泥沼の塹壕
騎兵たちの士気は最高潮だった。 相手は農具を持った農民だ。鎧も着ていない。一撃で踏み潰せる。 先頭集団が、村の手前の荒れ地に差し掛かった瞬間だった。
ズボッ。 突然、先頭の馬が体勢を崩した。 隠されていた落とし穴ではない。泥だ。水を引いて意図的にぬかるませた地面に、馬の脚が深く沈み込んだのだ。
「なっ……!?」
つんのめった馬に、後続の騎兵が衝突する。 混乱が広がったところに、彼らは「それ」を見た。 地面を這うように張り巡らされた、無数の鉄の棘。ガンテツたちが鉄クズから作り出した、簡易鉄条網だ。
「進めない! 馬が!」 「なんだこの棘は!」
馬たちは痛みに暴れ、進軍は完全に停止した。 そこは、澤北が計算し尽くした「停止位置」だった。
「今だ! 一斉射撃!」
タケルの号令が飛んだ。 その瞬間、地面に掘られた溝――塹壕の中から、数百人の村人が一斉に姿を現した。 彼らが構えていたのは、弓ではない。 クロスボウ(弩)だ。 ハンドルを回して弦を引き絞るタイプで、子供や女性でも扱え、その威力はプレートアーマーすら貫通する。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ! 鈍く、重い発射音が連続して響いた。 空を裂いて飛来した数百本の太い矢が、立ち往生していた騎兵団に降り注ぐ。
「ぎゃああああ!」 「盾が……貫通した!?」
次々と馬から転げ落ちる騎士たち。 誇り高き銀の鎧は、鉄の矢の前では紙切れ同然だった。 一方的な殺戮だった。村人たちは塹壕に身を隠しているため、騎士たちの反撃の弓矢は頭上を通り過ぎるだけだ。
「装填! 次弾、用意!」
村人たちは訓練通り、ハンドルを回して次弾を装填する。 規格化された部品のおかげで、故障してもすぐに直せる。 第二射、第三射。 死体の山が築かれていく。
「ひ、退け! 一度退け!」
指揮官の悲鳴のような撤退命令が出た。 生き残った騎兵たちは、泥と血にまみれて敗走していった。 その背中を見送りながら、塹壕の中からは勝利の歓声が上がった。
「やったぞ! 騎士様に勝った!」 「俺たちの村は無敵だ!」
熱狂する村人たち。 だが、見張り台の澤北だけは、表情を凍らせたままだった。 眼下に広がるのは、数百人の人間と馬の死体。呻き声。血の匂い。 かつての彼なら目を背けていただろう。 だが今は、直視していた。
(これが、俺が選んだ道だ)
澤北は震える手を強く握りしめた。 情けはかけない。だが、快感も覚えない。ただ、必要な事務処理のように「敵の戦力を削ぐ」。 その冷徹さだけが、今の彼を支えていた。




