで後ろで成り行きを見ていた女性が声をあげた。

「どういうことだ?」

 連瑛は、後ろを振り返って不愉快そうに訊ねた。女性が、緩慢な動作で再び口を開く。その様子は優雅で美しく、この緊迫した状況の中でなければ、景華は見惚れて溜息をついていただろう。

「あのような下賤の者が申す事が、果たして真実でしょうか? あれの母親と一緒で、あなたを騙すのが上手いこと。姫君だって、本物かどうかはわからなくてよ」

「黙りなさい! 私は姫君と城で何度もお会いしている。あの方は紛れもなく景華様だ!」

 連瑛の怒声を浴びせられて、女性はさも面白くなさそうに口を閉ざした。

 景華はその様子を、普段の彼女には似合わないきつい瞳で睨みつけた。

 自分のことは仕方がない。会ったこともない彼女に、自分が本物の姫かどうかなんてわかるはずもないのだから。しかし、柳鏡に対するあのひどい物言いは許せなかった。なぜ母親が自分の息子にあのようなことが言えるのだろうか。その時、あれの母親と一緒で、という言葉が景華の耳に引っかかった。まさか、柳鏡とこの女性は親子ではないのだろうか。

「とにかく、姫君の安全は保障いたします。部屋を用意させましょう」

「お待ち下さい」

 連瑛が立ち上がって侍女を呼ぼうとするのを、柳鏡が止めた。

「姫君は、私の家に滞在していただきます。護衛である私は姫のおそばを離れる訳には参りませんが、私がここに留まるとなると、奥方様のご機嫌を損ねてしまいますから」

 連瑛は、ちらりと自分の妻に視線を当ててから言葉を発した。

「確かにそうかもしれない。だが、あそこは村の外れだし、侍女もいないだろう? 姫君にご不便をおかけする訳には……」

 柳鏡はホゥ、と溜息をついてから兄たちをぐっと見据えた。

「正直なことを申し上げます、父上。姫君をここに置くことができないのは、欲深な兄上たちの目にさらすのが恐ろしいからです」

「なんということを! 自分の兄に向って!」

 柳鏡に先程長兄殿、と呼ばれた男が声を荒げた。

「それに姫君は、先程の奥方様のお言葉に対しても大層ご立腹のようです。とてもここに留まりたいとおっしゃるようには思えませんが?」

 柳鏡が片眉を吊り上げて鼻で笑った。景華は、この位の仕返しは当然だ、と思っていた。隣の明鈴は、小さくガッツポーズしている。

「姫君、いかがなさいますか。不便ですが柳鏡の下で暮らしますか? それともこの館で暮らしますか?」

 景華は、迷わず柳鏡の袖をつかんだ。それは、今は口がきけない彼女にとっての、最大限の意思表示だった。その景華の肩を、柳鏡が不敵に笑って自分の方へと引き寄せる。勝負あった。

「……わかりました。それでは、あの家にお住まい下さい。柳鏡、必要なものがあれば遠慮なくこの館に取りに来るように」

 柳鏡は、それには答えず深く一礼する。柳鏡の兄たち、母親は、自分たちに向かって不敵な笑みを浮かべた柳鏡を呪い殺すかのような勢いで睨みつけていた。

「父上、最後にもう一つお話があります」

 柳鏡が、真面目な顔に戻って再び口を開いた。

「私は、龍神の紋章の封印を解きました」

 その毅然として言い放った言葉に、明鈴や連瑛はもちろん、彼の兄たちやその母親までもが目を見張った。

「な、お前、本当かっ?」

 普段冷静沈着な連瑛も、驚きを隠せずにいる。その様子から、景華は彼が何か重要なことを言ったのだということを把握した。

「はい、姫をこちらにお連れする際に、刺客に襲われて止むなく解放いたしました。いずれ試練を受けることになると思います」

(封印を解いた……。彼女のために、それだけの覚悟をしたということね……)

 明鈴は弟の横顔をじっと見つめながらその決意を思い、心が痛んだ。そして、そのことについては彼と話す時も景華と話す時も触れないことに決めた。彼が封印を解放しなければならないような状況、というものは、恐ろしくて想像したくもない。そんな事態を、この二人はくぐり抜けて来たのである。

「お話は以上です。失礼します……」

 彼がくるりと反転して出口に向かったので、景華はそれに慌ててついて行った。明鈴がその後に続いて出て来る。連瑛はもちろん、その場にいた全ての人が、凍りついた。

 龍神の紋章。それは栄光への架け橋でもあり、また、彼に押された凶印でもある……。

ここまでお読み下さっている皆様、本当にありがとうございます。

早くも十話目ですが、今後もお付き合いいただけると嬉しいです。

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