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3話

  


 今までの相手の中に世斗の好みのタイプは何人もいた。身体を重ねたあとで惜しいなと思ったこともゼロではない。ただそうは思ってもその次を約束することはなかった。お互い後腐れのない関係が一番楽だ。それ以上の一歩踏み出した関係になったら感情だけで動けなくなる。


 残念ながら、ただ「好き」でずっと一緒にいられると思うようなハッピーな脳みそは持ち合わせていない。


 世斗は薄汚れたスニーカーの先を見つめる。

 接客をするときに履いている革靴はお客さんが買ってくれたものだ。質の良いブランド品の靴を普段使いすることに躊躇いがある。一歩外に出れば自分にはこの格好がお似合いだ。

 だから余計に世斗は隣に並ぶ靴を見てげんなりした。

 汚れが一切ない光沢の美しい革靴と薄汚れたスニーカーは、完全に持ち主の人となりを表しているようで落ち着かない。


 自分とは違う。

 賢治はお客さん側の人間だ。


 きちんとした職業で、学もあって、おそらく裕福な家庭に生まれている。何よりこの男は同性愛者ではない。

 まるで正反対だ。

 誰かと比べるのは止めたつもりでいたが、勝手に想像した賢治の人生が脳裏を流れていく。


 そんな相手と真剣に付き合った先に待っているのが幸福なわけがない。

 そもそも真剣に付き合うということ自体、世斗にとってひどく難しいことだった。

 

 拒む理由なんていくらでもあるが、世斗の口は堅く結ばれたまま。

 本当にただ抱かれたいだけなのか、それとも賢治に対して特別な感情があるのか。自分の事なのに分からない。

 それが心許なくて世斗はただ途方に暮れる。


「……やはり急だっただろうか」


 すまなそうに賢治がそう言うから世斗は慌てて首を横に振った。

 同性愛者だって相手に誠実さを求めている。普通に恋がしたいと願っている。どんな性であっても特別な誰かに愛されたいという気持ちは共通しているのだ。だから世斗のようなタイプのほうが珍しい。


 おかしいのは世斗の方だ。

 けれど世斗をおかしくさせたのは世斗じゃない。


 苦い感情がこみあげてきて世斗は考えるのをやめた。

 賢治はこの間にも世斗の返事を静かに待っている。嫌な記憶を心の底に押し込めて無理やり頬を持ち上げる。


「あ、のさ」

「なんだ?」

「今までそういう特別な相手っていうの作ったことないんだよね。一夜だけっていうのが俺のポリシー……みたいな」


 こうなったら相手に決めてもらおう。

 また世斗の悪い癖が出た。

 賢治は大きく瞬きをする。その顔に嫌悪感が滲むかもしれない。自分で言いだしたくせに見ていられなくなった世斗は完全に俯く。真面目な賢治のことだ。なんと言われるのか想像すらしたくなくて呼吸が凍りつく。

 

 俯いたままでいる世斗の頭頂部を見つめていた賢治はゆっくりと口を開いた。


「そうか」

「……え、それだけ?」


 何か言葉に続きがあると思いぎゅっと身体を固くするが、いくら待っても沈黙が続くだけ。思わず顔を上げてそう聞き返せば、賢治はまっすぐと世斗の目を見つめていた。


「俺と付き合ってからもそういう行為を続けるのであれば恋人として改めるように言うが、出会う前のことは世斗君も言われたくないだろう?」

「それは……そうかもしれないけど。賢治さんそういうの気にしそうじゃん」


 あまりにも物分かりの良いことを言う。

 本当にこんな人間がいるのだろうか。とんでもない裏がありそうで怖気づく世斗を余所に、賢治は噛み締めるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。


「まぁ気にならないといえば、嘘になるが……」

 

 賢治はそこで言葉を区切って少しだけ目尻を下げた。慈しむような穏やかな顔で見つめられ猜疑心があっという間に消える。


「そのことを隠しても良かったのに、正直に話してくれた世斗君の誠意が愛おしく思うよ」

「い、愛おしい!?」

 

 あまり見たことはないが時代劇に出てきそうな言い回しに世斗の声が裏返る。だが賢治は恥ずかしがる素振りすらみせない。


「すでに世斗君も感じているかと思うが、俺は面白みのない男だ。世斗君が俺と付き合うメリットは正直ない。頭が固く融通がきかない。遊び心もないし悪いことを許容することも出来ない」

 

 ずいぶんつらつらと欠点が出てくる。ぽかんとする世斗に賢治は「全部言われたことがあることだ」と自嘲気味に笑った。


「だから一緒にいて窮屈に感じるのだろう。もちろん俺もこの性格は自覚している。寛容になろうとしたことだってある。ただ、自分の中では全て当たり前のことだから、改めることが難しいんだ。だから俺と付き合うということは、世斗君に窮屈な思いをさせることかもしれない。それをきちんと考えてから返事が欲しい」


 返事が出来ないでいる世斗の前で賢治はカバンを手に取った。


「あっ。もう……帰るの?」

 まだ考えがまとまっていないのに、とっさに引き留めようと腕が伸びる。賢治はさらりと世斗の手をかわして首を縦に振った。

「もし返事をしていいと思ってくれたら、マスターから俺の連絡先を聞いてくれ。俺は店を長時間使わせてもらったお詫びも兼ねて仕事終わりにここに寄るつもりだ。その時に連絡先を伝えておくよ」

「え。あぁ、うん」

「世斗君と話すのは楽しかった。ありがとう」


 返事を待っているとも言わずあえて世斗に判断を委ねた賢治はそのまま店を出て行った。

 行く先を失った世斗の腕はだらんと下がり、静かな店内にカツカツと響いた革靴の音が頭の中を反芻している。目を閉じればこの数十分の間に起きたことを鮮明に思いだせるのに、世斗は一人寂しく店内に残されたまま。


「なんなんだよ、もう」


 すとんと椅子に座った世斗は両手で顔を覆う。

 それこそさっき賢治が言った自分の欠点というのは言わなくてもいいことだ。人を試す癖がある世斗とは違う。どこまでも誠実な人。そんな賢治の言葉だから深く身体の奥底まで響く。


「もし……俺が本気になったらどうすんだ」


 ため息と共に感情を吐露する。

 一夜限りの相手にだって好意はある。だけどこれは少し違う。このまま進んでいったら今まで自分の中にあった譲れないものが壊れてしまう気がした。バタバタと地団駄を踏んでもう一度大きく息を吐く。しばらくジッとしていた世斗は覆っていた手でパンと両頬を叩き立ち上がった。カウンターの裏側に入り引き出しから鍵を取り出す。店を出てきちんと閉めた鍵をポストに入れたあと、階段を上がりうっすらと夜が明け始めた空を眺めた。


 世斗がとぼとぼと向かったのは、自分のマンションではなく店の近くにある高級マンション。出迎えてくれたコンシェルジュに自分の名前と志騎の名を告げるとすぐに案内してくれる。突然やってきた世斗に驚くこともなく志騎はにこやかに迎えてくれた。


「世斗がここに来るの珍しいな」

「うん。……ごめん、急に」

「随分しおらしいな。まぁ来るかもとは思ってたけど」

「なにそれ」


 志騎は揶揄うように片方の口角だけあげて笑う。リビングに向かう志騎のあとをついていった世斗は、中に入り懐かしさを感じてようやく一息ついた。


「何飲む?」

「あ、大丈夫」

「遠慮しなくていい。少し待ってな」


 昔に比べると知り合いも増えたが、相談出来る相手というのは志騎しかいない。店でもないのに、気を遣わせてしまって申し訳なく思うが志騎はそう言うとキッチンへ入っていった。

 

 大きなソファの端っこに座った世斗はくるりと部屋を見渡す。

 志騎に言われた通り久しぶりにここに来たが、初めて部屋に来た時から内装は特に変わっていなかった。必要最低限の物で揃えられたシンプルな部屋で、一際目立つ異国のお面と大きな観葉植物はあの頃のまま。だから余計に懐かしい。


「それで、あの人となんかあったんだろ?」


 リビングに戻ってきた志騎は紅茶のカップを机に置きながら尋ねる。なんと切り出そうか悩んでいたが、あっさりと本題に入られてしまい世斗は頭を抱えた。


「いや……その、思ったよりも面倒というか、俺はただいつもみたいに出来れば良かったんだけど、なんかもうどうしたらいいか分からなくて」

「世斗がそうやって相手に悩むの初めてか」


 志騎自身想像していなかった返事に目を丸くしたが、すぐに小さく笑って隣に腰を下ろした。


「笑いごとじゃないって」

「なんか真面目そうな人だよな。世斗の他にも何人も声をかけていたよ」

「そりゃそうでしょ。あんなに格好良いんだもん。それに性格もさ、ちょっと変なところがあるけど素直で誠実な人だし、いい人っていうのが伝わ……」


 反射的にそう言ったあと口を閉ざした世斗はゆっくりと顔を上げる。

 志騎は笑いを耐えているのか口に手を当てて肩を震わせていた。


「志騎さん!」

「っ、ふ……ごめんごめん」


 頬を染めた世斗が非難めいた声で名を呼ぶと、堪えきれなくなった志騎がふきだす。

 笑いながら謝られた世斗は口をパクパクと動かしたが、結局言葉は出てこずソファの上で体育座りをすると膝に顔を埋めた。


「ひどい」

「拗ねんなよ」

「別に拗ねてないし……とにかく、賢治さんはいい人ってこと」


 完全に拗ねている人の言い分だが、世斗は膝に顔を埋めたままぼそぼそとそう言った。志騎は優しい笑みに変え、机の上のカップを手に取る。


「まぁ笑っちゃったけど、実際少し嬉しく思っている」


 紅茶の香りが世斗の鼻をくすぐった。どんなに急いでいてもティーバッグではなく茶葉を使うところも昔から変わらない。店を始める前から志騎はこだわりが強い男だった。

 単に行きつけのBarの店主ではなく世斗にとっての志騎は、先輩であり、友人であり、兄代わりだ。

 店にいる時とは違う砕けた口調にどこか落ち着かない表情を浮かべた世斗は、足を抱える手に力を込める。


「告白でもされたか?」

「……なんでそんな何でもわかるんだよ」

「世斗の場合、けっこう分かりやすいからな。顔に書いてある」

「そんなことないし」

「まっ冗談は置いといて。さっきの話には続きがあるんだ」

「続き?」


 ようやく顔をあげた世斗に志騎は頷く。


「ああ。昨日あの人に声をかけた人はたくさんいた。たしかにあの見た目だ。普通の奴なら放っておかない。けど、あんなに長い時間楽しそうに会話していたのは世斗だけだったよ」

「なんでだろ。様子はおかしい人だけど話してみれば面白いのに」

「それに気が付いたのが世斗だけだったんだろ?」


 (俺だけ……)


 そんなことあるだろうか。

 だってあんなに顔がよくて、話してみれば面白くて自分を大切にしてくれそうな人。

 それに気が付いたのが自分だけというのは話が出来すぎている。

 

 自分にはもったいない相手だ。

 賢治は世斗という人間を誤解している。実際自分がどういう人間なのか知ったら離れていくに決まっている。


 どんどんとネガティブな方向に思考が偏っていき世斗は膝を抱える手に力を込める。


「世斗。一口飲んで」

 冷えてきたせいか身体がどんどん強張っていく。志騎の優しい声にゆるゆると顔を上げると「冷める」とカップを差し出された。両手を伸ばしカップを受け取ると、じんわりと手の平に伝わってくる熱を感じてふっと呼吸が楽になる。


「あの人……賢治さんだっけ」

「うん」

「賢治さんに返事したのか?」

「まだ。なんか自分のこと面白くない男みたいなこと言っていた。遊び心がないとか融通が利かないとかで、俺に窮屈な思いをさせるかもって」 

「へぇ。世斗はそれを聞いてどうやって断ればいいか悩んでいるんだ?」

「え。うん……。うん?……あれ?断る……」


 すぐに返事をしてみたが、言葉にしてみると何か違和感がある。

 そういえばどうしてここに来たんだろうか。

 自分なりに賢治に言われたことをよく考えてみた。そして理解したつもりだった。でも断り方なら志騎に連絡先を聞かなきゃいいだけの話で、そのままフェードアウトすればいい。


 それじゃ自分は志騎になにを相談しにきたのだろうか。


 黙り込んでしまった世斗を見つめていた志騎はそっと目を逸らした。そのままおもむろに立ち上がると大きな窓に近寄り外の景色を眺める。


「世斗は他人の心の機微に敏感だろ」

「え、なに急に。……そんなことないと思うけど」

「いいや。実際世斗は上手くやってるよ。お客さんからの評判もいいし、あそこに看板が出せるようになるなんて正直出会った頃は考えられなかった。あんなに生意気なガキだったくせにな」


 昔のことを持ち出されると否定は出来ない。世斗は志騎の言い分に苦笑しながらこくんと頷いた。お互い第一印象は最悪だったし、そのあともしばらく志騎の優しさには裏があると思っていたくらいだ。


 志騎があそこと指をさした場所に心当たりがある。

 歓楽街の待ち合わせスポットにもなるホスト看板が並ぶ場所だ。世斗が看板撮影に呼ばれたのは先月のこと。入ったばかりの頃は空回りばかりしていたが、いつの間にか”聞き上手の世斗”と言う微妙にダサい通称がつけられるようになり、固定のお客さんも増えていった。売り上げトップには程遠いが自分でもまさか看板が出せるようになるとは思ってもいなかった。


「だから今日までのことは全部世斗の頑張りだ。今まで世斗が人に尽くしてきた分、今度は自分が王様になったつもりで考えてみたっていいだろ。相手の気持ちを考えるより前にまずは自分の気持ちと向き合え」


 おいで、と手招きされてソファから立ち上がる。38階から見る景色は馴染みがないが、足元には見慣れた場所が広がっていた。


「ほら、この景色見ると王様って感じするだろ?」

「あははっ、なにそれ」


 元気づけてくれる志騎に思わずふきだした。


「さすが志騎様」

「……誰に聞いた?」

 思わず漏らした言葉に一瞬昔の志騎が垣間見える。

「いやぁ。噂で」


 世斗が出会った頃はそう呼ばれていなかったが、志騎は昔の呼び名を気に入っていないらしい。誤魔化すようにそう言うと志騎は見当がついていると言いたげにため息をついた。何も言わずくしゃくしゃと髪を混ぜられソファの元へ戻っていく志騎を追いかける。


 世斗が働くホストクラブは志騎に紹介してもらった場所だ。

 志騎は今の代表と共に現役のプレイヤーだったと聞いているが、本人はあまりその話をしてくれない。深掘りしたら面白い話が聞けそうだけど、あんまりしつこくして嫌われても困る。それに本人のいないところで聞く話など大して当てにならないことを世斗はよく知っていた。


「噂か。俺の話なんて尾ひれが一人歩きしてるだけだろ」

「全部信じてはいませんよ。俺はおとぎ話に興味なんかないし」


 どんなに距離が近くても言いたくないことなんていくらでもある。


「おとぎ話か」

「そうですよ。あんなの誰かの心を刺激するためにみんな好き勝手言うんだから。志騎さんに関する話は志騎さんから聞きます」

「お前は昔からそう言うよな。けど実際聞いたことないだろ。あ、俺に興味ない?」

「違いますよ」


 食い気味に答えると志騎は可笑しそうに肩を震わす。揶揄われたことに気付いてムッとしたように世斗は答えた。


「興味はあるけど言いたくないことを無理に聞き出すような趣味はないってこと。志騎さんあんまり昔の話したがらないじゃん」

「吹聴したくないだけで世斗にならいいって思っているよ。それに言いたくないことは言わないし、前から言ってるだろ。あまり気を遣いすぎるな」

「うーん。別に気遣っているつもりはないんだけど」


 世斗自身これが一番楽だからそうしているだけ。スッと目を逸らした世斗を見て志騎は苦笑した。


「話は戻るけど、世斗は賢治さんにそう言われても嫌じゃなかったんだろ?」

「嫌っていうか、窮屈な思いさせるかもって言われても正直よく分からないし。ただ俺は特別な相手を作るのが怖いだけっていうか」

「試してみればいいだろ。その辺の境界線をお互い相談してさ」

「境界線?」

「ああ。これはいいけど、これは駄目。っていうのをさ、決めておけば楽」

「そうかもしれないけど……俺はそもそもワンナイト出来ればいいんだし、そんな面倒なこと出来る気がしない」


 面倒という言葉でまとめがちだが、自分が他人と上手くいくわけがない、というのが根底にある。


「俺は特別じゃねぇの?」 

「今さら志騎さんはそういうんじゃないし。それに恋愛感情とか絡んでくるとって話」

「じゃあ賢治さんもお友達からってことで連絡してみれば?」


 たしかに友達なら、特別な相手ってことにはならないのかもしれない。


「まぁ、そういうもん、かな?」

「そうそう。あまり難しく考えるな。賢治さん悪い人じゃなさそうだったし」

 なんだか言いくるめられている気もするが、志騎に言われるとそんな気がしてくる。それに人を見る目がある志騎が、悪い人じゃないと言うのなら本当にそうなのだろう。

「また悩んだらいつでもこいよ。可愛い弟の為に志騎さん家は24時間営業だから」

「コンビニじゃないんだから。でもありがとう。本当いつも助かっています」

 軽く頭を下げた世斗の髪をぐしゃぐしゃと撫でた志騎は穏やかな顔で笑った。




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