第6章-2 SIDE A:行った場合
予定していた日曜日、いつものように彼女と喫茶店でモーニングを食べる為に待ち合わせをした。だがお互いそこでは、事件についての話題を避けた。
というのもこれから式の打ち合わせをしなければならない。その前に気分を損ねたくないと考えたからで、彼女も同じ思いだったようだ。
よって何事もなかったかのように、式について話し合った。
「引き出物はどうしよう。拓雄さんは何か考えているものはないの」
「まず何品にするかだよ。奇数だったよね。三品か五品かな。七品は多すぎると思う」
「五品でも多いわよ。結婚式には何度か呼ばれたけど、荷物が大きいと私は嫌だったな。地域によっては、重くてかさばる程良いって言われるところもあるから」
「俺も経験ある。確かに鬱陶しい気がした。あれだろ。ホットプレートとか、でかい皿とか」
「そうそう。結婚する二人の写真を印刷したお皿とか、凄く困るよね。他人にあげたりできないし、だからといって使ったり、ましてや売ったりもできないじゃない」
「同感。小さくてもセンスが感じられる物がいいな。貰って困らない、使い勝手のいいやつ」
「そうなると食べ物とか、消費できる品がいいよね」
「けど飲食物ばかりにはできないから一つはそういう商品で、他の二つはわざわざお金を出してまで買わないけど、あったらいいと思って貰えるものがいいな」
「それいいね。じゃあ、十時からの式の打ち合わせが済んだら、午後は百貨店とか色々店を回ってみようよ。それと何人呼ぶかよね。これも予算をどうするかにもよるけど」
「お互いの会社関係者で併せると、二、三十人程度にはなるだろう。そこから親族と友人を呼ぶけど、多くても全体で五十人かな」
「うん。それ位が限度だと思う。できればこぢんまりとした形の式が良いから」
「和可菜がいいなら俺は反対しないよ。確かに大勢集まった式になればなるほど、なんとなく息苦しいというか、居心地が悪く感じる時があるよな」
「だよね。だから絶対呼びたい、親しい人だけでいいと思う。会社関係はしょうがないから」
彼女が取引先の事務員という関係上、拓雄側は所属する法人課の面々を呼ばない訳にはいかない。支店長も含めれば、総勢十数名程度にはなる。
そうなると彼女も職場の上司や同僚を招かなければバランスが悪い。十五名ずつと仮定すれば、合計三十名は会社関係者が占めることになる。互いに呼ぶ親族は少ないので、残りは友人関係だけだ。
拓雄は中高一貫校で思春期の六年間過ごした友人の他に、大学時に親しくなった者や会社の同期などが大勢いる。だが頻繁に顔を合わしたり、連絡を取り合ったりはしていない。それにどこまで呼ぶか、あいつを呼ぶならこいつは、などと頭を悩ますのも厄介だ。
だったら中高時代のごく親しい友人だけと絞り込めば、選定は比較的楽になる。もちろん和可菜が呼びたいと思う友人の数と合わせ、多少の調整は必要だが。
朝食を取りながらそうした話をしている内に予定の時間が近づいてきた為、二人は店を出て式場へと向かった。そこから二時間ほどかけ、会場や併設されているチャペルなどを見学し、担当者との打ち合わせを行った。
実際に目で見て、提示されたプランの内容や費用などを確認し、和可菜がとても気に入ったようなので、拓雄はここで挙げようと了承した。
式というものは基本的に新婦のものだ。また二人の他に、招待客もできるだけ満足して貰えればよりベストだと考えている。それが実現できそうだと判断し、最終的に決断したのだ。
打ち合わせ自体は全体的にスムーズに進んでいた。唯一悩んだのは、日取りをいつにするかという点である。
拓雄が当初考えていた年明けの土日なら、大安の一月六日土曜日と一月二十八日日曜日、二月三日土曜日、三月三日日曜日のいずれも今なら空いているという。
ただ和可菜、厳密に言えば彼女の母親やその周囲にいる人達の要望である九月までとなれば、大安は十一月まで全て埋まっていた。
それどころか土日で空いているのは、いずれも土曜日で先勝の九月九日と仏滅の八月十九日、九月二十三日しかなかった。
最近では余り気にしなくなったと言われているし、拓雄自身もそれほどこだわっていない。だが招待される側の想いもあり、敢えて仏滅に挙げるのもどうかと思った。
「じゃあ早く挙げるなら、九月九日の午前しかないかな」
十月一日付の人事異動発表は、恐らく九月第二週金曜日の八日だ。つまり式はその翌日になる。異動に名前があれば、引き継ぎや引っ越しの準備などをしなければならない。よって新婚旅行をその後の一週間で行くのは、かなりスケジュールがタイトになるだろう。
もちろんその前の七月一日付の人事異動、恐らく来月二日金曜日の発表で赴任先が決まっている可能性は残っていた。
その場合、新天地で彼女と一緒に働きながら、式までの様々な段取りをしなければならない。場所にもよるが、北海道や沖縄といった余りにも離れた土地だったら相当面倒だ。早くこの地から離れたいという気持ちを抱く一方、歩の意識が戻った場合を考えるなら、ここにいた方がいいとも思う。
だがこの中途半端な状態を抜け出す方法がないかと案じたって、なるようにしかならない。歩がこのまま息を引きとれば楽になるかと言えばそれも違う。死ねば拓雄の証言により、警察は殺人事件として犯人を追うことになる。そうなったらこのまま惚け続けるか、または真実を告白するかの大きな選択をしなければならないのだ。
惚けるなら、一生秘密を抱え怯える生活を覚悟しなければならず、告白すれば嘘の証言自体の罪は問われずとも、事故だったとの供述自体の信憑性が疑われてしまうだろう。下手をすれば、殺人罪で逮捕される恐れだってある。それだけは絶対に避けたい。
ならば手遅れにならない内に、事情を説明するべきかとも考えた。
だが早期に通報した善意の第三者として谷内田社長に感謝され、関係悪化していた代理店との改善と営業数字の回復を期待されている今、そんな行動に出れば会社からの擁護は期待できなくなる。
それどころか警察の動き次第では手酷く非難され、退職を促される可能性も考えられた。
「拓雄さん、どうしたの。九月か年明けの一月か二月が良いか、どう思っているか言って」
和可菜の問いかけで我に返る。思考が別のところへ向いてしまい、肝心の日取りについては途中から考えていなかった。その為、慌てて答えた。
「ああ、ごめん。ちょっと、別事を考えていて。でも悩ましいな」
「もう、しっかりして。九月か年明けで迷っているのか、一月か二月で決めかねているの?」
「いや、年明けなら一月六日かな。三月は年度末だし月末より月初めの方がまだいい。そうなると一月六日か二月三日の土曜日になるけど、年明け直ぐの方がまだいい気がする」
「三日まで会社はないし、四日も休む人はいるけど五日からはほぼ出社するからね。中には四日、五日を休んで年末三十日から年明け七日まで九連休にしたい人もいるだろうけど」
「そういう人は式に招待しても欠席で回答してくるだろう。会社関係者全員がそうする訳はないから一人か、多くて二人だろうし。絶対声をかけないといけない支店長や課長のような管理職は、まずそんなことしないから心配しなくていい」
「そうか。そうね。一月の方が、まだ来てくれやすいかも。忙しくはないだろうし」
「となったら、後は一月六日か九月九日の二択だな。そこで問題になるのが、七月一日で異動するかどうかだよ」
「発表は来月の二日だよね。どう。出そうなの」
拓雄は苦笑した。
「これは絶対に分からない。海外赴任だとか課長や支店長に昇進するタイミングだと、早めに内示が出て教えてくれるケースもあるとは聞くけど。でも俺の場合、それはないから」
海外への異動は本人が希望しない限り、そう滅多に叶わないらしい。中には語学が堪能なのに希望していない人が、社内事情で打診されることもあるという。
けれど多少英語だったら日常会話程度はできる拓雄だが、海外留学の経験もないし、TOEFLやTOEICの点数は飛びぬけて高くない為、可能性はゼロに近い。
そこまで考えた時、ふと思いついた。
「そうか。今の状況が続くなら、本部長や支店長が俺を異動させないかも」
「どうして」
拓雄はまだ彼女に説明していなかった、事件後の一週間で起きた社内の動きを話そうと思ったが踏み止まった。目の前には今後式場の担当者となる女性と、その補助で同席している男性スタッフがいたからだ。転勤族だから異動のタイミングで、式をいつ挙げるか迷っている背景は彼女達に伝えているが、事件については当然口にしていない。
「ちょっとその話は、昨日電話で言った他の件も含めて後にしよう」
そう小声で告げた態度で、和可菜は察したようだ。それでも日程を仮押さえしなければ、今後の段取りに支障が出る。
「分かった。でもそれならどうするの」
本部長達は谷内田社長との関係改善の為に、拓雄の力を必要としている。よって歩の意識が戻らなければ、例え人事で決まっていたとしても来月の発表から外す可能性は高い。支店長はともかく、本社役員でもある本部長ならそれ位の権限は持っている。
もし歩の意識が戻ったとすればどうなるだろう。すぐに異動させるだろうか。いや彼女の証言する内容にもよる。突き落とされたのではなく自分で足を滑らせたと真実を告げれば、そのままここにいられる可能性は高い。
だが突き落とされた、または揉めたせいで落ちたと主張すれば警察が動きだすだろう。
そんな時に無理やり異動させるだろうか。人事が異動予定を組んでいれば、既に本部長が取り消しの為に動いていなければ間に合わない。
だとすれば、再び異動の指示を出すのは無理がある。また動く予定がなかった場合でも同じ事が言えた。
つまりこの七月に異動する確率は、限りなく低いと言って良いだろう。それなら年明けの一月より、九月に式を挙げたほうがいいのかもしれない。逮捕されるような事態となれば式は延期、最悪の場合は中止になる。それは一月にずらしても同じだ。
歩の意識が戻らない状況が長引けば、十月の異動すら先延ばしにされる確率は高まる。目を覚まし事故だと供述すれば、突き落とした人物がいるとの嘘の証言やスマホを持ち去る等の証拠隠滅を図った点が咎められても、早期に通報し命を救った点は評価されるはずだ。
また偽装工作せざるを得なかったのは、DMによる脅迫など彼女の責に起因すると理解されれば、谷内田社長は拓雄に大きな借りを作ったことになる。そうなれば数字回復が見込めるまで、関係改善の役割を引き続き担わされるに違いないからだ。
よって現時点で総合的に考えれば、式は九月に挙げるのがベストとの結論になる。その後一週間の新婚旅行も、上半期の締めで忙しい時期だが許されるに違いない。
それに少しでも日取りを早めれば、和可菜や彼女の母親だって安心してくれるだろう。
そこで決心した。
「九月九日にしよう。この日を仮押さえして頂けますか」
和可菜に、そして担当者達に向かってそう告げると、彼女は目を丸くした。
「有難う御座います。ただ今日から十日以内に本契約が必要となりますが宜しいですか」
「構いません。内金は本契約の時にお支払いすれば宜しいですね」
「はい。それまでの予約金は必要ありません。内金は最低五万円以上となります。もちろん費用は、トータルの支払い金額から差し引かせて頂きます」
「万が一、キャンセルした場合や延期になった時はどうなりますか」
拓雄がどんどんと話を進める様子を、彼女は横でじっと静かに見ていた。
「今日は五月二十一日ですから式まで四カ月もありませんので、キャンセルなら三カ月前の六月九日までは見積額の十%をお支払い頂きます。その後一カ月前までは三十%、十日前までなら四十%、前日までなら八十%で当日だと百%お支払い頂きます。詳細は全体の見積額が出てからになります。延期の場合、これもお申し出頂く時期で変わりますが、当式場では一ヶ月前までなら違約金はありません。ただ変更した時期によって、見積が増額する場合もありますのでご注意下さい。それより前の場合は個別にご相談させて下さい」
どうやら最大でも二十%程度で済むようだが、その後キャンセルとなった場合は、時期によって追加料金が発生するという。最初からキャンセルするつもりで半年ほど延期し、その後中止され支払う料金を少なくされても困る為、当然だ。
「分かりました」
「それでは招待人数をお決め頂きますか。こちらが用意した基本プランですと、」
ここからは和可菜が中心となり段取りを決めた。時間は挙式が身内など少数の参列で午前十時から三十分、披露宴は五十人規模で十一時から十三時の二時間とした。
お色直しをしない分、短めに設定し食事を出す為にそうした。式のメインを料理に置いたからでもある。レストランウェディング風にする為、食事が美味しいと評判の場所から選んだからだ。
二人共それなりの年齢の為、これまで多くの式に呼ばれ出席した経験がある。そこで祝儀を出し二時間以上も拘束されるのなら、せめて美味しいものを食べたいと強く感じていたからだ。
次に式の中身を優先した。つまらない余興や長い挨拶に時間を割かれては、折角のお祝い気分も萎えてしまう。お色直しをなくし時間を短縮した理由は、費用を抑える為ではない。高い金を払うなら有意義と思えるものに使いたい、というのが二人の共通した考えだった。
出て良かったと招待客に思って貰える式にする為、可能な限り全員が参加し新郎新婦を含めた交流ができるように、と担当者に相談した。そこから出た案が、ケーキカットした後で各テーブルにそれらを二人で配り、その際多少の会話を交わす方式や、会社関係者や友人といった関係で割り振ったテーブル毎に一人を予告なしで指名し合い、新郎新婦にまつわったエピソードトークや祝いの言葉を三分程度で話して貰うものだった。
それらを採用し、各自歓談や食事の時間をしっかり取って退屈しないよう工夫を凝らす。さらに式で流れるBGMも、お気に入りの曲はここぞという時に流すよう依頼し、その他の時間もノリのいいもの、しっとりした曲と緩急をつけて選んだ。
二時間予定していた打ち合わせがあっという間に過ぎ、二人は満足して席を立った。
次回は一週間後にウェディングドレスなどの衣装選びをする段取りだ。本契約はその際に行い、料金の内金も支払うよう告げられた。その後は料理の選定やブライダルエステ、スナップ撮影や引き出物の確定、招待客の正確な人数や席次といった準備をこなすことになる。
とにかく無事仮押さえをし、大まかな式の流れが決まった二人は上機嫌だった。そして遅くなった昼食を取る為、併設されたレストランへと足を運んだ。招待客に出す料理を作ってくれる店だから、これは味の確認をする為でもあった。
式で出す料理は、普段のメニューと同じでない。けれど参考にはなるし、美味しいとの噂を実際体験したかったからだ。
もし思った程美味しくなかったらどうしよう、との懸念もあった点は否めない。だがそれは杞憂に終わった。朝食とは一転して豪華なコースランチを注文した二人は感動していた。
「やっぱり美味しい。前菜からして見た目も豪華だ。かといって嫌味じゃなく味はしっかりしている」
「あっさりしている料理と、濃い料理とのバランスも良いね」
「うん。濃すぎないし、あっさりもし過ぎていない。これだったら若い子でも物足りなくないと思うし、年配の人でも満足して貰えるだろう」
デザートまで食べ終え、二人は満足げに感想を交わした。
「じゃあ今度は引き出物を探しに、雑貨店巡りをしようか」
「まずは百貨店からね。これっていうものがみつかるといいけど」
そう声をかけ合い、会計を済ませ店を出て目的地へと向かった。
内心では、あの日の夜の事情を早く和可菜に尋ねたかった。
だがそんな話を始めてしまえば、品物選びなどする気にならなくなってしまう。また内容が内容だけに、立ち話ではできないし人目も気になるので、誰にも聞かれない落ち着いた場所でするしかない。
そう考えると喫茶店などではなく、人気のない公園かどこかがいいだろう。確かここから少し離れた所にあったはずだ。お店を一通り回れば歩き疲れるから、休憩がてら寄っていこうと言えば彼女も察してくれるに違いない。
先程の食事中も、何度口にしようかと思う度に踏みとどまった。今じゃないと言い聞かせ、心を落ち着かせていたのだ。また話題に出そうと考えただけで気後れし、体が硬直した。
そんな気分を隠しながら百貨店の入り口をくぐったところで、和可菜が小声で言った。
「例の話は、今日の予定が全部終わってからにしようね」
どうやら拓雄の様子がおかしいと勘づいていたらしい。彼女も考えが同じだったと分かり、気分が少しだけ楽になった。
「ああ、そうしよう」
そこで頭を切り替えた。慌てることはない。やるべきことを済ませてからで十分だ。そして彼女を信じよう。拓雄はそう心に決めた。
*
歩の容態を確認する為との口実で、また刑事がやってきた。もし突き落されたのなら、その人物に再び襲われる可能性を考慮し、病室には警官が一名常駐しているにも拘わらず、だ。
といって被害者の父親としては、面倒だと突き放す訳にはいかない。そこで話を聞いたが、今回は有益な情報が得られた。第一発見者であり通報者の男は、あの日偶然現場にいたのではなく、歩に呼び出されていたと自ら認めたというのだ。
歩が脅迫めいたDMを送っていたと刑事達に教えられ、その相手に心当たりがあるか尋ねられた際は、首を傾げるしかなかった。
だがその相手がよりにもよってあのツムギ損保の社員だったと分かり、徹の心境は複雑だった。歩の命を救った恩人のような顔をして訪れた際もそう感じたが、改めて思う。
それにあの男は、歩の友人の婚約者だとも聞かされた。一体何があって、彼にあんなDMを送りつけなければならなかったのかはまだ不明だ。他人との交流を極端に嫌うあの娘が、あれほど大胆な行動に出るなど今でも信じられない。
確かにあいつが亡くなった昨年から、歩の精神状態はさらに酷くなっていた。仕事関係でもトラブルを起こしていたと知り、相当荒れていたのだろうと想像はつく。
そこまで考え、頭を振った。今更歩がどんな思考をしていたのかを知ろうとしても無駄だ。肝心なのは意識が戻るか、戻らず命を失うかどうかである。その結果によっては、残り僅かばかりの今後の人生が決まると言っていい。といって、今の自分が出来るのは祈る事だけだ。
それにしても、これからあの男の顔をみてどう振舞えばいいのか。
恐らく週明けにはまた訪れるだろう。担当でもないのに顔を出しているのは歩の命を救った件を恩に着せ、営業数字を守る為だと理解はしている。また担当の染岡と違い、あの男自身も本意でないことは感じていた。
刑事達が疑っているように、歩と揉めていたのはあの男だろう。しかしすぐに通報したおかげで、歩が一命を取り留めたのも間違いない。さらに脅され呼び出された被害者でもある。さてどうするか。父親としてどう振舞えば正解なのか。徹は様々な意味で頭を抱えた。