第7章-2 SIDE A‐①:行った場合
引き出物探しは順調に進んだ。数は三品。そうなると一番高価なメインギフトに引菓子、そして縁起物を揃えるのが一般的になる。
そこでメインは銀のカトラリー、引菓子と縁起物を兼ねて日持ちする珈琲と紅茶セットを、もう一品はやや高級なタオルセットにした。
予算は一万円だ。これならかさばらず、それ程重すぎず使い勝手もいいと考え決めた。
最も人気があるのはカタログギフトだと知りつつ、それだと余りに味気ない。といっていらない物は貰っても困る。
そこで消化できる物や日常で使うものなら、例え気に入らなければ他人に挙げたり売ったりすれば済む。自分で使うとなれば、お金を出してまではと思う程度のものなら喜ばれると二人で話し合ったのだ。
目星をつけて数の確保が出来るかの確認を取り、予約はもう少し後ですることにし、公園で休むこととなった。
けれどそれまで気分は上々だったが、あの辺りに座ろうと決めたベンチに近づくにつれ、足取りは重くなる。周囲に人はいない。内緒話にはうってつけの場だ。
そうして腰を下ろし周囲を見渡した。空は青く雲がほとんどない。といって四時過ぎになり日陰だったので、日差しはそれ程厳しくなかった。気温も湿度もそう高くない為、過ごしやすい時間帯だ。
拓雄は大きく息を吸って吐き、思い切って口火を切った。
「ところでさ。谷内田歩さんは和可菜の友達だったのかな」
「うん」
「その彼女に、俺との結婚を反対されていたのか」
「そう」
「その理由を教えて欲しい」
少しの間を置いて説明をし始めた。それは出会いからだった。歩が近所に住む発達障害を持つ幼馴染で、彼女が高校生で和可菜が大学生の時に一時付きあったこと、つまり十年以上前だがかつては同性愛者だった点を、時折涙を浮かべながらも認めたのだ。
刑事から話を聞いた際に生まれた疑惑が現実だと分かり覚悟していたが、色々な意味で衝撃を受けた。
ある意味納得できる部分もあった為、平気な振りを装い質問を続けた。
「俺のアカウントに、おかしなDMを送りつけてきたのが彼女だったといつ知ったんだ」
「一昨日の夜、警察に歩が拓雄さんに送ったDMを見せられた時。実はあの夜の前日、同じ場所と時間が書かれたDMが私宛に送られていたから、どういうことなのか聞かれたの」
和可菜も呼び出されていたのかと思ったが少し違ったようだ。普段互いにフォローし合っているSNSのアカウントから場所と時間だけが記載されたDMが届き、拓雄の名は書かれていなかったという。
しかし歩が何かしでかすのではと半年以上前から気にしていた為、何か意味があると思い現場に駆け付けたと彼女は言った。
「じゃあ警察が言った通り、あの日和可菜が現場近くにいた目撃証言は本当だったのか」
恐る恐るそう尋ねると、意外な答えが返って来た。
「うん。でも私があの場所に着いた頃には、川の対岸で救急車とか警察車両が集まって騒ぎになっていたの。その中に拓雄さんがいたからすごく驚いた」
「そ、そうなのか。だったらあの時に運ばれたのが歩さんだと知ったのはいつなんだ」
「翌日の朝、拓雄さんと電話で話をした後。共通の友達から歩が大怪我をして入院したという連絡があったの。それであの騒ぎがそうだったと気付いた」
「俺と電話で話をした時、和可菜が知らなかったのは本当だったんだね」
「うん。でも拓雄さんが単に目撃しただけだと言っていたから、すごく安心した」
話の道理は合っている。しかしまだ疑問が残る為聞いた。
「あの日現場にいたかどうかの証言を、警察にしなかったのはどうしてだ。犯行だけは否認したとも聞いたけど」
「だって私は歩を突き落としてなんかいないけど、現場にいたと言ったら変な疑いをかけられるじゃない。だからよ」
「後ろめたいことがなければ、正直に答えた方が良かったんじゃないか。変に隠すから、警察は疑っているのだと思う。それに和可菜の犯行を隠すために俺が通報して、男の人に突き落とされたという嘘の目撃証言をしたんじゃないかとも言われたよ」
「そうだったんだ。ごめんなさい。わたしのせいで、拓雄さんまで疑われるなんて思わなかったから。分かった。警察には正直に言う」
「そうしたほうが良い。確認するけど、和可菜が現場に着いた頃には、もう騒ぎになっていたんだな。本当は歩さんが誰かと揉めている様子を見ていたんじゃないのか」
「違う。歩との関係を隠していたから信じられない気持ちは分かるけど」
そう言い俯いた彼女の様子を見て、心境は複雑だった。彼女の言葉を信じるなら、拓雄の犯行は目撃されていないことになる。けれど真実なのか嘘なのかの見極めは難しい。
ただ嘘だとしたら、庇うつもりだと理解できる。それなら歩の意識が戻っても、拓雄の味方でいてくれるはずだ。
問題は本当に見ていなかった場合、拓雄が嘘の証言をしたと知ったらどうするか、である。そこで別の質問をしてみた。
「信じるよ。ところで誰が歩さんと揉めてあんな目に遭ったか、心当たりはあるのかな」
「警察の人には、出版関係の人とトラブルになっていたみたいで、その人達の可能性はあるかもしれないとは言ったけど。以前彼女から話は聞いていたから」
「他にはどうだ。友人関係だとか、和可菜以外の同性愛者の誰かと仲が拗れていたとか」
そこでユカという名が出て来た。どうやらその人も出版関係者のようだ。
「トラブルを抱えていた編集者の一人なのか」
「多分そうだと思う」
説明によれば二つの出版社と揉めていたらしく、歩からはそれぞれの担当編集者と、編集長の名前を耳にしたことがあるようだ。
「じゃあ警察は和可菜や俺以外にも、その三人を疑っているのか」
「はっきりとは言わなかったけど、そうみたい」
「歩さんが無事目を覚ましたら、犯人が誰かなんてすぐ分かるはずだけど、今の状況が長引くのは色んな意味で困るんだよな」
ここでまだ説明していなかった、事件後の一週間で起きた社内の動きを彼女に話した。
「そんなことになっていたの。だからこの七月には異動が無いと思って、式を九月に挙げると言ったのね」
「もちろんそれだけが理由じゃない。少しでも早く挙げた方が和可菜のお母さんは喜んでくれると思うし、さっさと結婚していればこんな面倒な事件も起こらなかったかもしれないとか、あれこれ考えた結果だよ」
「有難う。だけど、こんな私でいいの」
上目遣いで潤む瞳に見つめられ、強く頷いた。
「もちろん。同性愛者かもしれないと気付いた時は、正直驚いたよ。でも和可菜は俺を理解した上で、結婚を受け入れてくれた。だから俺も和可菜を理解し受け入れたいと思ったんだ」
「本当にいいの。かなり前で深い付き合いじゃないけど、女性との交際経験があるのよ」
「いいさ。和可菜には変わりない。過去がどうであれ、問題はこれからだ。他の男性はもちろん、女性も好きになって貰ったら困るよ。しかしそれは俺にも当て嵌まる話だ。和可菜の方が範囲は少し広いってだけじゃないか。俺が抱える問題に比べれば大した話じゃない」
「有難う」
彼女は抱きついてきた。その背中を両腕でしっかりと包み込む。そして耳元で囁いた。
「これからどんなことが起こっても、俺を信じて一緒になってくれるかい」
「うん」
「歩さんのように俺達の結婚に反対する人がいて何か言われても、心が折れたりしないでくれるかな」
「大丈夫。彼女とは付き合っていたこともあるけど、今は何でもない。だって拓雄さんとの結婚に反対しただけじゃなく、あんな脅迫めいた文章を送りつけて呼び出すような人は、友達とは言わないでしょ。拓雄さんさえ傍にいてくれたら、私はどこにだってついて行く」
「お母さんを一人にしてしまうけど、いいんだね」
「うん。私が幸せになるのが一番だって、あの人も言っているから」
拓雄はここで心が揺らいだ。
これほど心を寄せてくれる彼女になら、事実を打ち明けてもいいのではないか。もし隠し続ければ意識が戻った歩に訴えられた場合、裏切り行為になる。
実際彼女が大怪我をしたのは、突き落としたからではない。ならば今の内に真実を伝えるべきではないか。これが後になるか先かでは、その後の展開も大きく変わってしまうだろう。
それこそあの時、DMの誘いを無視していれば、こんな事態にはならなかったはずだ。例えその後、和可菜との関係を知らされたとしても、拓雄は結婚を躊躇しなかった自信がある。
揺らぎない信念さえあれば、どんな選択をしても未来に起こる結果は変わらない。そう考えればやはり言うべきだ。
とはいえ、頭で考えてもいざとなれば勇気がいる。もし彼女が拒否反応を起こしたらどうしよう、という不安が心のどこかに残っていた。
ためらいが腕の力を緩めたのだろう。密着していた体が少し離れた。
だがそれを嫌がるように、首の後ろにあった彼女の腕の力が強まる。そして驚くべきことを耳元で呟いたのだ。
「お腹の子の父親は、絶対に失いたくない」
「えっ、」
絶句する拓雄に、彼女はさらに続けた。
「これは黙っていた訳じゃないよ。昨日電話を貰ったでしょ。あの時実は病院にいてね。あれから検査結果を聞いて、今日会った時に言うつもりだったの」
思わず体を起こして離れ、両手で彼女の肩を掴みながら言った。
「都合が悪いというのは、病院へ行っていたからなのか」
「そう。本当は先週の日曜日に診察を受ける予定だったけど、あんなことがあったでしょ。警察が来たりして落ち着かなかったから、今週に予定をずらしたの」
そう言えば先週も日曜日は都合が悪いと言っていた。式の打ち合わせより優先する用って何だろうと一瞬思った記憶がある。ただドタバタのせいで、余り深く考えていなかった。
「そう、か。驚いた。いや、違う。有難う、嬉しいというべきだよな。体調は大丈夫なのか」
我に返り慌てふためく様子を見て、彼女はようやく笑った。
「大丈夫。四週目だって。喜んでくれるよね」
「当り前じゃないか。でもそうなったら、式の時はお腹が目立つ頃かな」
「九月九日だと五カ月弱だから、ぎりぎりかも」
個人差はあるが十二から十六週で腹が膨らみ、五カ月から七カ月で目立ち始めるという。
「だったら衣装合わせとか、少し考えないといけないね」
「昨日の夜にネットで調べたら、八カ月位までだったら大丈夫みたい。念の為に式場の人と打ち合わせする時には、相談してみるけど」
もし日取りを一月や二月にしていれば、ウェディングドレスは着られなかったかもしれない。
最近はマタニティ専門のドレスもあると聞く。ただそれはそれで制限がかかってしまうだろう。そう考えると、あの場で九月と決めたのは最善の選択だったと改めて思った。
そこで気になり尋ねた。
「だったら籍だけでも早く入れたほうが良いのか」
彼女は首を横に振った。
「それは予定通りでいいよ。来月の二十日だから後一ヶ月もないし、今更少し早めたって余り意味ないと思う」
本当にそうだろうか。だがこうなっては躊躇などしていられない。拓雄は腹を括り、思い切って言った。
「ごめん。実は俺も和可菜に隠していた事がある」
そこで歩が階段から落ちた状況など、彼女と会った夜に起こった出来事全てを、嘘偽りなく正直に全部話したのである。
当初は驚愕の表情を見せていたが、最後まで話を聞き終わった彼女は落ち着きを取り戻した様子で口を開いた。
「拓雄さんは突き落としていないんでしょ。あくまで歩がバランスを崩して足を滑らし、階段から落ちて頭を打ったのよね」
念を押すような口調に、深く頷いた。
「本当だ。これは絶対嘘じゃない。彼女が意識を取り戻し、俺を貶めようとしなければ、真相は明らかになるはずだ」
「だけど、もし彼女が突き落とされたと嘘をついたら、」
「その時はまずいことになる。警察にも嘘の証言をしているし、下手をすれば逮捕されるかもしれない」
「だったら今から警察に言おうよ。私もあの日、現場にいたって言わなきゃいけないし」
「だけど現場で証拠隠滅するような真似をしただろう。それだけじゃない。俺が早期に通報したから、歩さんの命は助かったと思われている。もし今このタイミングで事実を打ち明けたら、谷内田社長が何というか。信じて貰えなかった場合、さらに関係が悪化してしまうだろうし、上も黙っちゃいない。最悪、責任を取らされて飛ばされる可能性だってある」
「そ、そんな」
「馬鹿な、と思うだろう。でもそういう会社なんだよ。ただでさえ順調に昇進している俺を、疎んじる奴らは多い。少しでも隙があれば、足をすくわれるのがこの世界だ。上だって俺の手柄を横取り出来る内は可愛がってくれるけど、自分の地位を脅かすと分かったら手の平返しさ。いくら優秀な人でも、そうやって引きずり降ろされた先輩方を俺はこの十二年余りで何人も見て来たし、そういう話を聞いてきた」
「でもこのままだと、歩が正直に言った場合は嘘の証言をしたって責められるでしょう」
「その可能性もある。でも嘘をついた事情を説明すれば、理解はしてくれるはずだよ。実際、あの文面を読めばわかるけど、俺が脅迫されていたのは明らかじゃないか」
「スマホを隠したのは、少しやり過ぎだったかもしれないけど」
「俺は彼女が落下してすぐ通報した。証拠隠滅工作のような真似をしたのはその後だ。彼女を見殺しにするつもりなんて無かったのは明らかだし、あくまで疑われたくない一心だっただけじゃないか。それにスマホの中には、和可菜の裸の写真があるかもと思ったし」
懸命に説明する拓雄を、彼女は宥めた。
「ごめん、興奮しないで。責めている訳じゃないの。ただ警察ならそう思うだろうなって思っただけ。でも私は信じる。拓雄さんは悪くない。それに歩との関係をスマホで撮影されたなんてまずないから。あるとすれば、付き合っていた頃にやり取りしたメールくらいよ」
そう聞いて安心した。彼女が本当の意味で味方になってくれたと分かり、胸のつかえがとれた。これからは一人で秘密を抱え、頭を悩ませなくて済むと思っただけで気が楽になった。
それにこういう言い方は何だが、拓雄が罪に問われ会社での地位も危うくなれば彼女だって困るはずだ。お腹の子のこともあるし、その後の生活に大きな影響を及ぼすだろう。
そこで聞いてみた。
「それでも和可菜は、今のタイミングで警察に言うべきだと思うか」
彼女はじっと黙り、考えた末にポロリと言った。
「もし歩の意識が戻らないまま亡くなったら、拓雄さんの無実を証明する人はいなくなっちゃうよね。馬鹿正直に言って逮捕されたら、それこそ目も当てられない。そんなのは困る」
「やっぱりそう思うよな。そうなんだ。だから今は彼女が意識を取り戻し、かつ正直に証言してくれるのを祈るしかない」
「もし歩が嘘の証言をすれば、その時は闘うしかないよね。そうよ。あの子が脅迫まがいの真似をするからこんな目に遭ったんだし。最初は疑われるかもしれないけど、最後には拓雄さんが正しかったって証明できないとおかしいもの」
「そう。胸倉は掴んだけど押してはいない。警察も衣服とかを詳しく分析したら、突き落とした形跡はないと分かるはずだ」
「警察は何て言っているの」
「はっきりとは教えてくれなかった。俺が使っていた消毒液の成分が胸のあたりに付着していたと知っていたから、それなりに調べているとは思うけど」
「えっ、大丈夫なの」
「そこは何とか誤魔化した」
刑事に説明した話を伝え、その他に取った証拠隠滅についても再度説明すると、彼女は納得したように頷いた。
「それだけ用心していたならはっきりした証拠がない限り、警察も迂闊に動けないと思う」
「唯一見つかるとまずいのはスマホかな。電源は切ったままだから、大丈夫だと思うけど」
「どこかに捨てたほうが良いかも」
和可菜が心配気にそう言ったが、拓雄は首を振った。
「それも考えたけど、歩さんが意識を取り戻した際の事を考えたら、そこまですると無罪を主張できなくなる。少なくとも器物破損や窃盗の罪に問われてしまう」
「でも今の時点で、窃盗にはならないの」
「いや。少し調べたけど、必ずしもそうじゃない」
窃盗罪の構成要件としては、①他人の財物を②窃取し③それが故意であり④不法領得の意思がある、との四つが必要になるという。
この内、現時点で①②③は当て嵌まるが、最後の不法領得の意思がかろうじて含まれない可能性があった。
不法領得の意思とは権利者を排除して他人の物を自己の所有物とし、その経済的用法に従い利用処分する意思をいう。
現時点で歩のスマホを現場から持ち去った拓雄は、権利者を排除し自己の所有物とした点は認めざるを得ない。
だが電源を切ったまま遺棄や損壊せず保有しているだけなので、経済的用法に従い、利用処分する意思はなかったと主張できる。そうせざるを得なかった事情を考慮されれば、窃盗罪を免れる可能性は決して低くない。
また証拠隠滅罪は、「他人の」刑事事件における証拠を隠滅・偽造・変造した場合に問われる為、「自分の」事件では罪に問われず、また突き落としておらず事故なのだから刑事事件になるとも限らないのだ。
和可菜にそう説明すると、彼女は納得してくれた。だが不安げに言った。
「だけど歩の意識が戻らない内は、ずっと私達二人共が疑われたままになるよね」
「そうだな。他にも容疑者はいるようだから、二人だけじゃなさそうだけど」
「そうか。疑いの目が他の人に向くようになれば、確かな証拠のない私達への風当たりは弱くなるかも。それこそ逮捕されればいいのに」
拓雄は目を丸くした。
「トラブルを抱えていた人を逮捕させるというのか。いや、さすがにそれは難しいだろう」
「そんな事ないと思う。だって拓雄さんは現場から逃げて行く人を見た、唯一の目撃者でしょ。それこそ今警察に目を付けられている出版社の一人を、この人かもしれないと言えば信じてくれるかもしれないじゃない」
あまりに突拍子もない意見に最初は驚いたが、彼女の真剣な目を見ている内に、そうすることも有りかも知れないと拓雄は考え始めていた。