5.母
差し込む光の眩しさで、シュリアは覚醒した。
服は着替えられ、掛け布団にしっかり包まれている。
「よくねた…」
内省に集中するあまり、最後は気絶に近い形で眠ったはずだったけれど、その疲れは少しも感じられない。
起き上がって伸びをすれば、腹の虫が小さく鳴く。
けっこうな時間寝坊したのかもしれないと、窓辺によれば陽は天頂近くまで昇っていた。
(お腹は空いたけど、またあの食堂に行くのは気が重いわね…)
しばらくぼうっと空を眺めていると、扉が開く音がしてカートが運び込まれてきた。
「ようやく起きたんですか。食事お持ちしましたよ」
アニーはやれやれとでも言いたげな表情のまま配膳をしている。
「何してるんです?早くお座りになってください」
「きがえは…?」
「朝食でしょう?そのままで結構。汚してしまうかもしれないし」
そもそも、乳母としてシュリアを教育する立場にあるのだ。
寝坊していたら起こしに来たり、体調に異常がないかなど気に掛けるのが本来のアニーの仕事である。
なのに、身支度の手伝いも面倒くさいとでも言いたげな様子は、いかがなものか。
嘆息しそうになるのを無意識のうちに堪えたものの、堪える必要はなかったかもしれない。昨日のベルの言葉を信じるのであれば。
「早く食べてくださいな。私も暇じゃないんです」
「…いただくわ」
どこまでも礼のなっていない乳母は気にしないことにして、シュリアは腹の虫を慰めることに専念した。
* * *
結局、食事が終わるとメイドを呼んでシュリアの着替えを命じ、アニーはどこかへ消えた。
(きっと今までもそうしてきたんでしょうね)
アニーもそうだが、呼び付けられたメイドの手慣れた様子からも、意識がはっきりする前の生活について想像することは容易かった。
(四六時中側にいられない方が都合がいいわよ)
アニー自身はほぼシュリアの世話をしないとはいえ、他の使用人を使い最低限のことは采配している。
幼児の養育環境としては眉を顰める状態だが、中身が大人の思考になったシュリアにはちょうどいい環境だ。
「でかけましょう」
気を取り直すと、小さな足を踏み出した。
(どこまで足を伸ばしてみようかしら)
部屋から外に出る経験が多かったとは思えない。
前世では体格良く体力が多い方が魔臓の改善が進むとされ、積極的な外遊びが推奨されていた。
けれど、そんな前世であっても防犯のため、貴族の子女は屋敷の敷地内で過ごすことが大半だった。
この養育環境から考えれば状況は尚更だろう。
(これは日々の課題ね…)
予想通り、庭に出たあたりで足が重だるく感じ始めた。
昨日の食堂までの距離の倍ほど歩いただろうか。
歩いてこれなので、もし有事の際、走る必要があってもすぐ足が止まってしまうに違いない。
シュリアは新たに一つの課題を心に書き込むと、視界に映ったガゼボを目指すことにした。
(お母様…?)
近づいてみるとガゼボの中には既に人気があることに気づく。
記憶に新しい亜麻色の髪だとわかり、シュリアは一旦足を止めた。
中の人はこちらに気づいておらず、振り返る気配もない。
逡巡したあと、シュリアはそのままさらに近づいて、ガゼボの間近にある躑躅の植え込みに身を隠した。
ガゼボまでの距離は2mほど。だいぶ近づいているが、母はいまだ気づくそぶりはなかった。
(あれは、たしか、マーサ…?)
柱の奥にある人影は、昨日の高齢の使用人のもの。
「お顔が陰っておられますよ。それではお招きした人に失礼となりましょう」
「そうは言ってもね…はぁ」
ため息と同時、陶器がぶつかるような小さな音がした。
「奥様、集中なさいませ」
「そうね。集中、集中…」
どうやらガゼボのなかでティータイムをしているようだったが、若干様子がおかしい。
耳を澄ませてみれば母の動作にマーサが注意を入れている。
(マナーを勉強しているようね)
アニーは母のことを後妻様と呼んでいた。
そこから考えると、母はマナーのレッスンをしているのだろう。
婚姻前は身分が低かったのかもしれない。
だが、そう言った場合、同等以上の家格の夫人に指導を依頼する気がするが、教えているのは年上とはいえ、使用人。
事情があるのか、常識が異なるのか。
(それにしても…不器用ね、お母様)
理由はともかく、マーサを招待したという設定で、お茶会のマナー確認といった感じだが、食器は頻繁に音を立てるわ、口調は辿々しいわで、苦戦しているようだ。
(私が3歳ということはその前後から練習をしていたはずだけど…)
疑問符ばかりが浮かぶ。
その間も絶え間なく聞こえてくる物音と、マーサの注意の嵐。
昨日の一瞬の邂逅は別人だったのかと思えてくるほどの劣等生ぶりにシュリアはそっとその場を離れることにしたのだった。
ひきつづく乳母の胸糞回…




