紙とインクと教育革命
ガラス作りが軌道に乗り始めた頃、澤北は次なるプロジェクトに着手した。 「製紙」である。 村の規模が大きくなり、物資の出入りが激しくなるにつれ、タケルの頭の中だけでの在庫管理は限界を迎えていた。
「ええと、昨日の薪が三十束で、今日の飯に使ったのが……あれ、五束だっけ?」 「タケルさん、記録しましょう。記憶力に頼るのはミスの元です」
澤北は、都市から持ち帰った「古着」の山を指差した。 麻や木綿の古布。これを煮溶かせば、西洋式の「ラグペーパー(ぼろ布紙)」が作れる。
作業は、村の女性や子供たちが中心となって行われた。 古着を細かく刻み、灰汁で煮込んで繊維をほぐす。それを棒で叩いてドロドロのパルプ状にする。 一番キツイ作業だが、子供たちは泥遊びの延長のように楽しんでやっていた。
水槽にパルプを溶かし、木枠に張った網(竹ひごを糸で編んだもの)ですくい上げる。 天日で乾かせば、厚手だがしっかりとした「紙」の完成だ。 インクは、煤と膠を混ぜて作った簡易的な墨汁。筆は、獣の毛を束ねたもの。
数日後、集会所で「書き方教室」が開かれた。 生徒は子供たちだけではない。タケルやガロウといった幹部たちも、神妙な顔で机(ただの板だが)に向かっていた。
「いいですか、これが『あ』です。自分の名前くらいは書けるようになりましょう」
澤北が手本を示す。 タケルは筆を握りしめ、脂汗をかきながら、震える手で紙に線を引いた。 不格好な文字。ミミズがのたうち回ったような線。 だが、そこには確かに『タケル』と記されていた。
「……書けた」
タケルは自分の書いた文字をじっと見つめた。
「これが、俺の名前か」
彼は指で文字をなぞった。 今まで、名前なんてただの呼び名だった。音でしかなかった。それが今、形を持ってここに残っている。 自分がこの世に存在した証が、紙の上に定着している。
「なんか……すげえな。俺が死んでも、この紙は残るんだろ?」 「ええ。あなたが偉業を成し遂げれば、その名前は百年先まで残りますよ」
澤北の言葉に、タケルは照れくさそうに鼻をこすった。
それから、村の景色が変わった。 倉庫の入り口には在庫表が貼られ、作業場の壁には工程表が張り出された。 「言った言わない」のトラブルが激減した。 情報は共有され、蓄積されるようになった。 紙一枚が、村の組織力を数倍に跳ね上げたのだ。




