幾何学の白旗
自由都市の成立から、三度目の夏が過ぎようとしていた。 海から吹き付ける風には、いつしか秋の気配が混じり始めていた。 港町は、いつものように活気に満ちていた。クレーンが荷物を吊り上げる音、カモメの鳴き声、商人たちの呼び込みの声。 平和な喧騒。それが永遠に続くものだと、誰もが信じて疑わなかった。
その時までは。
――ズドォン。
腹の底に響くような、重く、低い音が海の方角から届いた。 雷ではない。もっと人工的な、破滅の音。 数秒の静寂の後、港の入り口にある岩礁が、天を衝くような水柱と共に粉砕された。
時が止まった。 商人も、漁師も、遊んでいた子供たちも、一斉に海へ目を向けた。
水平線の向こう。 白い帆ではない。 黒い煙。 空を汚すように吐き出される、どす黒い煤煙。 その下にあるのは、巨大な鉄の塊だった。一隻ではない。四隻。まるで海に浮かぶ城塞のように、威圧的な黒鉄の船団が、白い波を蹴立てて迫ってきていた。
「……なんだ、あれは」
見張り台に駆けつけたタケルが、望遠鏡を握りしめたまま呻いた。 レンズ越しに見えるのは、船腹に並ぶ無数の砲門。そして、見たこともない回転する車輪(外輪)。
「蒸気船……」
澤北の声は乾いていた。 ついに来たのだ。 この大陸の文明を数百年飛び越えた、産業革命の化身が。
王国の警備船が数隻、慌てて進路を塞ごうと向かっていく。 だが、黒船の一隻が側面を向けた瞬間、赤い閃光が走った。 轟音。 木造の警備船は、マッチ箱のように弾け飛び、海藻のように海面へ散らばった。
圧倒的な暴力。 港はパニックに陥った。悲鳴、怒号、逃げ惑う人々。 だが、澤北だけは動かなかった。ただじっと、黒い巨人を凝視していた。
「……タケル。小舟を出してください」 「はあ!? 戦うのか? あんな化け物と!」 「いいえ。……『対話』に行きます」 「言葉なんて通じねえぞ!」
タケルの叫びに、澤北は静かに振り返った。 その目には、深い決意の光が宿っていた。
「言葉は通じなくても、通じるものはあります。……急ぎましょう。彼らが次の一発を装填する前に」




