パンと鉄の天秤
「待ってください!」
澤北の声が夜空に響いた。 亡者たちの動きが止まる。
「俺たちは戦いたくありません。あなた方も、無駄に命を落としたくはないはずだ」
先頭の男――赤狼村の村長と思われる男が、唾を吐き捨てた。
「綺麗事ほざくな! 俺たちはもう限界なんだ! 村の子供は半分死んだ! どうせ死ぬなら、奪ってから死ぬ!」 「奪っても、一度腹を満たせば終わりです。また飢えるだけだ」
澤北は冷静に返した。
「あなた方が欲しいのは、今日一日の飯ですか? それとも、明日生きるための希望ですか?」
男が言葉に詰まる。 その隙を逃さず、澤北は畳み掛けた。
「我が村には、あなた方を全員養うほどの備蓄はありません」 「嘘だ! じゃあなぜあんなに煙が出ている!」 「あれは飯を炊いているんじゃない。……『仕事』をしている煙です」
澤北は背後の土器焼き場を指差した。
「我々は今、冬の間に作った土器や、炭を焼いています。食料も、工夫して増やしている途中です。……提案があります」
澤北は一歩前に出た。タケルが緊張で弓を引き絞るが、澤北はそれを手で制した。
「あなた方を雇いたい」
その場にいる全員が、呆気にとられた。
「や、雇う……?」 「そうです。我々の村は今、人手が足りない。畑を広げ、家を直し、炭を焼くための人手が。あなた方が労働力を提供してくれるなら、その対価として、我々の持つ『食料を増やす技術』と、毎日の食事を提供します」
ざわめきが起きた。 奪うか、殺されるかの二択だと思っていた彼らに、第三の選択肢が提示されたのだ。
「ふざけるな! 俺たちを奴隷にする気か!」 「対等な契約です。嫌なら戦えばいい。我々も全力で守ります。あなた方は大勢死ぬでしょう。勝ったとしても、手に入るのはわずかな麦と、使い方の分からない道具だけだ」
澤北の声には、不思議な説得力があった。 それは、数々の理不尽な商談やクレーム処理を潜り抜けてきた、現代社会人の胆力だった。
「……本当に、飯を食わせるのか?」
若い男の一人が、震える声で尋ねた。
「約束します。今日の分として、まずは温かいスープを用意しましょう。話は、腹を満たしてからでも遅くないはずだ」
相手の戦意が、音を立てて崩れていくのが分かった。 空腹には勝てない。そして、「殺さなくていい」という安堵感は何よりも強い。
数十分後。 村の広場では、奇妙な光景が広がっていた。 武器を捨てた赤狼村の男たちが、地面に座り込み、涙を流しながらヘビ団子入りの雑炊を啜っている。 それを見守るこちらの村人たちも、最初は警戒していたが、相手のあまりの食いっぷりと痩せ細った体に、次第に同情の色を浮かべ始めていた。
「……美味い、美味い……」 「生き返る……」
澤北はその様子を離れて見ていた。 隣でガンテツが腕を組んで唸る。
「お前、とんでもねえ奴だな。敵を丸ごと飲み込んじまうとは」 「彼らは敵じゃありませんよ。……貴重な『労働力』です」
澤北はニヤリと笑った。 赤狼村の男たちは屈強だ。今は痩せているが、体力が戻れば、開墾のスピードは倍になる。彼らの村の土地も活用できれば、生産拠点は二倍だ。 これは慈善事業ではない。M&A(合併・買収)だ。
その夜、澤北は赤狼村のリーダーと握手を交わした。 二つの村は、緩やかな連合体となった。 春の夜風はまだ冷たい。 だが、その風には、新しい時代の匂いが混じっていた。 人口は増えた。抱える問題も増えた。 しかし、澤北には不思議と不安はなかった。 (さあ、忙しくなるぞ)
かつて「社畜」としてすり減らした神経が、ここでは「指導者」としての資質に変わる。 澤北の「村づくり」は、ここから「国づくり」への第一歩を踏み出そうとしていた。




