8.恋する乙女
爽やかに晴れていた日々から、日差しにジリっとした暑さを感じ始めるように季節はうつろう。
迎えにきたベルに日傘をさしてもらい、馬舎からサンルームへ向かう。
「おかあさま、ごきげんよう」
「シュリア、いらっしゃい。今日は冷製のスープを用意してもらったわ。冷たくて美味しいわよ」
母とテラスで話してから、一か月が経った。
今では、ほぼ毎日母と昼を一緒に過ごしている。
以前、馬舎で過ごしている時間から来ないかと誘われたこともある。それでは内省ができなくなってしまうので、一人で遊ぶのも好きなのだとやんわり断りを入れた。
母はシュリアの意思を優先してくれた様子だったが、目尻が心なしか下がっていた。そのささやかな様子で、母がしょんぼりしていることがシュリアにも分かるようになっていた。
(私のお母様はかわいいひとだったわ)
亜麻色の髪の毛にルビーの瞳。目は大きいが、眉も目尻も上がり気味なので強気な印象。唇は平行に結ばれていることが多いので、不機嫌そうに見える。
実際、あの食堂でも、シュリアの挨拶で何か気分を害したのだとばかり思っていた。けれど本当はあの時、なにかしら違う気持ちでシュリアを見ていたんだろうと今では分かる。
あの日、テラスで母の真心に触れてから、シュリアは自分の母を好意的に見ることができるようになっていたし、シュリアに対する慈愛の気持ちの存在も信じることが出来るようになった。
さすがに誘いを断った次の日に、馬舎の2階が過ごしやすく改装されているのを見た時は、くすぐったすぎて笑ってしまったが。
(私が産まれた時に、母が泣いていたのにも何か理由があるのだわ)
紛れもない、悲しみの声だったのを思い出す。
前世の自分より年下の母。前世の記憶を持ち思考が大人びてしまった自分。
少し、普通とは異なるけれど、母は母だと、今は思っていて。
それだからこそ、今シュリアが気になる存在は父だった。
意識が鮮明になってから1か月半になろうとしているけれど、一度も会ったことがない。
でも、母を通してその存在を感じることが度々ある。
『クレマチスと霞草のブーケよ。こちらにも少し持ってきたわ。…あなたのお父様から今日届いたの』
『夏のドレスを仕立てるようにと言ってくださったの。あなたとお揃いにしたらどうかって』
父を話題にする時、母はしっかりはっきり恋する乙女だった。
話題の中の父も母に対して何かと心を砕いているし、シュリアに対しても興味があるようだ。けれど姿は一切表さないし、おそらく母も贈り物や手紙を受け取るばかりで、会っていない感じがする。
もし妾の立場だったなら、それも分かる。訪う場所であって、帰る場所ではないからだ。
(けど、アニーは母を“後妻”と呼んでいたし、あの絵があるのだから本邸には間違いない)
プレゼントされたという花を眺めながら、肖像画でしか姿を知らない父について思いを巡らせていると、母に呼びかけられた。
「二月後には貴方の誕生日会があるわ。何か、希望はあるかしら。好きな色とかお料理とか…あなたの好みを汲んだ会場にしたいの」
「おとうさまにあいたいです」
いい機会だ、と間髪入れずシュリアは答えた。
「ええと…聞いてみるけれど、でも、…絶対参加されるはずよ。他は…?」
「それでいいです。わたし、おかあさまとおとうさまにいていただければ」
娘の要望を聞き、母の表情が珍しいほどあからさまに綻んだ。
「あら…」
笑顔になると、強気な印象がすっかり形を顰め、母の顔立ちがとても整っていることに気づかされる。
華やかながらも清廉な雰囲気も兼ね備えたような微笑みは、娘ながらも見惚れるばかりの美しさだった。
* * *
母との食事を終えたシュリは、いつも通り馬舎に戻った。
部屋の奥にあるベッドに倒れ込むようにして身を委ねる。ほし藁がガサッと音を立てた。チクチクしないように敷かれた厚手のカバーに顔を埋めると微かに日向の匂いがする。改装してから、定期的に入れ替えてくれているらしくいつも心地いい。
(作っても、作っても追いつかないわね…)
昼食に出て戻ると、体には怠さが戻ってきていた。ゆっくり話しながらの昼食とはいえ、午前中の内省で魔素を調えてから二時間も経っていないのに。
(ほんと、調えても、調えても、滞るわね)
それだけ魔素の生産が早いということに他ならない。けれど、これ程の生産量だと自分が前世の記憶を持っていなかったり、覚醒遅れていたら…。
おそらく次の誕生日は迎えずに儚くなっていただろう。
(上手くモノにできるといいのだけれど)
前世のシュリアの体も、その時代では国一番の魔素量を有していたが、多分それを軽く超えてくるだろう。
楽しみであると同時に恐ろしい。一歩間違えば、過剰症による身体の崩壊と隣り合わせの体だ。
(失敗すれば、症状は一気に悪くなるわ)
そうなれば、とても悲しませることになる。
シュリアは初めて見た笑顔の母を思い浮かべ、内省に意識のすべてを傾けた。




