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第7章-1 和可菜の告白を受けて SIDE B‐①:行かなかった場合

 出版社巡りを終えた日曜の夜、拓雄は和可菜とメールで連絡を取った。電話をしなかったのは怖かったからだ。

 それでも今度の土日のどちらかで会えないかと送ったところ、返信があり土曜日に約束を取り付けることができた。待ち合わせはいつもの喫茶店だ。

 そして当日、拓雄達はモーニングを食べ終わった後、近くの公園へと移動し話を始めた。

「先週、歩さんと揉めている判田さんと辻脇さんに会った。そこで気になる話を聞いたよ」

「えっ、」

 絶句する彼女に、勇気を振り絞って尋ねた。

「歩さんには以前付き合っていた女性、または好きな相手がいて、最近その人が男の人と結婚すると聞き激怒していたようだ。同性愛者だったのに裏切り者だと言っていたらしい。それはもしかして和可菜のことなのか。君は歩さんと付き合っていたのか」

 俯いて表情は見えない。だがその態度から間違っていないと分かった為に声をかけた。

「誤解しないでくれ。君が同性愛者でもバイセクシャルだとしても、責めるつもりはない。ただ真実を知りたいだけなんだ」

 肩が震えだし、泣き始めた。その様子を見てさらに言った。

「こんなことで和可菜との結婚を諦めたくない。俺は君と今後もずっと一緒にいたいんだ。その為に出来るだけ隠し事は無くしたい。もちろん過去の恋愛事情を全部さらけ出せ、とは言わない。俺だってこれまで何人の女性と付き合ってきたか、何て言うつもりはない。でも今回の件だけは教えて欲しい。その上で俺を信じてくれないか」

 嗚咽(おえつ)を漏らし、激しく体を揺らした彼女はしばらくして顔を上げた。

「ごめんなさい。絶対、拓雄さんには嫌われたくなかった。警察にも知られたみたいで、もう隠しきれないと思ったけど言えなかったの。どうしても幸せな結婚をしたかったから」

「分かっているさ。俺だってそうだ。じゃあ歩さんと付き合っていたのは本当なんだね。だから彼女は和可菜の結婚に激怒した。それで俺にDMを送ったんだな。公にされては困る秘密というのは、過去に同性愛者と付き合った事実を指していたんだね」

 彼女はしゃくりあげながら頷いた。顔は涙で濡れ、化粧がかなり落ちかけていた。そして言った。

「そうだと思う。でも彼女と付き合っていたのはずっと昔で、しかもほんの少しの間だけ。拓雄さんと交際し始めた頃は単なる友達に戻っていたの」

 かつて近所に住んでいた歩とは、幼稚園から中学の途中まで同じ場所に通う幼馴染だったという。また歩の家が引越しをしてからも交流は続いていたそうだ。

 しかし驚いたのは同性愛者であるだけでなく、彼女には幼い頃から発達傷害があったという話だった。コミュ障で物語を読んだり書いたりと好きな事をしている間の集中力はあったが、それ以外の時は注意散漫で疲れやすい体質だったらしい。

 そうした要因もあり小学校時代から学校を休むことが多く、中学は途中で転校し高校も中退したので友達はほとんどおらず、和可菜はその数少ない友人の一人だったという。

 年齢が四歳、学年が三つ違う為にそうした交流があったとは想像もしなかった。

「じゃあ引き籠りという噂は、まんざら嘘じゃ無かったのか」

「家にいる間、本を読んだり小説を書いたりしていたの。それで高校時代に投稿した小説が賞を取って、デビューで来たのよ。でも彼女のお父さんが凄く厳しい人でね」

 どうやら父親の影響で男性恐怖症にもなり、同性としか交流を持てなくなったのではないか、と彼女は説明してくれた。

 そんな一人っ子の歩にとって和可菜は数少ない理解者であり、姉のような存在かつ大事な友人だったのだろう。そうした感情が高まり、やがて愛情に変化したと思われる。

 拓雄も好きになった相手だから、その気持ちが痛いほど分かる。

「それで付き合っていたとか、友達に戻っても好きな相手が和可菜であり続けた、という話になるんだな。それで俺との結婚も反対していたのか」

「理由を詳しくは教えてくれなかったけど、そうみたい。あなたの癖とか昔の話は絶対教えていないから。だけどもしかすると拓雄さんの事を、どこかで調べたのかもしれない」

 なるほど。拓雄が人脈を使い周辺を探ったように、彼女は和可菜の相手がどんな奴なのか、嫉妬心から調査した可能性はある。

 あれだけ執拗にアカウントをフォローさせようとしていた位だ。それほどの執着心があれば、ある程度の情報を集める事は出来ただろう。

 一人納得していると、和可菜が話を続けた。

「だけどそれまでやその後も、私は男の人との交際経験があったの。歩とキスや、その、裸になって抱き合うくらいはした。でも彼女には悪いけど、今考えたら同情心とか興味本位だった点は否めない。男の人に持つような感情はなかったから。これは本当。信じて」

「それはいつ頃なの」

「彼女が小説を書いて成功した頃かな。デビュー出来た時は二人で喜んだけど、次第に距離を感じ始めたの。恥ずかしい話、経済的な問題というか、お金に対する価値観の差が大きくなったこともあってね。でも彼女がずっと未練を持っていたのは気付いていた」

 元々歩の家は比較的裕福で、育った環境が違ったからだろう。付き合いだした頃はまだ単なる高校生と大学生だったが、小説で収入を得始めて金銭感覚の違いが表れ始めたようだ。

「別れたといっても、私達の場合は友達関係が続いていたの。だけどメールや電話のやり取りが主で、会う機会はそれ程多くなかった。彼女も別の女性と付き合っていたから」

「だったら脅しのネタは、キスや抱き合った時の写真や映像だったのかな」

「それはまずない。当時の彼女は私とのメールとか電話以外、スマホは余り使いこなせていなかったから。私に気付かれずこっそり撮影なんてできなかったはず」

 それが事実なら、DMの書かれていた脅しは単なるハッタリだったのか。もしかすると、かつて二人がやりとりしたメール等を意味していたのかもしれない。それだけでも今や同性愛者と公言している歩との交際の裏付けになり、和可菜も同類との証拠にはなり得る。

 別れた後も想いが残っていた彼女にとって、男との結婚は裏切りだと思い激怒したのだろう。その怒りの矛先が拓雄に向かったから、あんな手間のかかる真似までして呼びつけたに違いない。そこで和可菜との過去をばらし、それでも結婚できるのかと迫る予定だった。さらには拓雄の弱みを突き、その事実を会社内で広められたくなかったら別れろ、と脅すつもりだったと思われる。

 男女の恋愛でもよくある話だ。片思い、または浮気された場合でも、好きだった人でなくその相手に憎しみを向ける場合は珍しくない。歩もそうだったのだろう。

 これで和可菜の秘密やDMの謎はほぼ理解できた。だがまだ残る問題について尋ねた。

「歩さんが俺のアカウントを探って近づき、呼びだそうとしていたのは知っていたのか」

 彼女は頷いた。

「何かするんじゃないかと心配はしていたの。男性と交際している話を周りから聞いて、凄い剣幕で連絡してきたから。でもその後何もなかったから、杞憂だと思っていたんだけど」

「それが半年ほど前なんだな」

「そう。あの頃からあなたのアカウントを知って、フォローさせようとしていたんだと思う。説明する為に会った時、こっそりスマホを覗いてアクセス履歴とか調べたんじゃないかな」

「それにしても回りくどい真似だな。俺の連絡先を調べて、直接メールなり電話をして呼び出せばよかったのに。まあコミュ障だったと聞いた今なら、多少理解は出来るけど」

「どうしてあんな真似をしたのかは、私も分からない。だけど拓雄さんがいうように、最初はそこまでする勇気が無かったんじゃないかな。ごく限られた人としか話が出来ない彼女はいつも殻に閉じこもって、人との接点を極力少なくして生活していたから」

 確かに一口で引き籠りと言っても、事情はそれぞれ違うし程度も異なる。家族すらほとんど会話しない人から、一人で買い物の為に外出し限られた友人とだけ話すけれど、多くの時間を室内で過ごす人もいる。

 彼女は出版関係の人とは会ったり話したりはできたが、その他との接点は和可菜などを除けばほとんど無かったに違いない。そこで思い出す。

「そうだ。和可菜と別れてから歩さんが付き合った人の中に、女性編集者はいるかな」

「会ってはいないけど、話に聞いたことがある。ユカと呼んでいたから、多分さっき言っていた人がそうだと思う」

 中東の名前は由香里だ。やはり二人は付き合っていたのだろう。そうした関係から揉め、印税を誤魔化すなどのトラブルに発展した、との判田の予想は正しいのかもしれない。ならば彼女が犯人の可能性も高まる。

 ただその前に、もう一つ確認しなければならない。

 拓雄は一度唾を飲みこみ、覚悟を決めて尋ねた。

「俺が呼び出されたあの日の夜、和可菜はどこにいたんだ。警察が疑っていたけど、あの場所にいたんじゃないのか」

 ハッと息を呑んだ彼女の目は、まだ潤んだままだった。その目と表情をじっと見つめ、その答えを待った。同じく意を決したらしく、大きく息を吐いてから口を開いた。

「いた。でも私は突き落としてなんかない。信じて」

「警察が聞き込みで集めた和可菜らしい姿を見たという証言は、本当だったんだな」

「夜遅く暗かったし人気が少なかったから、誰かに見られているなんて思わなかった」

「どうしてあの場所にいたんだ。俺が呼び出されていたと知っていたのか」

「前日の夜、彼女から私宛にDMが送られてきたの。だから気になって様子を見に行った」

「なんだって。和可菜も呼び出されていたのか」

「そうじゃない。場所と時間が書かれていただけ。拓雄さんを呼び出しているとか、私に来いとは書いていなかったの」

 刑事達は、歩が拓雄宛てにDMを送っていた事実を把握していた。そうなると和可菜に送ったDMについても知っている可能性は高い。

 その点を告げると彼女は頷いた。

「はっきりとは言わなかったけど、知っている口ぶりだった。でも文面だけで、現場に行ったかどうかは証明できないでしょ。実際、拓雄さんは指示に従わないで行かなかったよね」

「確かに。和可菜に送った文面なら、間違って送信したのかと無視しても不自然じゃない」

「だから現場に行った件は、否定も肯定もしないで黙っていたの」

 彼女があの夜、あの場所にいた事実とその理由は理解できた。そうなると問題はその先だ。

「だったら、いつ事件が起こった場所に着いた。歩さんが揉めていた様子は目撃していたのか。その後、どうなったのかも見ていたのか」

 どう答えるか、固唾を飲んで見守っていたところ、彼女はぼそぼそと答えた。

「私が現場に着いたのは、書かれていた時間の二分ほど前かな。もうその時には川の向こうで救急車が駆け付けて少し騒ぎになっていたから。被害者が歩だとか、揉めていて階段から落ちたように見えると通報した人がいたというのは後で知った」

 じっと表情を見つめ、嘘かどうかを探ったがよく分からない。そこでさらに尋ねた。

「じゃあ、俺があの晩メールを送ったり電話をかけたりした時には、あの場所にいたんだね。でもどうしてその事を隠していたんだ」

「拓雄さんが呼び出されたかも知れない、と思ったから。それに野次馬の一人が、誰か血を流し倒れているらしいと言ったのが聞こえて怖くなったの。歩と何かあったのかと思って。だからすぐ逃げた。でも留守電を聞いて拓雄さんじゃないと判ったから凄く安心した」

 お風呂に入っていて気付かなかったと一度嘘をついたから、その後言いだせなかったのかもしれない。

 また歩が拓雄にもDMを送っていたと知り、彼女との関係をあの時点で説明するのは避けたかったのだろう。その気持ちは理解できる。矛盾点もない。

 しかしまだ疑問がある。

「歩さんが被害者だと知ったのは、事件があった後なんだね。彼女が誰かと揉めている様子は全く見ていなかったようだけど、犯人に心当たりは本当にないのか」

 彼女は少し間を置いてから、絞り出すように言った。

「揉めている、編集の人だった可能性は、あると思う」

「他に怪しい人はいないか」

「分からない。でも彼女が引き籠ったのは小説を書く為だけじゃなく、発達障害で親から距離を置かれ、また同性愛者だと知られて孤立していたからなの。可哀そうなんて言ったら失礼だけどそういう子だから、DMで脅したのは悪い事だけど余り責めないであげて」

 なるほど。営業一課の前担当者がかつて歩の後を付けて盗撮し、同性愛者だと知ってトラブルになった。その際に親子の間でかなり揉めたらしいが、それ以前から関係は悪化していた噂もあると耳にしていた。和可菜の説明は、それが事実だったと裏づける話だ。

 四十過ぎに生まれた待望の子が、発達障害と分かった時の衝撃は計り知れない。それでもそれなりに溺愛していた娘が同性愛者だと分かり、親子間に埋めきれない溝ができたのだろう。

 それに巻き込まれたのがうちの担当者で、その営業一課の災難は今も続いている。

「そんな関係だから部屋に引き籠って小説を書き、それを生甲斐かつ仕事にし、自立しようとしていたのかもしれないな」

「そうなの。いずれは一人暮らしをするつもりだったはずよ。でも去年お母さんが亡くなって、さらに出版社と色々揉めちゃったでしょ。多分、タイミングを逃したんだと思う」

 作家の収入が安定していれば、経済面だけなら十分親元を離れられただろう。だがトラブルを抱え、収入が途絶える恐れがあったから、独り立ちを遅らせたのかもしれない。

 ただ和可菜の言う通りなら、最近の話ではないから事件との関係性は薄いと思われる。そう考えると犯人となれば中東が一番怪しい。もちろん彼女の証言が全て本当だとすれば、の話だが。しかしここで疑っても始まらない。

 歩がそのまま死ねば話は別だが、目を覚ませば事実は明らかになる。ただそれがいつになるか。

 公にされたら困る秘密に関しては、もう心配しなくていいだろう。例え今後誰かに脅されたって怯える必要はない。その程度の過去が会社内で広まったとしても、今の拓雄なら撥ね退ける位の覚悟は持っている。

 よって今出来ることは、警察から疑われている二人の無実を証明することだ。となればやはり真犯人を突き止めるしかない。

 そこで先週から今週にかけ、揉めた編集者達と会った目的と経緯を改めて彼女に説明した。幸せな結婚をしたいと思う気持ちは同じだ。真犯人が早く掴まえれば障害はなくなる。 

「日曜日に会えなかった編集者の中東とは、辻脇編集長と会った翌日の月曜日のお昼に、職場へ電話をかけて取り次いで貰うようお願いし、電話で話したんだ」

「そうなの」

「ああ。でも歩さんについては、判田や辻脇と同じような話をしていたよ。自分もしっかりとしたアリバイはないけれど、突き落としたのは自分じゃないと断言された」

「でも東京駅周辺にいたと証言しているのよね。もしそこでいたのなら、どこかの防犯カメラに写っているだろうけど、警察が探し出すのは至難の業でしょう」

 確かにそうだ。歩が死亡していない今の時点で、そこまで労力はかけられないだろう。だから現時点で、彼女が犯人である可能性は否定できない。

「ああ。誰が歩さんを酷い目に遭わせたと思うかって聞いたら、同じ会社の辻脇を庇う訳ではないが、そんな度胸は無いし文句を直接言いに行くタイプではないから、判田ではないかと言われた。それか他に付き合っていた女性がいたんじゃないか、とも言っていた」

「その中東さんは同性愛者で、歩と付き合っていたと認めたの」

「カミングアウトしていなかったようだけど、認めた。警察には知られていたらしく、誤魔化せないと思ったんじゃないかな。それに俺が和可菜の婚約者だと説明していたから、教えてくれたのかもしれない」

 彼女は気まずい表情を浮かべ俯いた。ユカとの交際を知っていたのだから、相手も和可菜の存在を耳にしていたに違いないと気付いたのだろう。実際に中東は口にしていた。

「ワカナって子と昔付き合っていたのは知っている。その子が今度、男と結婚するって激怒していたから。裏切り者だとも言っていたし。あなたには悪いけど、判田じゃなければその子が犯人かもしれないわよ。もちろん別の女がいた可能性もあるけどね。基本的には引き籠っていたけど、そういう方面にはよく顔を出していたから」

 三年以上前、担当者の村山が後を付け見つけた、夜な夜な集まるバーというのがそれだろう。盗撮された以降も出入りしているようだ。

 そこでふと考えた。和可菜もそうした場所に行ったことがあるのだろうか。

 だが心の中で首を振った。それがどうした。自分だって合コンに参加した経験はある。友人や取引先の人から強引に誘われたとはいえ、風俗まがいの店にだって入った。過去について今更ほじくり返す必要はないし、そんな資格など拓雄にはない。

 気を取り直して話を続けた。

「電話だけで直接会っていないから、彼女の言葉が嘘かどうかまでは分からない。ただ俺が会った印象からすれば判田が犯人の可能性は薄いと思ったし、彼ではないかと言った中東の態度は怪しい気がする。だから直接会って、もう一度話を聞きたいと思っているんだ」

 そう告げると彼女は顔を上げて言った。

「それなら私も同席する。拓雄さんでは気付かない、女性同士ならではの勘が働くかもしれないから。それに私も会いたい。その人が歩をどう思っていたのか知りたいし、付き合っていたこともあるのに、どうして揉めたのか。しかも印税を誤魔化すなんて悪質でしょ」

 お金が絡んでいるからか、それとも中東についての恨み辛みなどを歩から聞いていたからか、彼女は怒りをあらわにしていた。

 意外な申し出だったが頷いた。

「いいよ。だったら二人で会いに行こう」

 拓雄だけなら断られるかもしれない。だが休日でも彼女がいると聞けば、中東は必ず興味を持つはずだ。

 それに和可菜が言ったように、同じ相手と付き合った女性同士なら、何かしら通じるものがあるだろう。嘘を付いても化けの皮がはがれる可能性だってある。

 そこで早速、辻脇に連絡をいれてみた。携帯番号が書かれた名刺を貰っていたからだ。

 すると彼は先週同様、休日出勤をしていたらしい。その上中東も出社しているようだ。

「申し訳ありませんが取り次いで頂けますか。一度私の婚約者とも会って貰いたいので」

 電話口で渋っていた彼だが、保留音が鳴ってしばらく経った後、彼女に代わった。

「お電話代わりました。あなたもしつこいですね。まだ何を聞きたいと言うんですか」

「それはお会いして頂ければわかります。私の婚約者の和可菜も同席します。当然彼女から、谷内田歩さんとの関係は聞きました」

 彼女は躊躇していたが、好奇心が優ったのだろう。明日の日曜日のお昼、彼女の会社近くで会う約束を取り付けられた。

 ホッとした二人はその後別れた。彼女との間にあった謎もほぼなくなり、これで一歩前進出来た。

 まだ式場との打ち合わせは延期になったままだ。もちろん歩の意識が戻れば、話はさらに進むだろう。だが今出来ることをするしかない。拓雄は自宅に戻る途中でそう考えながらも、別の想いも浮かんだ。

 改めて歩と付き合った過去のある和可菜との結婚を望むのか、自分に問い直す。わだかまりが全くないかと言えば嘘になる。過去や癖は関係ないと言い切れないからだ。

 例としては、浮気や暴力、金遣いの荒さ、ギヤンブルや酒癖などが挙げられる。そうした過去や癖は常習性が高く、再び繰り返す恐れがあるからだ。

 和可菜の場合、常習性があるとは言えない。だが将来男性との浮気に加え、女友達との交流も油断できないことを意味する。それでも彼女と結婚するのか。

 けれど拓雄のような男と結婚してくれる女性がこの先現れるかと考えれば、これまでの経験から難しいと言わざるを得ない。もう三十五歳だ。この機を逃せば一生一人で暮らす覚悟をしなければならないだろう。ただ和可菜に会うまでは、潔く諦めていたではないか。

 拓雄は頭を振った。どちらにしても真犯人を発見し、和可菜の無実を証明しなければ先に進めない。過去の一時的な付き合い以上に、犯罪者かどうかは大きな問題だからだ。

 そう結論を出し、全ては明日以降だと思い直した。


                 *


 歩の件で会いたいと執拗に食い下がる綿貫という男には辟易したが、あの女が来ると聞いた為、由香里は渋々ながら面会を了承した。

 何度も繰り返し行われた警察による事情聴取だけでも閉口し、周囲からの冷たい目に苛立つ日々が続いていた。よってこれ以上同じ説明を繰り返したくはなかったけれど、歩との会話で何度も出て来た忘れられない女を一度目にしたいという願望には逆らえなかった。

 意識不明に陥った程度では、ここ半年以上味わってきた鬱憤を晴らすには全く足りない。さらに浴びせられたこのストレスを発散するにも格好の的だ。

 さて、明日はどんな目に遭わせてやろうか。由香里の頭の中には、あらゆる罵倒の言葉が次々と浮かんでくる。それだけで幸せな気分に浸ることができたのだった。

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