9話
真っ白な外壁。入口は木製で茶色が映える。なんだか懐かしさを感じる戸建ての家から三人の家族が出てきた。
母親に抱きかかえられていた幼子は、隣にいる父親に向かって手を伸ばす。懸命に手を伸ばす子を見て両親は笑い合い、父は母から子を受け取った。
たかい、たかい、と抱き上げる父に母は微笑みながら口を開く。
「世斗はパパにそっくりね」
胸焼けするような声にひゅっと喉が引き攣った。
ありえない。これは夢だ。だって三人は目の前にいる俺のことに気が付いていないんだから。
仲睦まじい三人を前にして世斗はその場に膝から崩れ落ちた。
そのまま早くどこかに行ってくれ。蹲る世斗に何かが近づいてくる足音が聞こえる。
「ねぇ世斗は私のところに帰ってきてくれるわよね?」
それは胸焼けするような声ではない。
もっとドロドロとして。それは熱した蜂蜜のように世斗に纏わりついた。
夢だと分かっているのに顔を上げた世斗の瞳に怯えが走る。
「結局お前も私を捨てる気なんだろ」
「だ、ってあんたが先に……」
「うるさいっ。それならあんたも不幸になればいい……」
「世斗君!」
大きく身体を揺さぶられて目を開ける。
まだ部屋の中は暗くて目の前にいる人影にビクっと身体を震わせた。ここはどこだ。なんとなく辺りを見渡していると徐々に暗闇に目が慣れてくる。
(そうか。あのまま泊まったんだっけ)
何本か映画を見たあとやっぱ賢治は世斗の誘いにはのらなかったが、泊まることはあっさりと許可してくれた。頑なに一緒に寝たいと言い張った世斗に、根負けした賢治が隣に布団を敷いてくれたことを思い出す。
焦りの色を浮かべている賢治に「どうしたの?」と言おうとして、自分の頬が濡れていることに気が付いた。
「あれ、なんで……」
「だいぶうなされていた。もっと早く気が付けばよかったんだが」
異変に気が付いた賢治が起こしてくれたらしい。
世斗は両手で顔を拭った。
「ごめんごめん。ちょっと嫌な夢見ていたのかも」
ごしごしと擦り続ける世斗の手を掴んだ賢治は優しく背中に腕を回す。ぐいっと引き寄せられた世斗は賢治の胸の中に収まった。
「大丈夫だって!」
身体を離そうとするのに賢治の手ががっしりと身体を包んでいて身動きがとれない。賢治は何も言わないまま世斗の後頭部に右手を添えた。賢治の指が髪の間を通り過ぎていく。壊れ物を触る様に優しい手つきで撫でられていると、鼻の奥がツンと痛くなってきた。
「賢治さん、本当に、俺大丈夫だから。……だいじょうぶ」
これ以上このままでいたら泣いてしまう。何度もそう訴えるのに賢治は手を止めてくれない。
縋りたい。
この温もりに飛び込みたい。
(この人の背中に腕を回すだけ。簡単なことじゃん)
賢治が存在を認めろなんて言ったせいで、こいつはやけにでしゃばってきた。
最初はあいつしかいなかった。
それなのに賢治と出会ってから、世斗の心にもう一つの人格が生まれた。
常に一緒だったあいつは本当の自分は愛されないと言い、こいつは本当の自分を愛してほしいと言う。
いつもはあいつの思いのほうが強く我が物顔で心を乗っ取るくせに、今日に限って二人そろって問いかけてきた。
((なぁお前はどうしたいんだ?))
「世斗君」
ずっと黙ったままだった賢治が世斗の名を呼んだ。
「あんたのせいだからな」
「そうか。悪かった」
「そうだよ。賢治さんが悪い。俺こんなんじゃ……」
「分かっている」
「何も分かっていない!本当に、俺こんなガキみたいに」
「大丈夫だから」
八つ当たりをしてみても賢治は何も変わらない。
鼻を啜った世斗は「何が大丈夫なんだよ」と言う。悩みに悩みぬいて、躊躇いがちに賢治の背中に腕を回した。世斗が回した腕に力をこめればさらに身体は密着する。賢治の胸に顔を埋めていると、シャツがどんどん染みていった。
誰かに抱きしめられながら、しゃくりあげる日が来るとは思ってもいなかった。
肩の震えが落ち着いてくると呼吸も正常に戻る。
名残惜しい気もするが世斗は顔を上げた。
「ありがとう。本当にもう大丈夫」
「そうか」
賢治は頬に残る涙が伝った跡を指で拭った。
途端に顔を染める世斗に微笑むと立ち上がる。
「喉が渇いただろう。お茶を淹れてくる」
部屋を出て行った賢治の背を見送った世斗はゴロンと布団に転がった。さっきまでまだ真っ暗だったのに、日が明け始めたのか家具が把握出来るほど室内は明るくなっている。世斗は顔を両手で隠してそのまま悶えた。たった数時間で起こした数々の失態を思い出しては呻き声をあげていたが、廊下から足音が聞こえすぐに起き上がる。
「こんなものしか用意がなくて悪いな」
「十分だよ。ありがとう」
賢治が持ってきた湯飲みに入った緑茶を受け取る。
なんだかイメージどおりだとクスっと笑いながら湯飲みに口をつけた。
「あっ、まだ」
「え?熱っ」
賢治が止めるより先に湯飲みを傾けてしまい顔を顰める。また失態が増えた。湯飲みを持つ手も熱さを感じているのに、中身がぬるいはずがない。
「大丈夫か?」
「あはは、全然大丈夫」
多少ヒリッとするが大したことじゃない。息を吹きかけ念入りに冷ましてから緑茶を飲み干す。なにか言いたそうな顔をされるが、世斗は布団に戻り両手でつかむと頭から被った。
「変な時間に起こしてごめん。もう少し寝よう?」
「……もしかして俺との約束が嫌なことを思い出させたのだろうか」
「そんなことない!」
咄嗟に大きな声が出た。
布団を被っているせいで顔が見えないが世斗は「違う」と続けた。
「そうじゃないから。これは俺の問題で……とにかく話はまたにしよう」
「分かった。なにかあったらすぐに起こしなさい」
「うん、ありがとう」
見えなくても賢治が離れていく気配を感じた。衣擦れの音はすぐに聞こえなくなり、しばらくすると規則正しい呼吸の音が聞こえてくる。布団から頭を出した世斗は上半身を起こしてベッドで眠る賢治の横顔を見つめた。
賢治が紡ぐ言葉が好きだ。
クールな賢治の綻ぶ顔が好きだ。
なにより自分を大切な物のように扱ってくれる賢治が好きだ。
世斗は布団の端を強く握りしめる。
もう気付かないフリが出来ないところまできてしまった。
(だから、やっぱり俺じゃ駄目なんだよ)
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