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2話

 


「アッ、ハハハッ……ひぃ、っもうダメッ。面白すぎるっ……賢治さん真面目っていうか、けっこう馬鹿?それか、天然か……ふっ、ふふっ」

「そんなに笑うことはないじゃないか。俺は真剣に言っているんだ」

「だから、そこがさらに面白いんだって」


 笑いすぎてお腹が痛いし涙も出てくる。

 乱れた呼吸を整えつつ会話をするが、ふと思い出してはまた笑いがこみ上げてきて埒が明かない。


 世斗は笑われて不本意そうな顔をしている賢治を改めて見る。


 男の名は佐々原賢治。

 初対面の印象はあっていた。銀行員ではなかったが、弁護士という固い職業に就いているらしい。こんなところでフルネームを堂々と言う人と会うのは初めてだ。ただ賢治はさも当然だと言う。


「それで?ゲイなんじゃないの?って言われて確かめにきたんでしょ?」

「いや、確かめるというのは語弊がある。俺はそういった世界に今まで触れてこなかったからよく知らないんだ。知らないからってその世界を否定することは出来ないだろう?だからこそしっかりとその実態を知るために……」

「はいはい、もう分かったからそれ以上喋らないで」


 面白すぎる。

 これ以上聞いていたら呼吸困難になりそうだ。

 まだ喋っている賢治を遮ってひぃひぃ笑う世斗に、賢治は口を閉じてむくれた顔をした。

 それがまた可笑しい。


 彼女は出来るけど鬱陶しがられてすぐにフラれてしまう。

 つい最近気になっていた女性に「ゲイじゃないか」と言われ、もしかしたらそうなのか?と思いそういう人が集まる場所に来て確かめてみようと思った。

 このバーはたまたま同性カップルみたいな人の後に着いてきただけ。

 声はかけられるが、少し会話をするとすぐにみんな離れていってしまう。


 要約すると大体こんな感じ。

 これを聞いて笑わずにいられるだろうか。

 世斗の中にある弁護士のイメージがどんどん崩れていく。


 思い出しながら笑い続ける世斗の前にコンとコップが置かれる。涙目のまま見上げると志騎が水を持ってきてくれたのだと分かった。気付けばお客さんはみんな帰っていて店内には世斗と賢治しかいない。


「だいぶ盛り上がっているみたいだな」

「申し訳ない。閉店の時間だろうか」

「いいんですよ。俺一人でのんびりやっている店なので」

「志騎さん、ちょっとこの人の話を一緒に聞きましょうよ。……ふっ、あははっ、ほんと、面白い」


 思い出し笑いをする世斗を、賢治はとうとう不機嫌そうに目を細めて見やる。


「俺は笑い話のつもりで話したんじゃないんだが」

「わかっているって、……で、でも面白いものは面白いんだもん」

「世斗、あまり人の事情を揶揄うなよ」

「えぇ志騎さん話聞かねぇの?」

「あぁ、一度部屋に戻る。鍵はいつものように戻しておいて」

「はぁい」


 仕事のときは気を張っているから平気だが、楽しく酒を飲みすぎると世斗の語尾は若干幼くなる。

 ひらひらと手を振って志騎を見送った後も小刻みに肩を震わせていると、賢治がぼそっと呟いた。


「ずいぶん信頼されているな」

「え?」

「あのマスターだ。志騎さんと言うのか?」

「あぁ、うん。俺のお兄さんみたいな人なんだ」

「そうか。君もこの辺りで仕事を?」


 世斗が頷くと賢治はまた何やら考え込んだ。

 真面目な人だからすぐに考えるのだろうか。賢治が思案している顔は嫌いじゃない。わずかに寄った眉間の皺も整った顔には映える気がする。


 真面目という漢字が服を着て歩き出したような人。

 この見た目を性格のせいで完全に無駄にしていて、とてももったいないと思う。女はもちろん男にだってモテるタイプだろうに。


 そう考えると、なんだか可愛くも見えてくるんだから不思議だ。ノンケっぽいがなんとなくこっちの世界の人にもなりそう。


 偏見はないらしく、すでに片足はこちら側に突っ込んでいる状態だ。そう考えると世斗はたちまちそういった目で相手を見てしまう。


 賢治はどちらの人間か。

 見た目はタチ。だけどこういうタイプは意外とネコも多い。タチだったら良いなというのは世斗の希望にすぎない。

 要はすでに世斗は賢治に抱かれたいと思っている。


 気持ちがよければ何でもよくて、人を試すわりには特にこだわりもない世斗にとって、それは稲妻のような激しい衝撃だった。


 “この人に抱かれたい”


 何人もの相手と寝てきたがそんなこと一度も思ったことはなかったのだ。いつもその場の空気を読みながら、相手に身を任せていれば気持ちよくなれる。

 一度相手を試しているのだから、それでもいいと言ってくれた人の意見を尊重したいと思うのは当然のことだろう。


 そこに自分の意思など必要ない。

 自分を求めてくれた相手に尽くして、最高のセックスを楽しむだけ。


「世斗君……世斗君、大丈夫か?」

「えっ!あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」


 頭に思い浮かんでいた光景があまりにも下品で顔が熱くなる。


 おかげで酔いが覚めた。

 近頃ご無沙汰だったせいか、思考が偏っているのかもしれない。バレているわけがないのに慌てて誤魔化すと賢治が顔を近づけてきた。


「あ、えっと」

「ずいぶん顔が赤いな。酔いが回ってきたのだろう。マスターのいない店に長居をするわけにもいかないから、そろそろ帰ろう」


 歓楽街で働いているのに、こんなに酒が弱いはずはないだろう。けど、そう思ってくれたのならそれでいい。

 抱かれたいなんて欲求を隠すべく、世斗は顔をパタパタと扇ぐように手を動かした。


「大丈夫。俺ホストやっているからけっこうお酒強いし、ちょっと熱くなってきただけ」

「そうか。世斗君は話し上手だし、ずいぶん可愛らしいからそんな気がしていた」


 一瞬聞き流しそうになるくらいさらっと言われた言葉にますます顔が熱くなる。 そんな自分にうんざりした。違うだろう。そういうことを言うのは世斗の得意分野のはずなのに。 モテないなんて嘘じゃないかと世斗はじとりと賢治を見る。


「賢治さんさっきの話やっぱり冗談だったんじゃないの?」

「なんの話だ?」

「モテないって話だよ」

「なんでそうなる」

「いや、だってさぁ……そういう言葉、賢治さんみたいなタイプの人が言うとマジに聞こえる」

「いったいどれのことを言っているんだ?俺は思ったことを言ったまでだが」

「……やっぱり変」


 嘘を嘘と思わせないのが世斗の仕事。

 だからこういう言葉にいちいち照れたりしないのに、なぜか賢治の言葉はまっすぐ心に向かって飛んでくる。リアコ営業をしている先輩だって身近にいるがそれとは少し違う。馴染みのない空気にあてられた世斗は、なんだかふわふわと心が宙に浮いているように感じた。


 店を出れば弁護士である賢治とホストの世斗の接点はなくなる。

 雰囲気は悪くない。

 仮にも同性が好きだという自分が目の前にいるのに、賢治はそういう可能性を少しも考えないのだろうか。そう思うとチリチリとこめかみが疼く。帰り支度を始める賢治の動きを目で追いながら世斗は咄嗟に呼び止めた。


「賢治さん」

「どうした?」


 世斗が名を呼べば手を止めてしっかりと目を見て返事をくれる。それがくすぐったいような変な気分にさせる。


「賢治さんの知らない世界。俺が教えてあげようか?」


 クールな賢治の表情が徐々に驚きに変わっていく様子を見て世斗はまた笑ってしまった。



 ――――――――――― 



 かち、かち、と秒針の動く音が聞こえる。

 沈黙に耐え切れなくなった世斗が大きな声をあげた。


「そんなに拒むことないじゃん!男が嫌なら目瞑ってれば分からないし、それに何も本番ってわけじゃないんだから。ゲイか確かめたいんでしょ?俺、ヨくしてあげるよ?」

「そういう行為ならなおさらダメだ。それにもっと自分の身体を大切にしなさい。見ず知らずの人間にそういうことを軽々しく言うもんじゃない」

「身体を大切に、ってなんだよそれ。俺、男だよ?女の子でも未成年でもねぇの!」


 さっきから二人は睨み合ってずっと同じ押し問答を繰り返している。


 据え膳食わぬは男の恥っていうだろ?

 自分で言うのもなんだが、いい展開に持っていったつもりだった。

 同性相手だからこそ気持ちの良いこともある。

 それをたっぷり教えてあげるつもりだった。今日一日では伝えきれなかったとしても、新しい快楽を知ればその先は自分で探求すればいい。いくら真面目だといっても賢治だって男だ。それくらい分かるだろう。


 特別な相手を作らない世斗のポリシーは、一度寝た相手とは関係を続けないということ。

 たった一度。

 最初から互いにそれが分かっていれば、燃え上がる熱の勢いは増す。


 褒められた行為でないことは分かっているから「試しにどう?」と誘ったのだ。賢治も興味があると言っていたのだから、悪い話ではないと思ったのに。

 世斗なりの健気な気持ちを全く理解していないこの堅物男は説教を始めた。


「いいか?男も女も関係ない。自分の身体というのは心も含まれている。こういった行為は深い愛情の上、お互いの気持ちが高まったときにするべきであって……」


 このありさまだ。

 世斗はこんこんと説教を続ける賢治をうんざりした顔で見やった。


「それじゃ賢治さんは俺のこと嫌いってこと?」

「そうは言っていない」

「ならいいじゃん!」

「だから、順序があるだろうと言っているんだ」


 嫌なら嫌と言えば納得も出来るが、そんな言い方をされてはモヤモヤだけが残る。今まで相手に固執したことはなかったのに何故か引くに引けない。

 誘いを断ることはあっても断られることなんて一度もなかったのだ。そもそも世斗から声をかけること自体異例のこと。


 至極真っ当なことを言われているからこそ認めたくない。

 この男に執着しなくても、この身体の熱を発散させる術なら知っている。どうしても相手が必要なら自分の悪い癖を押し殺し、欲望のまま探すことも可能だ。


 それなのに世斗は目の前にいる男を繋ぎとめようと必死になる。


「賢治さんが言ったんだろ。知らないことは否定できないって。だから知ってほしいって言っているの。好きとか嫌いとかそんな難しいことじゃないから。顔が好みとか身体の相性が良さそうとか、感情なんて後付けだってなんだっていいんだよ」

「そんな風に考えたことはなかった。そうか……俺はこういうところがいけないのだろうか」


 世斗は畳み掛けるように言葉を吐きだした。

 倫理観の薄いことを言っている自覚はある。だけど世斗の言葉は言い争いを始めてから初めて賢治に響いている気がした。

 ホストの自分が相手とのかけひきで負けるつもりはない。一回目を伏せた後、世斗は躊躇う素振りを見せつつ賢治を甘く見つめる。


「やっぱり男が好きなんて言う俺は気持ち悪い?」

「そういった感情は一切ない。ただ……うーん」


 世斗の問いに賢治は間髪入れずきっぱりとそう言い切った。

 どこまでも誠実な人だ。

 けれどこの場においてその誠実さはいらない。その誠実さはこの欲望を満たしてくれないことを世斗は知っている。

 もう一押しでいけそうだと判断した世斗は、アプローチの仕方を変えることにした。投げやりな口調で分かりやすいため息を吐く。


「賢治さんが相手してくれないなら、俺今から他の相手探さないといけなくなるんだけど」

 これみよがしに時計を見て「あーあ」と言う。

「こんな時間に外にいる人ってちょっと怖いかも。きょーせーわいせつ罪?とかなんかそういう犯罪に巻き込まれるかもしれないし」


 賢治が弁護士と言っていたから、自分がなんとなく知っているそれっぽい犯罪の名を口にする。実際使い方が間違っていたっていい。今重要なのはそこじゃない。


 世斗の思惑どおり賢治の瞳が少しだけ揺れる。

 その動きを見逃さなかった。


「探すならちゃんとした相手を」

「だから賢治さんが良いと思うんだけど」


 間髪入れずそう返すと賢治が口を閉じる。

 そもそも弁護士が本当なら、いくら世斗がホストをしているからといって口で勝てる相手じゃない。賢治は本気で世斗を言い負かそうとしていないのだろう。こうして考える時間が長ければ長いほど、世斗にも勝算があるということ。

 絶対に情がわいてきているはずだ。


「嫌だったら蹴り飛ばしていいから」

「やめなさい。さっきから言っているがこういうことは……」

「目、閉じないの?」

「世斗君!」


 制止する賢治を無視して無理やり椅子に座らせた世斗は、その正面に立ち後頭部に手を添えて顔を近づけた。


「お願い。……俺の事拒まないで」


 聞こえるか聞こえないかのギリギリのライン。

 目を見てそう囁けば一瞬賢治の動きが止まった。その隙に体を屈めて乾燥気味の唇を吐息と舌の熱で湿らせる。テクニックには自信があった。だから多少強引にキスをしても満足させられるはず。


 食むように何度も唇を合わせていくと、世斗のことを押しのけようとする腕の力が徐々に弱くなってきた。世斗は満足気に目を細める。思い通りになったことを喜んだ矢先、受け身だった賢治が急に世斗の後頭部に手を回した。

「っ、あ」

 一気に吐息が熱くなる。頭の位置を固定されて啄むようなキスはあっさり終わりをむかえた。

 予想に反して賢治のキスは乱暴でそれでいて愛撫のように優しい。

 こんなキスはしたことがない。息も苦しいし頭の奥はジンと熱く痺れた。自分から仕掛けたくせに「嫌だ」と「良い」がまぜこぜになって睫毛が湿る。


(こんなの聞いてない!)


 経験がないみたいなこと言っていたはずなのに。

 力が抜けた身体はバランスを崩してぐらっと傾く。よろけた世斗を引き寄せて、賢治はなおも唇を貪った。大きな手の平の熱がシャツ越しから背中に伝わり、さらに適度に筋肉があるがっしりとした腕が腰に回されて膝が震える。

 これ以上は本当に無理だ。世斗は賢治の胸を何度も叩いて無理やり背中を反りようやく顔を離す。


「っ、ん……な、んで。そんなキス上手いんだよ!」


 はぁはぁと肩で息をする世斗を見て賢治はきゅっと口を結ぶ。

「世斗くんがあまりに自分の体を軽視しているようだったから。これで分かっただろう。男も女も関係ない」

「はぁ?……あっ!それであんながっついたキスしたのかよ」

 たしかに蹴り飛ばして逃げることが出来ないと分かり複雑な気分になる。

 完全に力が抜けていた。ただ世斗は賢治に抱かれてもいいと思っていたのだ。不機嫌そうな世斗に賢治は首を横に振った。


「ただ……いいや、これは言い訳だ。大変失礼した。あんまりにも世斗君が可愛かったから、途中から私も加減を間違えてしまったようだ」


 まっすぐ見つめながらそう言われ、ぐぐぐっと熱がこみあげてくる。そんな綺麗な顔で見つめないで欲しいし、今この状況でそう言われたらどうなるか同じ男なら察して欲しかった。

 世斗はズボンの上からでも分かる自らの膨らみからゆっくりと目を逸らす。


「どーしてくれんの?」

「これは……俺に興奮してくれているのか」


 今さらそんなことを言うのか。

 いつも予想の斜め上どころか、はるか彼方の返答をしてくる賢治に世斗はそっぽを向いた。


「俺に言わせたいの?賢治さん意外とムッツリだね」

「あ、いや。そんなつもりではなかった。ただ確かめたかっただけで」

「はいはい、勉強熱心なことで」


 宥めるつもりなのか立ち上がって右往左往している賢治に、はぁと大きなため息をついて向き合った。美しい顔に焦りの色が滲んでいるのが面白い。

 あまり揶揄うのも悪いから素直に頷いて見せた。


「そうだよ。俺は今賢治さんに興奮している。顔もキスもそういう変な部分もまとめてね」

「そ、そうか」

「賢治さんこそ。それ、こっちの世界のこと受け入れてくれるって解釈しちゃうけどいいの?」


 ほぼノンケの男が自分で興奮してくれるとは思わなかった。“それ”と言って視線を下に落とす。自分と同じような状態になっている賢治の下半身を見た世斗は、案外嬉しく思っていることに驚いた。


「これは……そういうことなのだろうか」


 賢治も自分の身体の変化に驚きを隠せていない。同性に興奮して反応させるなんて初めてのことだろう。


「さっきも言ったけどそんなに難しく考えないでさ。俺も特定の相手を作る気はないから、ただ気持ち良いことしてみない?ってお誘い」


 別に付き合いたいとかそんな重たいことをノンケの人に言っているんじゃない。駄目押しとばかりにそう言った世斗の手を、賢治はいきなり握った。


「世斗君の言っていることは理解しているつもりだ。ただこういう感情は初めてで。……さっきまであんなに偉そうなことを言っていたのに恥ずかしい限りだ」

「それは男ならしょうがないよ。誰だって気持ち良いこと好きでしょ」


 やっぱり難しく考えている賢治をあっけらかんと笑い飛ばす世斗だったが、彼の真剣な眼差しに笑い声はどんどん小さくなっていく。

 この雰囲気はあまりよくない。

 口を閉じた世斗の眉がぴくりと動く。手を離そうとするが賢治の手は完全に自分の手を包み込んでしまっていた。


「だから責任をとらせてほしい」

「……責任?」

「あぁそうだ。君も好意を抱いてくれているようだし、俺ももっと世斗君のことが知りたい。順番が逆になってしまったが、俺と真剣に付き合ってくれないか」


 あまりにもしっかりとした告白に逃げ場がない。

 突然正面から浴びた誠実すぎる言葉にくらりと眩暈がした。




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