8話
(家に呼んでもらって、言いにくいことを話させて、その上勝手に欲情してキレて人の家で抜くってどういうことだよ……)
興奮そのままの勢いでトイレに駆け込んだ世斗を襲う賢者タイム。
徐々に冷静になっていった世斗は恥ずかしさのあまり部屋に戻れずにいた。
(なんで賢治さんの前だとうまく出来ないんだろう)
感情のコントロールは得意だと思っていた。
空気を読み、してほしいことを察し、相手が望む自分でいる。
世斗にとってそれは呼吸と同じ感覚だった。当たり前のようにできていたはずだった。それなのに賢治の前だと何も思い通りにいかない。
賢治が世斗に愛情を与えようとしていることは認める。
人に大切にされると、くすぐったく感じるのも初めて知った。
だけどそれは本当の自分を知らないからだと、心の奥から忠告の声が聞こえる。
『母親を捨てたくせに』
賢治の言葉なら信じたいのに、また“あいつ”が邪魔をする。
(違う。俺は何もしていない)
自分にそう言い聞かせるたびに、何もしていないのが罪だと嗤った。
世斗は欠陥品だ。それは自分が一番分かっている。
身体を丸くしている世斗の耳に控えなノックの音が聞こえた。
「世斗君……大丈夫か?」
「あっ、ごめん。もう出る」
あの調子で出て行ったら何をしていたかなんて丸わかりだ。慌てて返事をした世斗はドアを開ける。賢治は思っていたより元気に出てきた世斗に面食らったようだがすぐに笑った。
「声をかけるのは配慮がないかと思ったが、15分経っても戻ってこないから」
「え!そんなにいた?本当ごめん」
「大丈夫ならいいんだ」
申し訳ないと同時に恥ずかしくて賢治の顔が見られない。部屋に戻ると何本かのディスクが机に並べられていた。
「これ賢治さんのおすすめ?」
「あぁ。でもこれを見る前にさっきの話の続きをしよう」
次はきっと世斗のことを聞きたいと言うのだろう。
ただまだ心が決まっていない。今までだったら何も感じず嘘を織り交ぜて話すのに、そう出来ないのは後ろめたさを感じるから。いつの間にか世斗の心に消えたはずの罪悪感が蘇ってきた。
「世斗君の話は……」
きた。そう思って身構えているが賢治はそこで言葉を区切ったまま。ディスクから目を逸らし恐る恐る賢治に目を合わせる。
「世斗君が話したいと思ったときでいい」
「え?」
「自分が話したからといって、相手にも同じことを求めるのは横暴だ。そもそも俺は世斗君になら何も隠す必要がないと思ったから話したまで。無理強いするつもりは最初からないよ」
「でもそれじゃなんか不公平じゃん」
「そんなことない。もちろん世斗君が話したいなら喜んで聞く。それより世斗君に言っておきたいことがあるんだ」
自分の家族の話をすれば必然的に世斗がどんな人間なのかが分かってしまう。
強張った身体から力が抜けた。「なに?」と聞けば賢治は真剣な顔をする。
「出来るだけでいい。俺と一緒にいるときに嘘をつかないでほしい」
確信をつかれた世斗の心臓がどくんと跳ね上がった。うるさいくらい音を立てる心臓を吐き出してしまいたい。何度か瞬きを繰り返した世斗はか細い声で言う。
「俺が……嘘をついているってこと?」
「違う」
「それじゃなんで」
「君は自分の感情を隠すのが得意だろう?だから俺と一緒にいるときは、素直な気持ちを聞かせてほしいんだ」
今までの言動からそう言われたのかと思っていたが、賢治の言いたいことはそうではなかったらしい。ホッとしたのも束の間、賢治はさらに続けた。
「言葉にするのを躊躇わなくていい。相手に気を遣って言いたいことを飲み込もうとしないでくれ」
「賢治さんは知らないだろうけど……」
自分のことを考えてくれているのは伝わっている。だけどそれは簡単なことじゃない。
世斗を苦しそうに顔を歪める。
「俺だって賢治さんに会ってから変わったことが多いんだよ。自分の感情をコントロール出来なくなったり我儘言いたくなったり、今まで普通に出来ていたことが出来なくなっている」
情緒が不安定になるのは嫌だ。
あの人に似てきたのかもしれないと思うと、この身体を八つ裂きにしたって足りない。そんな恐怖に駆られるが、世斗の口は止まらなかった。
「相手が望む自分でいるのが楽で、気を遣うことは嫌なことじゃない。俺は自分の気持ちを素直に言うことのほうが大変なんだ。賢治さんに気を遣わせたなら悪いけど、嫌じゃないんだったらこのままでもいいでしょ」
そう言い切ると何故か賢治は眉を下げる。
「それなら自分のことを傷つけるような嘘はつかないと約束してくれ」
「自分を傷つける嘘ってなんだよ」
「言葉の通りだ。世斗君は人のことは気遣えるのに、自分のことはどうにもおざなりになってしまうから」
賢治の言葉は難しい。
あまりピンときていない世斗に賢治は机の上からディスクを一枚手に取った。
「たとえば世斗君は苦手なジャンルはないと言っていたが、本当はホラー系が苦手だったとしよう」
これだね、とディスクを見せる賢治に頷く。
「俺がこの映画を見たいと言ったら世斗君ならどうする?」
「……嫌だって言う」
「本当か?ちゃんとそう言えるんだな?」
話の流れ的にそう答えたが、実際その状況になったら世斗は「いいよ」と答えたはずだ。
だってそうだろう。
自分で苦手なものはないと言ったのに、それは嫌だと言うのはおかしいじゃないか。
「うん」ともう一度言えば済む話なのに、賢治に詰められた世斗は黙ったまま目を逸らしてしまった。
「ちゃんと言葉にしなさい」
まるで叱られているみたいだ。
しかも幼い子に言い聞かせているような言い方をされて、世斗は投げやりに答える。
「なんだよ。賢治さん分かっているじゃん」
「俺は世斗君に聞いているんだ」
ぴしゃりと跳ねのけられて顔を顰める。
「言えないよ。多分そのまま見ると思う」
苦々しく世斗が答えると、賢治はそのディスクを机の上に置いた。
「それが自分のことを傷つける嘘だ」
「だからなんで」
「“自分が我慢すれば済む話だ”そう思った世斗君は、ホラーが苦手だという世斗君の心を蔑ろにして傷つけた。分かるか?」
賢治の問いにハッと目を瞠る。
さっきまで何を言っているかよく分からなかったが、ようやく賢治の言いたいことが分かった。けれどその考え方は非常に危険だ。そうやっていちいち心の内を省みていたら世斗は何も出来なくなる。
「難しいことを言っているのは分かっている。だから最初は俺の前でだけ気をつけてくれればいいから」
「そんなことしたら、俺けっこう我儘になるよ」
「大歓迎だよ。だから約束だ」
「……変な人」
世斗がか細い声でそう言う。
息を吐くように小さく笑った賢治はおもむろに世斗の腕を掴んだ。驚く間もなく引き寄せられた世斗の額に賢治は素早く口付けた。ぱちりと目を瞬かせた世斗は賢治を見上げる。
「え!?なんで……」
「違ったか?」
ねだってもいないのに額とはいえ賢治からキスをしてくれたのは初めてだ。驚きながらも首をぶんぶんと勢いよく横に振る。
「違くはないけど、だって賢治さんこういうの嫌だろ?」
「言っておくが俺だって男だからな。我慢しているだけだ」
「そ、それならセッ」
「それは駄目」
食い気味に断られたのが可笑しくなった世斗は声をあげて笑った。
最初はただ顔が好きというだけだった。一度抱いてほしかっただけだった。なのに世斗の心は何度も賢治に救われている。
ここに宿った気持ちは情か。それとも愛なのか。
世斗がそうやって考えれば考えるほど、心の内に住まう”あいつ”はそれが面白くないらしいーー。
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