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7話

 


 両親は厳格な人だった。

 そして彼らの言うことは絶対だった。


 家にはたくさんの決まり事があり一日のスケジュールは分刻みで設定されていた。

 決まりを破れば、その理由や原因そして次からどうすればいいかをきちんと説明できるまで詰められた。自分の状況を客観的に理解し、順序だてしながら言語化する方法はここで培われたように思う。自分勝手な理由で決まりを破ったときは手痛い罰も与えられた。それでも両親は感情で物事を決めることがない人たちだったから、その行為を理不尽だと思ったことはなかった。


 窮屈な生活のように聞こえるが、俺は物心ついたときからそういう生活だった為、特に不満は感じてこなかったのだ。


 頭の中では常に効率よく動くことを考えてそれ以外のことはすべて排除した。

 淡々と理屈で喋る子どもは気味悪がられ、小学生のときは友人と呼べる相手も出来なかった。毎日決まったことをこなすだけの日々を過ごす中、知識に果てがないことに気が付いた俺は勉強が好きになった。


 意外に思われるかもしれないが、両親はテストの点数をとやかく言う人ではなかった。

 点数が悪くても、この間違いはどこから導いたものなのか、どうしたら正解になるのかを一緒に考えてくれる。100点の答案を見せて褒められるのは一瞬だったから、俺はどちらかというと間違った答案を持ち帰るほうが楽しみになっていた。


 俺の造形が人より優れていると気づいたのは中学に入ってからだ。


 靴箱の中に入っている手紙も、休み時間の呼び出しも、そのどれもが女性からだった。

 自分でいうのもなんだが、こんな奴と関わりたいなんて酔狂な人間もいるものだと驚いたが、案の定一ヶ月もしないうちに別れを切り出された。彼女たちいわく「なにか違う」らしい。放課後与えられていた二時間の自由時間を彼女たちのデートに使っていたのだが、その時間ですら図書室で勉強をするか彼女にねだられてカフェに行く程度。流行りものに疎い俺との会話はすぐにちぐはぐになり、お世辞にも楽しいとは言えなった。きっと彼女たちはもっとキラキラとしたデートを夢見ていたのだろう。


 ただその頃の俺は、彼女と長続きする方法を調べるより、単語や方程式を覚えることを優先していた。


 両親は厳しかったが決して愛情がなかったとは思っていない。

 どんなに忙しくても決められた食事の時間には三人で食卓を囲んだ。会話は定期報告のようなものだったが、それでも彼らなりに子どものことを知ろうとしてくれていたのだと思う。


 大学入学をきっかけに実家を出るまでそんな生活を続けていた。


 両親と違う道を、とも思ったが結局俺も弁護士を志すようになった。予備試験を大学一年のときに受けその次の年には司法試験、そして二次試験と進み大学を中退した俺はすぐに両親が営む弁護士事務所に所属した。


 二人が亡くなったのはそれから三年ほど経ったときだ。

 事故だった。


 悲しみにくれるより彼らの抱えていた案件をこなしていくことで手一杯になり、気が付けばあっという間に一周忌を迎えてしまった。

 ようやく仕事も落ち着いた頃、実家に戻ると片付けもままならなかったそこは一年経った今でも生活感が残っていて、時間になったら「ただいま」と声が聞こえるようだった。


 当然のことだが、定められていた時間を過ぎても二人の声が聞こえることはなかった。


 二人の顔を確認した時も、葬式の最中も、薄情なくらい涙の一つも出なかったのに、誰も帰ってこない玄関で俺は咽び泣いた。それから二年ほどかかってようやくすべての仕事を終わらせた俺は一度事務所を畳むことに決めた。


 自分と向き合う時間が増えたことで、本当は何がしたかったのかを考えるようになったからだ。

 ひたすら勉強をして他人に関心を持たない自分という存在が、急にちっぽけに感じるようになったのは二十代を終えたからかもしれない。


 昔付き合っていた女性に言われたことをふと思い出した。

「あなたの言っていることは正しい。でもその正しさが私には辛いの」

 この言葉の意味をもっとちゃんと理解していれば少しは違う人生だっただろうか。


 事務所を畳んでから出会いの場にも積極的に足を運んでみた。

 自分なりに相手に誠実であろうと心がけていたつもりだったが、そこで出会った女性から夜の誘いを何度か受けそのたびに断っていたら「本当はゲイなんじゃないの」とこっぴどく言われた。


 自分にそんな性マイノリティがあるなんて考えたこともなかった。

 言葉の意味は分かる。そういう人がいることも知っている。ただそれがどういう世界なのかは知らなかった。


 否定するには根拠がなくてはいけない。

 その為にはまず知ることが必要だった。

 だからあの日Barに行ったんだ。


 初対面の人間が話しかけてくれるのは、昔も今も変わらない。Barでも俺に話しかけてくれる人はたくさんいた。だけど変わらないのはそれだけじゃない。最後には自分の元から離れていくところまで同じだった。


 相手から笑顔が消えていく瞬間ばかり脳裏に焼き付いていく。


 弁護士という仕事は自分の論理的なところが役に立っていたが、プライベートになるとそれはただの押し付けであると気付いた。人は寄り添ってほしい生き物だ。正論だけが正しいわけじゃない。それなら相手の気持ちを汲み取り不用意な言動をしなければいい。


 頭では分かっているのにそれが出来ない自分に嫌気がさしていたときに、声をかけてきたのが世斗君だった。


 俺よりだいぶ若くて格好良い君から声をかけられるとは思ってもいなかった。

 だから自分だと気が付くのに少し時間がかかったんだ。最初からストレートな言動をする世斗君だったが、俺の気持ちを汲み取って言葉を選んでくれるところが興味深かった。それと同時にこの子はそれがやけにうまいことに気がついた。正直なように見えて本心は隠す。気を遣ってくれていただけかもしれないが、最後まで楽しそうに傍にいてくれたのは世斗君が初めてだった。


 それが何よりも嬉しかったんだ。



 ―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ 



「だいぶ話がそれてしまったな」


 賢治の話は世斗の想像をはるかに超えてきた。今の彼を形成するルーツのようなものがたくさん分かり、目の前にいる佐々原賢治という男をよりはっきりと認識する。正直ただ顔が好きだと思っただけの浅はかな自分とは違い、最初から賢治は好意をもってくれていたことに驚いた。相槌を打ちながら話を聞いていた世斗に賢治は大きく息を吐きだす。


「でも良かった」

「え?」

「こんなに自分のことを話すのは初めてなんだ。嫌な顔をされる覚悟はできていたが、世斗君はあまり変わったように見えない」


 正直あまり聞いたことのない家庭環境に驚いたが、それこそみんなが思い描く普通の家族のことだって世斗は知らない。


「いや、家庭事情なんて色々でしょ……」

「やっぱり優しい子だな」

 そうではないけど。

 首を横に振りながら世斗が尋ねる。

「この話って誰かにしたことある?」

「俺は何とも思っていないんだが、両親に管理されていた生活というのは気分の良い話ではないらしい。オブラートに包んだとしても変な顔をされるのは明らかだったからな」


 本人が受け入れているところが、なおさら異様に聞こえるのかもしれない。

 ただそれこそ他人がどうこう言う理由はない気がした。 


「なるほど。和樹さんは?」

 そういえば事情を知っていそうな口ぶりだったことを思い出す。

「俺が学生のときの生活は知っている。そういえばあいつだけは変な顔をしなかったな」

「仲良さそうだもんね」

「そう見えているなら、気が合っているのかもしれないな」


 二人の関係も聞いたらなんでも教えてくれそうな気がするが、あまり詮索好きだと思われるのが嫌で頷くだけにする。

 正座なんて慣れない姿勢でずっと話を聞いていたせいか足が痺れた。

 手で揉むように足の指先を触る世斗に気がついた賢治は自ら正座を解く。


「俺が正座をしていたからだな。悪い、足は崩してくれていいんだよ」

「いや、俺が勝手にしたことだし……っていうかもう動かせない」

 揉んだところでビリビリとした痺れはすぐに逃げるわけもなく、逆に足全体に広がっていく。片方の手をラグに着き前傾姿勢で足からお尻を浮かせていると賢治が立ち上がった。


「そのままお尻をつけて座りなさい」

「わっ」

 賢治の手によって身体を反転させられて足を投げ出して座る格好を取らされる。伸ばした足先の近くに座りなおした賢治は世斗の右足を自分の膝の上に乗せた。

「やっ、いたいって」

「ここを反らせると早く治る」

 そう言いながら足の指を天井に向くようにゆっくりと反らされて悲鳴をあげる。

「ま、って確かに治るかもしれないけど……ああっ」

 身体を駆け巡っていく痺れに変な声が出た。

 パッと顔を赤く染めた世斗は両手で口を押える。賢治は驚いたように世斗を見つめた。

「す、すまない。強引だっただろうか」

「馬鹿!触られるだけで敏感になっているのに」


 抗議の声を上げるが痺れ自体はたしかに良くなっている。

 明らかに効果を感じた世斗は、少し悩んだ末に左足をゆっくり差し出した。


「右足だけ治ってもしょうがないじゃん。でもゆっくりやって。ゆっくりだからね」

 そうやって念を押すと賢治は「分かった」と返事をした。

 今度は最初から両手で口を押さえて衝撃に耐える。足の指は徐々に反らされていった。声を出せないせいでぞくぞくと身体が震える。

「痛いか?」

 口を開けたらまた変な声が出そうで首を大きく縦に振った。ようやく足を離した賢治の前でぐったりと身体を丸める。そのままジロリと賢治を見た。


「賢治さんって性欲ないのかよ……」

「人並みにはあると思うが」

「だったら!普通はこういうときに襲うもんだろ!今めちゃくちゃいい雰囲気じゃん」


 たった今、世斗の頭の中からポリシーのことは抜け落ちた。

 潤んだ瞳で息を乱しながら叫ぶ世斗に、賢治は目を見開いた後からからと笑う。


「そんな心配しなくていい」

「いや、心配しているんじゃなくてさ」

「今は友達期間だろう。そんな相手に欲情するほど野蛮ではないさ。男だからってまったく体に負担がないわけじゃないんだから、大切にしなさい」


 男同士のやり方を調べたのだろうか。最初に拒まれた時より具体的になった理由に赤面したまま、窘められた世斗は口を尖らせた。


「それじゃキスは?あれから全然してくれないよね」

「まだ話は終わって……」

「やっぱり賢治さんは嫌なんだ。だから俺ばっかり求めているみたいに」

 目を伏せてそう言うと「違う」と聞こえた。その声を合図に世斗は賢治に擦り寄る。


「今度は俺のせいにしていいから……」


 賢治の首に両手を回して唇を奪った。あの快楽を知っている世斗は最初から舌を出して合図を送る。もっと渋るかと思ったが案外あっさりと賢治は世斗を受け入れた。この前のような激しさはなく、永遠と愛撫されているように続く動きにゆっくりと脳が溶けていくようだ。

 一秒たりとも離れたくなくて呼吸もそこそこに口づけしあう。

 のめりこんでいく世斗だったが、賢治にぐいっと身体を離された。


「……もう、終わり」

「やだっ」

 もっと、と強請る世斗に賢治は首を横に振った。「分からずや」と言いたいのをグッと堪えた世斗は立ち上がる。

「賢治さんのけち!もういいよ、トイレだけ貸して」

 そう言い残して部屋を出て行く世斗に「トイレは階段横だ」と告げた賢治だったが、返事の代わりにドアがバタンとしまった。


 部屋に一人残された賢治は大きく息を吐いて顔を片手で覆い、ずくずくと疼く下半身に耐えながらただジッとしていた。



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