4話
弁護士の仕事は俗にいう定時というものがあるのだろうか。
世斗の出勤時間は19時だ。
今住んでいるマンションも志騎に紹介してもらったところで店から近い場所にある。いつもなら18時ころには支度をして家を出るが、今日は17時55分になった今でも支度もせずスマホをずっと握りしめていた。
自分の部屋に戻ってきてからもずっとそわそわとして、やらなくてもいい部屋の掃除までしてしまう始末。落ち着かない。少しでも仮眠をとろうかと思ったが、目が冴えてじっとしていられなかった。
それもこれも目を閉じたら、至近距離で見た賢治の顔を頭に思い浮かべてしまうせいだ。
あの吐息。
あのキス。
少し骨ばった手の感触だけでなく、舌の動きや温度までまだ鮮明に思い出せる。
思春期の子どもじゃあるまいし、たかだかキス一つでこんな風になるとは思ってもいなかった。もっと激しい経験をしてきたというのになんという体たらく。
スマホを握りしめながら時計とにらめっこしていた世斗だったがさすがに重たい腰をあげる。
エドの営業時間も19時からだ。
もしかしたら真面目な賢治は営業時間内に合わせてくるかもしれない。あの人の事だから嘘はつかないと思うが世斗は不安だった。もし志騎の店に来なかったら、今後世斗が賢治と会うことはないだろう。調べたら分かることかもしれないが、自然消滅を願った相手にそれはできない。
志騎には賢治がきたら連絡をして、と頼んである。
今日一日スマホを気にしてばかり。一旦気持ちを落ち着かせるために世斗はようやくスマホをベッドの上に置いた。支度を始めるが自然と目線はスマホに向いている。
本当にこんなことになるとは思っていなかった。
抱かれたいと思っているが主導権は世斗にある。いや、なくてはならない。より良い一回を迎えるために世斗は賢治と友人になることを決めた。
そうして信頼関係を築いてから、お互いにとって最高の一夜を目指す。
賢治にとって世斗は初めての相手ということだ。
男もいいと思えるかは世斗にかかっている。
お友達期間を経てゆっくりと段階を踏んだ後ようやく身体を重ねる。良い思い出が出来たことを互いに喜びあったあと、きちんと別れれば誠実な賢治も分かってくれるはずだ。
これは特別な相手を作るということじゃない。
よりよい一回を迎えるための下準備。ワンナイトに変わりはないが、世斗なりに最大限の誠意を表している。
支度を済ませた世斗はスマホを手に取った。案の定連絡は来ていない。気落ちした息を吐いた世斗は小走りで店へと向かった。
ーーーーーーーーーー
賢治のことが気になっていたが、きっちりと仕事を終わらせた世斗は急いでロッカールームに戻る。すぐにスマホを手に取ると通知画面に志騎の名があった。おそるおそるタップして開くと待ち望んでいた言葉が目に入る。
『賢治さんの連絡先』
19時10分に来たメッセージには連絡アプリのIDと電話番号が書かれていた。
予想通り賢治は19時ちょうどに店に来たのかもしれない。やっぱり真面目だなとなんとなくその姿を想像して口角が上がる。
「なになに、セトちゃんご機嫌だね」
「那騎さん!」
後ろから声をかけられて咄嗟にスマホを隠す。振り返るとこの店のナンバーワンである那騎が興味深そうに世斗の顔を覗き込んだ。少し伸びた金髪が揺れて那騎は眉を上げる。
「なんで隠すんだよー。そんないい連絡?」
「えーっと。……志騎さんからで」
那騎は一番お世話になっている先輩だ。隠すことはないのだが世斗は内容は伏せて志騎の名前を使う。志騎の名前を聞いてぴくりと反応した那騎は、表情を明るくさせたのも束の間口を尖らせた。
「セトちゃんばっかずりぃ。志騎さん俺のメッセ既読無視するんだけど」
「あー……あはは。でも二人の関係だからこそ出来ることじゃないっすか?志騎さんが一番頼りにしてるのは結局那騎さんだし」
「えー。俺に接客術使う必要はねぇのに」
「今さら那騎さんにそんなことするわけないでしょ?本当ですよ」
疑いの眼差しを向ける那騎に対して世斗は思い出したように笑う。
声を落として小さく手招きした。顔を寄せた那騎にもったいぶるように口を開く。
「俺が言ったってぜったいに言っちゃだめですよ」
「こうみえて俺が口固いの知ってるだろ?」
「知ってます。だから特別ですよ?……志騎さん那騎さんからのメッセージ見るとき笑うんです。ほんの少しですけど」
「え?」
「それで俺が誰からですか?って聞いたら那騎ってすごい優しい声で言ってました。意味の分からないものばかり送ってくる、とも言ってましたけど。多分嬉しいんじゃないかな」
「……マジで?」
素早く何度も瞬きを繰り返した那騎はすぐに破顔した。よほど嬉しかったようで、世斗のスマホのことなど忘れているようだ。
名前からも分かるように志騎の熱烈な支持者。文字被りはしないのがお店の暗黙の了解だが、那騎という名前はその熱意に負けた志騎自らつけた名前らしい。
「それにしても俺はいまだにセトちゃんが志騎さんにタメっぽく話しているの違和感あるからな。あの夜の帝王だった志騎様を知っていたらそんな態度とれないと思う」
「いやぁ。最初からそうだったから今さら変えられなくて」
那騎から聞く志騎の話は信憑性が高い。
気になる話題だが詳しい話を聞く前にフロアの方から那騎を呼ぶ声が聞こえた。大きな声で返事をした那騎はひらっと手を振る。
「セトちゃんこれで上がりだろ?お疲れ」
「お疲れさまでした」
挨拶もそこそこにロッカールームを出て行く那騎を見送った。
話好きで面倒見の良い那騎は、志騎直々の推薦で店にやってきた世斗の面倒をよく見てくれた。前の店と比べれば天国のような職場だったが当然やっかみもある。ただそれも那騎のおかげで大きな揉め事にならず今までやってこられた。那騎もまた世斗にとっては兄代わりと言える存在だ。
明るい華やかさがある那騎から勝手に勇気をもらった世斗は、帰り支度を済ませいつもより急いで夜の街を抜ける。人気がなくなったところでようやく賢治の番号に電話をかけた。
『はい。佐々原です』
明け方まで聞いていた声なのに、電話越しのせいかどこか固い印象を受ける。
変に緊張してしまった世斗は咄嗟に声が出なくなった。代わりにどくどくと心臓の音が反響する。知らない番号からかかってきているんだ。怪しいと思われる前に何か言わなくてはと焦ってなんとか声を絞り出す。
「あー……え、っと。世斗、です」
『世斗君!?』
僅かに跳ね上がった賢治の声に表情が緩む。けれどそのおかげで少し緊張が解れた。落ち着いてスマホを耳に当て直す。
「うん。あ、こんな時間にごめん。今大丈夫?」
『まったく問題ない。それよりまさかこんなに早く連絡が来るとは思っていなくて』
「あはは。なんかすごく驚いていたでしょ」
会話を続けていくにつれ自然と笑い声まで飛び出す。
『あぁ。恥ずかしいことに今日一日ずっとそわそわしていた。普段あまり“たられば”は考えないようにしているのに、ずっと世斗君のことを考えていて……おかしいだろう?』
速足で歩いているせいだ。
胸がきゅっと締め付けられるような気がしてスピードが落ちる。ドキドキしているわけではないし、自分と同じだったことが嬉しかったわけじゃない。ただ速足で歩いて疲れているだけだ。
「そっか。あ、でも俺も似たような感じだからおかしくないよ。……っていうか“たられば”って何」
照れ隠しもこめてそう言うのが精一杯。
話を変えようと質問をすると、真面目な賢治はその言葉の意味を丁寧に教えてくれる。講義のような話を聞きながら、小走りになった世斗の足はいつの間にかエドの前で止まった。
『要するに、もしかしたら・こうしていれば、と考えることだ。仮定のことで後悔するのはよくないのだが、もっと上手く話が出来たはずなのにと思わずにはいられなかった』
「なるほど」
志騎の声は心地いい。ラジオを聞く感覚で声を聞いていたら気持ちが落ち着いた。軽く相槌を打っていると少し間が出来る。そういえばこんな話をするために連絡をしたわけじゃない。賢治も分かっているんだろう。ぎゅっと身構えた世斗の耳にためらうような賢治の声が聞こえた。
『……それで。世斗君から連絡があったということは、返事をしてもらえるということでいいのか?』
「うん」
すっと息を吐く。
軽く咳ばらいをした世斗は思い浮かべた言葉を辿るようにゆっくりと口にする。
「やっぱり俺は特別な相手をつくる想像が出来ない」
『……そうか』
一瞬の間を置いて冷静な声が聞こえた。このまま引き下がられたらという焦りが世斗の言持ちも急かす。
「で、でも。もし、賢治さんがいいなら、友達からとかじゃダメかな」
もっとスマートに言えるように考えていたが、頭が真っ白になって用意していた言葉より先に口が動いた。口早にそう伝えると電話越しに息をのむ音が聞こえる。
『ダメなことはない。もちろんそれで大丈夫だ』
「ありがとう」
『礼を言うのはこちらだ。それに少し急ぎすぎたな。ゆっくりお互いのことを知っていけばいい』
「うん」
『ペースは世斗君に任せたほうがよさそうだな。会える日があるなら嬉しいが』
「基本的に昼間は大丈夫だけど、賢治さんは仕事でしょ?」
『少し事情があって今は休職しているんだ。知人から頼まれたことは請け負うが新規はとっていない。だから予定は合わせやすいと思う』
「そう?それなら、来週とか……」
連絡もすぐしてしまい、会う日程もさっくりと決まってしまった。
拒んでいるくせに、がっついているように思われるだろうか。そんな世斗の不安も他所に、賢治の口調的には気にしていないようだった。
「うん、それじゃ水曜日の11時に」
『あぁ。よろしく』
電話を切った後も、どくどくと心臓が激しく動いているのを感じる。
今日はあまり酔っていないのに、ふらふらとした足取りで階段を下りた世斗は店に入るなりしゃがみこんだ。
「え、大丈夫?」
昨日よりいくらか落ち着いた店内。入口近くにいた客にそう声をかけられるが、今は気を回す余裕もない。
「だ、いじょうぶです」
返事だけしてゆっくり立ち上がりいつものカウンター席に向かう。
「おい、大丈夫か?」
ふらつく世斗に気付いた志騎が慌てた様子で駆け寄ってきた。肩を貸してもらいようやく椅子に座った世斗は首を縦に振る。
「俺ホストだよね?」
「は?」
心配してくれていた志騎が一気に怪訝な顔で世斗を見る。その視線を受け止めきれず世斗は頭を抱えた。
「分かんない。こんなの俺じゃない。別に普通の会話だったんですよ?それなのになんで。なんでこんなドキドキしなくちゃいけないんだ。あの人と関わるのやめようかな」
事情を把握した志騎は「心配させるな」と世斗の頭を軽く小突く。
「電話したんだな?」
「うん。それでこれだよ?俺やっぱり無理。こういうの向いてないって」
「大丈夫。大丈夫。酒が回っただけだって」
なんだこれ。
なんにもうまくできない。女の子相手に出来ることが何も出来ない。悔しいとも違う。あまり感じたことのない感情を上手く処理できず世斗は泣き言を言い続ける。
まるで初恋の相談みたいな内容を聞かされた志騎は苦笑を堪えきれなった。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!
良かったら評価など頂けたら励みになります!




