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第2章-3 SIDE A-②:行った場合

 救急車を呼び通話を切った拓雄は、まだ頭から血を流し続ける相手を見て我に返った。

 まずい。誰かは知らないが、このままこいつが死ねば下手をしたら過失傷害致死の罪に問われる恐れがあり、警察に捕まる。和可菜との結婚を控えた今、それは絶対に避けたかった。

 無実を主張しても、逮捕されればかなりの確率で会社はクビになるか自主退職を促されるだろう。となれば今得ている高収入は無くなってしまう。地位も失った上、再就職すら危うい。一気に人生の成功者から落伍(らくご)者となるのだ。

 無職の犯罪者となれば、玉の輿に乗るはずだった和可菜の思惑は外れ、結婚も白紙となるに違いない。滅多にいないだろう理解者と出会い、将来におけるプライベートに希望の光がようやく差したというのに。DMの誘いに乗ったせいで、さらなる闇へと落ちてしまうのだ。

 そう気落ちしたが、気を取り直し考えてみた。これはあくまで事故だ。決して拓雄が突き飛ばしたのではない。相手が勝手にバランスを崩し、足を滑らせ転倒したのだ。

 また血を流し倒れた相手は今日初めて会い、名前も知らない。酒も飲んでおらずこんな所で喧嘩をして突き飛ばす理由など、本来無いのだ。

 けれどこんな主張が通るのかと悩む。

 ふと自分の足元を見て、靴カバーを履いている事に気付く。これなら警察の鑑識が入り調べても、いわゆるゲソ痕は不鮮明なものしか残らない可能性がある。そこで思いついた。

 救急車を呼んだからには逃げられない。もしそんな真似をすれば、通報した拓雄が犯人だと白状しているようなものだ。

 それなら善意の第三者、単なる目撃者になればいい。幸い救急には人が倒れ、頭から血を流しているとしか伝えておらず、どうしてそうなったかの状況説明まではしなかった。

 では誰かと揉め、突き落とされる様子を見ていた事にすればどうか。

 そこで踊り場に落ちているスマホが目に入った。相手が持っていた物だろう。あの中に公にされたくない和可菜の秘密が入っているのなら、警察の手には渡したくない。

 さらに調べられれば、DMでこの近くに拓雄を呼び出したと分かってしまう。これは処分しなければならない。またここから早く離れた方が良さそうだ。

 そう考えた拓雄は流れ出た血を踏まないよう、また余計な場所を触って指紋などを付けないよう気を付けながら、ハンカチを取り出しスマホを拾いあげた。

 すぐに階段を駆け下りようとしたが、頭の中である懸念が浮かんだ為、先程掴んだパーカーの胸倉辺りにそっと手を当てる。

 まだ体は暖かかったけれど、心音がするかまでは分からない。けれどそれだけで良かった。

 それから周囲に誰もいないかを確認しつつ、その場から離れ橋を渡り対岸へと向かう。何故なら事前の下見をした際、そこに郵便ポストがあったと思い出したからだ。

 拓雄はカバンから会社住所が記載された返信用封筒を取り出し、靴に嵌めていたカバーを脱ぎそれでクッション代わりに電源を切ったスマホを包む。

 さらに自身が持っていた電磁波を遮断する圏外カバーにそれらを入れ封をし、宛先名に綿貫の名を書き加え投函した。

 リレーアタックという、車のスマートキーから発する電磁波を使った盗難を防ぐ為に持っていた圏外カバーだが、スマホも入る大きさだったのが幸いした。

 というのも、例え電源を切っても発する微弱電波を感知し、GPSで位置情報は割り出せる。つまりそのままスマホを持ち去れば、犯人が拓雄だとばれてしまう。それを防ぐ為の方法なのだ。

 また保険申込書等を回収する為、拓雄のような営業職は取引先へ定期訪問を行う。その際に事前チエックをして不備が見つかると、訂正が必要となるので回収しない場合がある。だが次の訪問まで時間が空くと処理が遅れてしまう。よって手続きが済み次第郵送して貰えるよう、料金受取人払い郵便と刻印された封筒を先方に渡しておくのだ。そうすれば事務処理がスムーズに行える。その為にいつも鞄に何通か持ち歩くようにしていた。

 普段から行っている様々なリスクマネジメントが、こういう時に役立つとは想像していなかったが、これまで大量にミステリー小説を読んで得た知識をもフル活用し、もう一度頭の中を整理しつつ、再度現場に戻りながら自分のスマホで今度は警察に連絡した。

「はい。どうされましたか」

 男性の尋ねる声を耳にし、拓雄は心臓が飛び出しそうになった。

 だが落ち着け。通話内容は録音されていると聞く。怪しまれる話し方をすれば、犯人として疑われてしまう。それに刑事ドラマや小説でも、第一発見者を疑えというのは定番でよく言われるセリフだ。

 しかし変に冷静なのも不自然である。普通の一般人が事件を目撃したり、血を流す人を見て通報したりする事など滅多に起きない。実際拓雄だって初めての経験だ。

 そこで大きく深呼吸をしながら口を開いた。

「さ、先程一一九番しましたが、階段の踊り場で人が頭から血を流し倒れています。誰かが突き落としたようにも見えたので、警察にも連絡したほうが良いと思い一一〇番しました」

「それはいつですか」

「十、いや五分ほど前かな。慌てていたのでよく覚えていませんけどそれ位です」

 その後場所と状況、拓雄の名前などを聞かれ通話を終えた。あとは最も近くにいる警察官がここへ駆け付けるという。それまで待機するよう言われたので、離れた場所で立っていた。

 するとしばらくし、サイレンの音が聞こえてどんどん近づいてくるのが分かった。先に呼んだ救急車が到着したようだ。拓雄は手を振り合図をしたところ、近くに停車して後ろの扉が開き二人の男性救急隊員が下りて来た。

「通報頂いた方ですね」

「はい。あのビルです。誰かと揉めていたようだったので、警察にも連絡をしました」

「分かりました」

 救急隊員らが駆け付け、現場の様子を見たのだろう。何やら会話を交わしていたようだが、内容までは聞き取れない。それから慌ただしくなり、担架に乗せ運び出された。

 明らかに死んでいると分かれば病院には運ばれない、と警察小説で読んだ覚えがある。よってどうやらまだ生きてはいたらしい。

 だが途中でなくなる場合もあるだろう。しかしそれは困る。何とか助かって欲しい。例え見知らぬ脅迫者でも、事故とはいえ先程まで目の前にいた人が死ぬなんて、余りにも目覚めが悪過ぎるからだ。

 無事を祈りながら再びサイレンを鳴らし出発した救急車を見送ると、入れ替わるようにパトカーが到着した。

 二人の制服を着た警察官が車から降り、拓雄の元に駆け寄ってきた。二十代後半と、もう一人はベテランの中年のように見えた。

 その中年警官に声をかけられた。

「通報頂いた綿貫さんですか」

「はい、そうです。今しがた、倒れていた人は救急車で運ばれて行きました」

「そのようですね。現場はどこですか」

「こ、こちらです」

 階段に向かって歩き出す途中で、今度は若い方に尋ねられた。

「突き落とされたように見えたと聞きましたが、どういう状況だったのですか」

「橋の向こう側を歩いてぼんやりと川を眺めていたんです。そうしたら視界の端で人が動いているのが見えて顔を上げたら、このビルの外階段で人が揉めている様子が見えました。こんな遅い時間になんだろうと思っていたら、ふっと一人が消えて、もう一人が慌てて階段を駆け降りた後、あっちの方へ逃げていくのが見えました」

「向こう岸から見ていた、ということですね」

「はい。だから顔は良く分かりません。でも突き落とされたようにも見えたので、まさかと思い駆け付けてみたんです。そうしたら階段の踊り場で、黒い服を着た人が頭から血を流し倒れていたから、驚いて大丈夫ですかと声をかけたけど、反応はありませんでした。すぐに救急車を呼ぼうとしたのですが、死んでいるかを確認した方がいいかもしれないと思い、心臓が動いているか確認しようとしました。でもよく分からず血がどんどん流れ広まっていたので怖くなり、ここから離れて先に一一九番した後、しばらくして一一〇番をしたんです」

 階段の下で立ち止まり、そう話をしている間に中年の警官が踊り場まで上がり、状況を確認したのだろう。無線のようなものでどこかと話をしていた。

 その後階段から降りてきて若い警官が拓雄の説明を伝え、今度は二人に囲まれた。

「もうしばらく時間を下さい。状況を詳しく聞かせて貰いますか」

「あ、はい。しょうがないですね。ただ終電までには帰らせて頂けますか」

 自宅の大まかな住所と最寄り駅を伝えると、若い警官がメモを取りながら時間を確認し、中年警官が彼と目を合わせ頷いてから言った。

「あと一時間半程は大丈夫ですよね。それまでには終わらせます。ただ状況によっては、後日また詳しいお話を伺うかもしれません」

 通報時にも尋ねられた連絡先に加え、勤務先の番号も聞かれた為に名刺を渡した。

「それで先程の続きですが、向こう岸からこちらで揉めているのを偶然目撃されたのですね。では被害者と面識はなかった」

「はい、もちろんです。全く知らない人です」

 これは本当のことだったので、自信をもって答えた。

「では階段には何人いましたか」

「二人でした。多分ですけど。私からはそう見えました」

「なるほど。それで突き落としたと思われる人は、向こうに逃げたんですね。男ですか、女ですか。身長はどれくらいあったでしょう」

「男性に見えましたが声は聞いていないので、はっきりとは分かりません。身長はどうかな」

 少し思い出すふりをし、首をひねりながら答えた。

「そんな大きくはなかったし、小さくもなかったかな。遠かったので何センチくらいとまでは言えませんね。あ、でも倒れていた人よりは高かった気がします」

「どれくらいですか」

「う~ん、頭一つくらいでしょうか」

 拓雄との差がその程度だった。万が一、第三者が同じようにどこかで見ていた時に備え、辻褄(つじつま)を合わせる為に嘘はつかないほうが良いと思ったからだ。

「そうですか。それを見た時間は何時頃ですか」

「あっ、えっと、一一九番に通報する少し前ですから、ちょっと待って下さい」

 スマホの通信履歴を確認し、その時間を伝えた。

「だったら十時十分頃でしょうか」

「それ位だったと思います」

 そう話したところで、次々と警察車両が到着し始め何人か降りて来た。先程よりさらに騒がしくなったからだろう。ちょこちょこと現れ出した野次馬も増え始めていた。その為か、ドラマなどで良く見る警視庁と書かれた規制線のテープが貼られていく。

「こちらへ移動して頂けますか」

 立っている位置が邪魔になるのか、奥へと促される。それから今度はスーツを着た人が現れ、制服警官と言葉を交わした後、拓雄に近づいてきた。こっちは刑事なのだろうと予想していた通り、名刺を出した同い年位の男性が名乗った。

「警視庁のものです。お話を伺ってよろしいですか」

 ドラマでも小説でも良く描かれているが、やはり先程警官に聞かれた同じ質問をされた。なるほど、これが何度も続くのか。そうやって説明がぶれていないかを確認するのだろう。

 ややうんざりしたが、やむを得ない。覚悟を決めて同じように繰り返し答えた。しかしまた人が変わり、四度目に現れたのはいわゆる所轄ではなく、警視庁刑事課のしかも捜査一課の所属だと名乗った。お互い名刺交換をし、阿川(あがわ)と書かれた名前の上の肩書は警部補となっている。その中で先程されなかった質問もされた。

「こんな遅い時間、どうしてこんな場所にいらっしゃったのですか」

「仕事が終わって、プライベートな件で悩んでいるというか、考えをまとめたい件があったからです。そのまま家に戻るより、気分転換も兼ねて喫茶店へ入りました」

 どこの店かを伝えコーヒーを注文したことや、一人でぼんやりしているのも周りから見てどうかと思い、文庫本を開いて考え事をしていたのだと説明する。

「どれ位、店にはいましたか」

「一時間位でしょうか。余り長居をするのも気まずくなって出ました。でもまだ直ぐに帰る気が起きず、人気の少ないこちらの川沿いで頭を冷やそうと、ふらふら歩いていたんですよ」

「そこで偶然、揉めている人影を見たのですね」

 拓雄が頷くと、彼はさらに尋ねてきた。

不躾(ぶしつけ)で恐縮ですが、そのプライベートの悩みが何だったか、伺っても宜しいですか」

「ああ、いいですよ。実は結婚を約束している女性がいましてね」

 昨年末にプロポーズをし、相手の親とも顔合わせをして婚約はしたが、まだ籍は入れておらず、結婚式もいつ上げるか決めていないことや、その話し合いをここ最近ずっとしているといった実際の経緯を説明する。明日も会う約束があり、打ち合わせをする予定だと告げた。

「それはおめでとう御座います。だけど嬉しい悩みでしょうが、気分転換をしてまで考える事だとは思えないのですが」

「それには訳がありまして」

 事情をかいつまんで阿川に告げた所、彼は納得してくれたようで頷いた。

「そうでしたか。転勤族は色々大変ですね。私達も異動はありますが都内なので、伊豆大島のような場所を除けばそう大した問題はありませんから。保険会社だと、それこそ全国各地に行かれるでしょう」

「はい。国内に限っても四百か所ほどありますから。それこそ北は北海道の旭川、南は沖縄の那覇までとかなり広範囲に渡ります」

「そんなに。そうか、海外もありますよね。それは凄い」

 少し雑談に入ったからか、灯りを付け周囲でうろうろし、写真なども取っていた鑑識らしき人達の仕事が一通り終わったのだろう。いつの間にか人が少なくなり、そろそろ引き上げようとしている雰囲気が漂っていた。

 スマホで時間を確認すると、十二時を少し回っている。そこで少し慌てた。

「終電の時間が近づいてきたので、そろそろいいですか」

「そうですね。すみません。今回は通報頂き有難う御座いました。今日はお帰り頂いて構いません。ただ明日以降も事情を伺う場合があると思いますので、その時はご協力頂けますか」

「それは構いませんけど、私が見て分かっている範囲は全てお話ししましたよ」

「申し訳御座いません。確認もありますが、少し経ってから思い出されることもありますし」

「分かりました。では失礼します」

 そう言い彼らから離れようとしたが、ふと気になり拓雄は尋ねた。

「あ、あの、ところで、被害者の方は無事だったのですか」

 先程無線等で刑事達が何やら話していた為、知っているのではとの予想は当たった。

「先程、病院へ向かった別の担当から確認したところ、予断を許さない状態ですが、なんとか命は取り止められそうだとの報告を受けています。そうそう、あなたがすぐに通報して頂いたからだとも聞きました。有難う御座います」

「そうですか。それなら良かった。ご無事だといいですね」

 ホッとした反面、不安にもなった。意識を取り戻し警察に事情を聴かれたら、間違いなく拓雄の名を出すだろう。そうすれば当然嘘がばれ、連行されるに違いないからだ。 

 しかしその場合、呼び出され脅迫を受けたと正直に言えばいい。また突き落としたのではなく掴んでいた胸倉を離した際、勝手に相手がバランスを崩したと主張するつもりだ。

 相手のスマホを奪った理由も、中に和可菜の秘密が入っていると思い止む無くそうしたのであり他意はなく、中身を確認して貰えば警察も納得するだろう。少なくともDMで呼び出した文面は、拓雄のスマホにも残っている。よって脅迫の事実は証明できるはずだ。

 そう言い聞かせ、今度こそ彼らから離れ解放されたのだった。

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