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13話



「さっきも言ったが世斗君がこの人に会う必要はない。俺が仲介役になろう」

「俺そこまで賢治さんにしてもらえるような人間じゃないのに」

「何を言っているんだ。好きな相手の為に行動したいと思うのは普通のことなんだろう?俺は今までそう思える相手に出会ったことはなかったが、世斗君の為なら何でもしてあげたいと思う」


 どれだけ泣いたら気が済むんだろう。

 さっきから散々泣きわめいて、体中の水分が無くなったように感じるのに、まだお腹の奥で衝動が渦巻いているように感じる。

 父親が出て行ってからこんな風に泣いた記憶はない。とすれば換算すると10年以上の涙が体にたまっているのだろうか。それはそれで恐ろしい。このまま涙に溶けてなくなってしまってもおかしくなさそうだ。


「俺の話聞いていた?母さんのことだけじゃなかっただろ。特別だった父さんっていう相手がいなくなって、おかしくなった母さんの姿は今でもはっきりと思い出せる。血が繋がっているんだ。俺だっていつかはそうなるかもしれない。だからそういう人は作りたくないんだよ。俺が賢治さんに嫌なことをしないとは限らないじゃん」


 愛されない理由はすぐに出てくるのに、愛される理由は分からない。

 今まで弱い自分と向き合うことなく楽な方へと逃げてきた。

 その結果がこれだ。


「他人と一緒になるというのは嫌なことを許容できるかどうかだと思う」

 賢治は諭すようにそう言う。

「お互い様だ。俺だって世斗君に酷な約束をしたじゃないか」

「それとこれとは話が違うでしょ。賢治さんは俺の為を思って言ってくれたけど、俺が言っているのはそうじゃなくて、攻撃的になるかもしれないし、もっと嫌な人間になるかもしれないってことで」

「世斗君は人の機微に敏感な優しい子だから大丈夫だ。あまりにも目に余る行動だったら、俺がきちんと叱って止めよう。その代わり俺が君を困らせたり傷つけたりするようなことがあったら遠慮なく言って欲しい」


 賢治の言葉には迷いがない。

 きっぱりとそう言いきられてしまうと返事に困る。


「過去で足踏みをするより、俺は世斗君のこれからを共に過ごしていきたいと思う」

「賢治さんの良い所に気が付くのは俺だけじゃないと思うよ。それこそ女の人にすればいいのに。そうすれば普通に幸せになれるのにわざわざ俺なんか選ばなくても」


 悪い癖はもう呼吸をするように自然と出てきた。賢治がどこまで自分を求めてくれているのか、もっと言葉で欲しいと自虐が口をつく。きっと自分に欲しい言葉をかけてくれる。そう思っていたのに賢治は少しだけ険しい顔をした。


「もう約束を忘れてしまったか?」

 ぎくりとしてすぐに口を閉じた世斗は賢治から目を逸らす。

「あまり自分を卑下する言い方をしてはいけない」

「だって本当のことじゃん」

 無意識のうちに賢治に甘えているのか。かなり拗ねたような口調になったことに気付き顔が熱くなる。賢治は諭すように言った。

「それは世斗君のことを大切に思っている人の気持ちを踏みにじっているのと同じことだ。世斗君は俺の言葉を疑っているのか?」

 踏みにじっているつもりなんて全くない。素直に「疑っていない」と言う世斗に賢治は表情を和らげる。

「それなら信じなさい。世斗君は優しくていい子だ。自分の弱い所もズルいところも過去も全部認めてあげたら、きっと世界はもっと世斗君に寄り添ってくれる。世斗君は幸せなれるよ」

「……賢治さんだけだよ。そんなこと言う物好きは」

「世斗君」

「わっ、今のは違うから。別に自虐とかじゃない」


 怖い顔をする賢治に世斗をぶんぶんと音がなるほど首を横に振った。あまりの勢いに賢治はふっと笑う。


「物好きは世斗君のほうかもしれない」

「なんで?」

「正論だけが正しくはないってことだ。現に世斗君に窮屈な思いをさせているだろ?」


 そう言えば最初に会ったときもそう言っていた。

 たしかに賢治とした約束は世斗にとって簡単なことじゃない。けどそれが窮屈かと問われればそれは違う気がした。自分より自分を大切にしてくれる。そう感じることが出来るから簡単な約束ではないけど、気を付けようとは思っている。

 だから嘘をつくと苦しくなったんだ。世斗に罪悪感を思い出させたのは紛れもない賢治の正しさだ。


「別に窮屈とかはない。俺のこと考えてくれているなって思ってちょっと嬉しかったりする」

 世斗がそう言うと賢治は驚いたように眉を跳ね上げた。

「……無理をさせてばかりだと思っていた」

「そんなことない」

 息を飲み込んだあと独り言のようにぽつりと呟いた賢治に首を横に振る。はっきりと言い切った世斗を賢治は優しく引き寄せた。

「世斗君の気持ちが落ち着いたらでいいんだが、もう一度考えてほしい。俺は世斗君が好きだ。だから付き合ってほしい」


 至近距離で見つめられ耳まで熱くなった。おそらくすでに顔は真っ赤になっているだろう。それでもごくりと唾を飲み込んで目は逸らさない。


「特別な相手を作りたくない理由はちゃんとあるのに、賢治さんとなら大丈夫かもしれないって思う俺もいる」

「世斗君……」

「俺も約束破らないように気を付けるからさ。賢治さんも俺の事絶対捨てないって約束して」

「あぁ。もちろんだ」


 すぐにそう返事をした賢治は世斗の後頭部に手を添えた。さらに近くなる顔に目を閉じる。待ち望んでいたキスは額ではなくちゃんと唇に。熱い吐息が零れ世斗はまた泣きたくなった。今までは自分からアクションを起こしていたのに、今日は賢治の方から求めてくれる。それが嬉しくて雛鳥が親鳥から餌をもらうときのように、早く早くと賢治を急かした。


 そういえば賢治は言っていた。そういう行為はきちんとした相手と段階を踏むこと、と。

 たった今世斗は賢治と正式に付き合うことに決めた。

 身体を大切にしないと怒られたあのときとは違う。とろりと頭の芯が溶けていく。激しくないのに力が抜け全身が熱くなった。優しくそれでいて情熱的なキスの次はなんだ。考えるまでもない。いよいよ賢治に抱いてもらえる。無我夢中で賢治の動きに身を任せていた世斗は、突然我に返り賢治の胸を叩いた。


「賢治さん!だめっ」

 今まで散々強請ってきた世斗にそう言われ賢治は明らかに動揺した。世斗は変な意味にとらないで、と首を横に振りながら言う。

「ここ、俺の家じゃない……」

 絞り出した言葉に今度は賢治が我に返ったように辺りを見渡した。

「すまない。そこまで気が回らなくて」

「俺も完全に忘れていたし……那騎さんに合わせる顔がなくなるところだった」


 心頭滅却と唱えながら世斗は自分の荷物を取りに行く。戻ってきた世斗は名残惜しそうに賢治を見上げペロッと唇を舐めた。


「続き、期待してもいいんだよね?」


 世斗が尋ねると一瞬動きを止めた賢治は頷いた。

「勉強したから大丈夫だとは思うが、必要な物はまだ用意できていない。どこかで買ってから……」

「ここからなら賢治さんの家より俺の方が近いから、俺の家来てよ。必要な物なら全部揃っているし」

 ホテルという選択肢もあるが賢治との初めては家が良かった。

「徒歩で行ける距離か?」

「行けなくはないけど、電車乗った方が早いよ。少しでも早く帰りたい」


 世斗そう言うと賢治はサッと携帯を取り出して何やら打ち込んだ。


「なんか連絡?」

「いや、タクシーを手配した」

 世斗はぎょっと目を丸くする。頑張れば歩ける距離だというのにその発想はなかった。たしかに車なら五分もかからないだろうが、その距離でわざわざタクシーを呼んでいいのだろうか。


「え、結構近いのに大丈夫かな?」

「大丈夫だろう。それにそんな顔をしている世斗君を電車になんて乗せたくない」

「俺そんな変な顔している?」

「いや、肌や瞳が濡れていて扇情的という意味だ。他人に見せるのはもったいない」


 賢治の言い回しはあまり馴染みがない。

 だから余計に恥ずかしく思う。むくむくと反応しそうになる分身を何とか抑え込みながら「バカ」と真っ赤な顔で言うほかなかった。


 下駄箱の上に用意されていたスペアキーで入口の鍵を閉める。ちょうどエントランスへ下りるとすでにタクシーが待機していた。


 近い行先を告げたら嫌な顔をされるかと思っていたが、とくにそんな素振りもなく運転手はささっとナビを操作し車は出発する。マンションから出てきた男二人が、別のマンションに向かっているのをどういう風に思っているのだろうか。不安に思って賢治をちらりと見るが、彼は堂々と前を見据えていた。肝の座り方が違う賢治の様子に少しだけ気が落ち着く。


 タクシーはあっという間に世斗のマンションへ到着し、世斗の部屋に入るや否や玄関先でキスが再開された。淡く触れるようなキスを繰り返しながら靴を脱ぎ捨て寝室になだれ込む。


「賢治さん、性欲あったんだね」

「だから言っただろう?我慢しているだけだって」


 たしかにそんなことを言っていた気がする。

 だが、世斗は賢治が俗世を離れた仙人である説もあると少なからず疑っていたのだ。雰囲気にそぐわない笑い声をあげた世斗は、じろりとした目をする賢治に口を塞がれる。


 それがたまらなく可笑しくて睫毛が濡れた。

 どうやら幸せになってもいいらしい。世斗は賢治の背中に腕を回す。不安が完全になくなったわけではない。けれどこの幸福に酔うのも悪くない気がした。



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