11話
うっすらと嫌な予感はしていた。
目が覚めたら同じ部屋にいるはずの世斗がいない。荷物もなく玄関にいったら靴もなかった。がらんとした玄関で賢治はしゃがみこむ。
僅かだが会うたびに心を開いてくれている気がしていた。世斗はよく笑う。楽しそうに、可笑しそうに、そして自分を偽るように。子どものような言動をするときもあれば、妙に達観もしていた。怒ったり拗ねたり、分かりやすく感情を見せてくれると思いきや、踏み込もうとすると距離を取られる。世斗が抱えているものが大きいことは分かっていたが、賢治はそれがなにであろうと受け止めるつもりだった。
呆然としたままようやく部屋に戻った賢治はふとスマホを手に取った。メッセージが届いている。内容を確認してその場に立ちすくんだ。返事を送っても一切既読にならず電話も繋がらない。
また失敗した。
正しさだけが正義じゃないと分かっていたのに世斗に無理を言った自覚がある。けれど、あの子にあんな苦しそうに笑ってほしくなかった。自分だったら彼のすべてを受け入れて、守ってやれると過信していたんだ。
それがただの自己満足で、相手のことを思いやったつもりが傷つけていたことに気付けなかった自分が心底愚かしい。
携帯画面を見つめて途方に暮れていた賢治は我に返り電話帳のサ行を開く。プライベートの携帯に登録してある番号はそう多くない。
賢治は“志騎”の番号を躊躇いなく押した。生活スタイルを考えたら、この時間に連絡を取ることは迷惑だと分かっていたが、理性でこの衝動は止められない。
数回コール音が鳴り、電話はすぐにつながった。
『はい、もし……』
「賢治です。ご無沙汰しています。今そちらに世斗君は行っていますか?」
電話に出た志騎の声を自分の声でかき消す。
『お久しぶりです。俺のところには来ていませんが』
「そうですか……」
志騎のところにいないとなると他に検討がつく人はいない。あからさまに落胆した賢治はさらに追い打ちをかけられる。
『明け方、世斗から“しばらく戻らない”とメッセージが来たんですけど、何かあったんですか?』
「そ、んな」
頭が真っ白になる。
そこまで彼を追い詰めていたのだろうか。言葉が続けられなくなった賢治に志騎はいくぶんか口調を柔らかくした。
『会って話しませんか?』
「分かりました」
『Barを開けて待っています』
返事をして電話を切った賢治はすぐに支度をして家を飛び出した。
常に余裕を持った行動をするように躾けられてきた。全力で走ったのは何年ぶりだろう。人目を憚らず街を全力で走る。染みついていた親の教えでさえ今の賢治を止めることはできない。賢治は自分の為ではなく他人の為に走っている。髪は風に煽られ、走ることに慣れていない身体はすぐに悲鳴をあげた。
大の大人が息も絶え絶えになりながら走る様に、周囲から奇異の目で見られてもどうでもいい。とにかく一刻も早く行かなくてはならない。
電車に乗り目的場所の駅で降りてからも走り続けた賢治は、階段を下りる勢いそのままBarのドアを開けた。
「はっ、っ……お、またせしました……っ」
「大丈夫ですか?ちょっと待っていてください」
身体のすべてを使って酸素を取り込もうとしているのか、賢治の身体は呼吸をするたびに大きく動く。近くの椅子に座らせた志騎はすぐに水の入ったコップを持ってきた。深く息を吐き、水を煽る様に飲み干した賢治は「すいません」と口を開く。
「俺がきっと彼を傷つけてしまった」
「何があったんですか?」
「志騎さんは世斗君と付き合いが長いんですよね?」
「えぇ。まぁそうは言っても四年くらいですけど」
四年というと彼がまだ未成年のときか。
何かを思い出すように遠い目をした志騎を見つめ賢治は薄く口を開いた。
「俺は世斗君のことが好きです」
「……賢治さんは異性愛者ですよね?」
「そうです。でも俺は同性に限らず異性にもこんな感情を抱いたことがなかった。彼が特別なんです」
はっきりとそう言い切った賢治は苦し気に息を吐き出す。
「だから彼にもっと素直に感情を表してほしくなったんです。時折我慢するように言葉を飲み込み、顔色を窺おうとする彼に何にも遠慮することなく毎日を送ってほしかった。……俺は世斗君に自分を傷つける嘘をつくなと言ったんです」
志騎は息を飲み込んだあと目を閉じて頷いた。
「あぁ……それはあの子には酷なことだ」
「俺もそう言われました。世斗君は気を遣うのが楽だと言っていたのに、俺はまた自分が思う正しさを押し付けた。おそらくそのせいで彼はトラウマを思い出したんでしょう。昨晩酷くうなされてしまって」
……朝起きたら世斗は消えていた。
やはり押し付けたのだ。言葉にして改めてそう思った賢治は顔を歪める。
相手に変わってほしいというばかりで自分は何も変わっていない。自分が正しいと思うことが必ずしも正解とは限らない。そうやって自己分析していたにも関わらず、過ちを繰り返す愚かな自分が腹立たしく情けなくなる。
賢治は志騎に向かい深々と頭を下げた。
「たぶん世斗君はもう俺に会いたくないと言っているんでしょう。でも、どうしてももう一度彼に会いたいんです。会って謝りたい。傷つけるつもりではなかったのだと知ってほしい。だから知っていることがあったら教えてもらえませんか」
志騎は賢治の頭頂部を見つめながら少し考える。
目の前にいる賢治が世斗に何か酷いことをしたのなら、ここに呼び出してそれ相応のことをしようと考えていた。だがそれは完全に思い違いだった。
たしかに世斗には酷だっただろうがそれは図星をつかれたからだろう。もしかしたらすでに世斗の気持ちも動いているのかもしれない。頑なだった世斗を動かしたのは紛れもなく賢治なのだと志騎は感じていた。
それに賢治が言うことに嘘はないようにみえる。知らないと言ってくれと頼んできた世斗には悪いが、この人の存在はきっと良い方向に導いてくれるだろう。
「少し待っていてもらえますか?」
顔を上げた賢治が頷いたのを見て志騎は店の奥に向かった。
心当たりの人物に電話をかけようと画面を開くとメッセージに気が付く。それを読んだ志騎は一瞬目を丸くしてわずかに口角を上げた。
『あっ、もしもし』
「お疲れ那騎」
『志騎さんこそ、お疲れ様です』
少し緊張しているのか上擦ったような声が聞こえて志騎の口元がさらに緩んだ。
「お前ほんとう隠し事できねぇな」
『志騎さんにだけっすよ』
「でも助かった。それだけ分かれば十分。俺は何も聞かなかったことにするから」
『はい』
「面倒をかけて悪いな」
『いや、俺にとっても可愛い後輩なんで』
志騎はクックと肩を震わせて笑う。
「頼もしいよ。それで本題。一週間くらい経ったら一人そっちに向かわせたい人がいるんだけどいい?」
『いいですけど、俺本当に事情聞いてなくて』
「あぁ無理に聞き出さなくていい。世斗も時間が経てば話したくなるかもしれないし、そのときは聞いてあげて」
『分かりました』
「頼み事ばっかりで悪いな」
『とんでもない。任せてください』
後輩の成長というのはいつまでたっても嬉しいものだ。それにあの子が頼れる人物が自分以外にもいるのだと思うと感慨深い。それが那騎であることも嬉しく思う。もう一度礼を言って電話をきった志騎は、再びメッセージに視線を落とした。
【他のことはなにも言えませんが、セトちゃんは無事です】
那騎らしいメッセージだ。
志騎は携帯をしまって賢治の元へ戻った。
「世斗の居場所分かりましたよ」
「本当ですか!」
「ただあの子にも少し時間が必要だと思うので、一週間後迎えに行きましょう。俺も一緒に行きます」
安堵の表情を浮かべたのも束の間、賢治は「でも」と言う。
「彼の気持ちを考えたら志騎さん一人で迎えに行ったほうがいいんじゃないですか?俺は日を改めて……」
「何言っているんですか。酷だとしても俺は賢治さんがあの子に必要だと思ったから教えたんですよ」
「そう、ですか?……ありがとうございます」
まだ自信がなさそうな賢治に志騎は笑ってみせる。
「大丈夫ですよ。あなたは自分の気持ちを信じてください。たぶんそのまっすぐさがあの子の心に響いたんだと思います」
気休めだと思うが、それでも賢治の気持ちは救われた。ぎこちない笑みを浮かべて「ありがとうございます」と呟く。大きく息を飲み込んだ賢治はもう一度深々と志騎に頭を下げた。
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