7.テラスにて
(なんなのかしら、この…子オーク)
シュリアは考えたが、途中で考えることを放棄した。
「つきあうひつようなかったわ」
大好きなクッキーだったので思わず熱くなってしまったが、冷静さを取り戻せばなんと言うことはない。
名前も知らない子オークがブヒーっと絡んできただけである。
(私、大人だもの)
一人で立ち上がり、スカートについた埃を払うと、ランチボックスを抱えた。何もなかったかのように、少年の脇を通ってガゼボの出入り口へ向かう。
予想外の展開に驚き、オタオタし出した子オークこと名も知らない少年。
「お、おいっ!どこだ?どこいった?!」
ガゼボの柱が少年とシュリアの間に来た頃合いを見計らって、魔素を全身に燻らせた。たちまち、シュリアの姿はぼんやりと霞み、すぐに周囲に溶け込んでいく。
(排出口、ひとつ開通させておいて正解だったわ)
何かあった際に役立つかと、小指の先にあるポイントを使えるようにした。数日前の自分の判断を褒め称えながら屋敷の方へ向かう。
「ちくしょう!母様の世話になってるくせに!妹になったら容赦しないからな!」
背後から負けオークの遠吠えが聞こえてきた。その内容から導かれる少年の正体にどっと気力が削がれていく。
肩書は乳母。子どもがいるはずである。それも、シュリアとそう変わらない歳の。
(私より二つは上かと思ったけど…まさか、そんなに変わらないってこと?!…あ、もう一人いる線もあるわね)
普段なら馬舎へ戻って更に二時間ぐらいは内省をするけれど、戻っても集中できる気がしない。
(何しようかしら)
そこまで大きさのない屋敷はほぼ散策を終えたし、アニーが襲来してくるのを気にしながら部屋で過ごすのも時間の浪費にしか思えない。
「お嬢様。お待ちください」
「ぇっ…!」
考えに夢中になっていたので、驚きすぎて息を飲み、大袈裟なぐらい驚いてしまった。
見上げれば、ベルが眉を顰めている。
「お嬢様、失礼します」
(あら?)
前回とは違い、有無を言わさず抱き上げられ、すぐに運ばれる。
(あらら?)
状況やらベルの固い表情やら、何か緊急の事態が起きているようだ。
それに自分がどう関わっているかはわからないが。
ベルは一番近い屋敷の出入り口から中へ入り、扉の前で立ち止まる。ノックはしたものの、返事を待つことなく入室した。
高く取られた天井の半分はガラス張りになっていて陽の光がさんさんと降り注いでいる。
ベルは迷うことなく室内を横断して、開け放たれたガラスの扉の間を抜け、テラスへ出た。底上げするように敷かれた数段の階段を登ると一気に視界が開ける。
「お連れしました」
「ありがとう」
母が一人、テラス中央のテーブルセットへ腰掛けていた。
ベルはさも当然というかのように、母の膝の上へとシュリアを下ろした。
白いテーブルクロスがかけられたテーブルには一人分の茶器や菓子が並んでいた。
(私が通っていたあたりが見えるわね)
目のやり場に困り、とりあえずと周囲を見渡せば、シュリアが行き来していた裏庭がよく見えることに気づく。
(こんな場所があること、全然気づかなかった)
底上げされているために、意識して見上げないと視界に入らないようだ。テラスの中が伺えないよう意図して、木々の配置や外壁なども造られているのかもしれない。
(少し遠いけど、ガゼボも馬舎も見える)
どうやら自分の動向はここから観察されていたようだとシュリアは結論づけた。
「ち、違うのよ。たまたま、気づいただけ」
無意識に母を見上げれば、母は言い募ってきた。表情が雄弁に盗み見ていたことを白状しているので、言葉は説得性のかけらも無かった。
(あら、いいのかしら?)
食堂ではあんなにお澄まししていたのに。
「おかあさま?」
「さっき、その、ガゼボに、」
なんと聞けばいいのか分からなくて、とりあえず名前を呼んでみれば、母がそれに被せるように勢いよく話し出した。
「ベンジャミンが行ったでしょう。貴女がいた、ガゼボに…」
(お母様って何歳なのかしら?)
明るい光の下、間近に見る母は美しく、そして若かった。出るところは出ている体つきだが、輪郭の端々に少女のようなあどけなさが微かに残っている。
「ほら、その、だから…貴女、ランチをしていたのに。…ええっと、ランチボックスは楽しめて?」
「奥様…」
「おかあさま、おいくつなのですか?」
母が思ったより更にしどろもどろだし、ベルが困った妹を見るような目で母を見ているしで、状況にやや混乱する。でも、とりあえず、シュリアはランチボックスが届いた経緯を察した。
ずっと見ていたのだろうか。ここから。
ポッと胸に小さな温もりが灯る。
その気持ちのまま、母に問いかけてみれば、話の流れを全て無視したような感じになってしまった。
「え?わ、私?」
「はい」
「18よ。それが、どうしたのかしら…?」
「いえ、おうつくしいな、とおもいまして」
勝気な印象の紅茶色の瞳が一回り大きくなって、パチパチと瞬いた。そして、ふわりと柔らかく弧を描く。
母の瞳に映った自分もまた、似た姿をし、似た表情をしていた。
「…あなたをね、心配していたの。何かあったんじゃないかって、思って」
「おかあさま」
「…ごめんなさいね、シュリア」
何が、とは母は語らない。語れないのかもしれない。
けれど、そっと頬に添えられた手から、母の想いが伝わってくるようだった。
母の手は、ひんやりと冷たかった。




