第5章-5 SIDE B-③:行かなかった場合
和可菜から教えられた、歩が使っているSNSのアカウントをパソコンで開き、書き込み内容を遡り読んでみた。彼女が揉めていた出版関係者について、何かしらの情報が得られると踏んだからだ。
結婚を滞りなく進めるには、厄介な案件を早期に片づけるしかない。その為にはまず、現在疑われている人物が犯人か、または和可菜の秘密を知る人物かを確かめたかった。警察も犯人かどうかは捜査するだろうが、秘密を知っているかいないかまでは調べないだろう。
それに第三者が動いて解決するケースは、ミステリー小説等でも意外にある。もちろん現実はそう上手くいかないかもしれないが、何もしないでいるのは耐えられなかった。
そう考えた拓雄はまず、作家としてのアカウントから確認をした。そこでは確かに数カ月前から最近まで、出版社と意見が合わないといった愚痴が書き込まれていた。さすがに具体名は伏せていたが、どうやらトラブルがあったのは二社だと分かる。
一つは担当編集者との相性が悪く、担当変更を申し出たが受け入れられず揉めたようだ。その編集者にそんな態度を取り続けるなら、出版自体白紙に戻すとまで言われたという。
もう一つは印税が約束通り払われていない、という問題だ。前者のケースは判断できなかったが、この件の非は間違いなく出版社側にあり、担当編集者が責任を別の部署に擦り付けているとの内容だった。
両方に共通しているのは、納得がいく解決をしなければ今後その会社とは取引しないだけでなく、これまでのやり取りをネットで詳細に晒すと告げていた点だ。
また前者の件では、出版できないなら別の会社に依頼し直すと宣言し、後者では出版権を引き上げ他社に回すと申し出ている。さらに両方とも引き受けてくれる、第三の出版社の存在を仄めかしていた。
次に個人のアカウントを遡って覗く。するとイニシャルだが前者の編集者がH、後者の編集者がNでその背後にいる編集長と思われる人物がTと判明。この三人が歩と最も揉めていたようだ。
拓雄でもここまで分かるのだから、警察なら当然特定できているに違いない。恐らく拓雄と同じく既に事情聴取され、アリバイ確認もされているだろう。
ならばまずは同じレベルまでこちらも情報を得なくては、警察に先んじるのは不可能だ。ここで発揮するのは拓雄の人脈である。
拓雄の大学は誰もが知る有名校で、毎年多くの卒業生を輩出しており、生命保険、証券会社といった金融業界を始め、不動産や各種メーカーなど様々な業界に入っていた。
出版関係者とコンタクトを取れば、同じ業界ならある程度の噂は耳にしているだろう。
そこから辿れば個人の特定は難しくない。何故ならこういった業界は意外な繋がりがあるからだ。現に拓雄が勤める保険業界も、他社との交流は意外とある。互いに女性職員も多い会社の為、合コンのような会を開くことさえあるのだ。
そこまであるかは知らないが、出版業界なら保険業界よりも他社へ転職するケースは多いと聞く。幸い大学のOB会で作る名簿は整っており、会社毎でお金を集めて色んなイベントや飲み会を開催しているケースも少なくない。そこでまず出版関係に就職した同期などの友人、知人に当たることにした。
大手出版会社に就職した友人をピックアップし、電話番号が分かった順に次々とかける。メールだけの場合は時候の挨拶から始めた上で、こういった噂を知っていれば教えて欲しいとの文章を書き、一斉送信したのだ。
しかし土曜日だからか勤務先への電話は通じず、個人の携帯もほとんどが留守番電話に切り替わるケースが多かった。土曜日の昼間なら出版社も通常は休みだが、出版関係の編集者なら土日出社が比較的多いと聞いていたので、多少は繋がると期待していたが甘かったようだ。
また出社していたとしても、通常の勤務時間でさえ金融機関のような九時五時ではなくスタートが遅く夜も遅いと耳にしていたから、午前中は早すぎたのかもしれない。
その上ようやく相手が出ても全く知らない、または噂で聞いたけどどこの誰かまでは分からないとの回答ばかりだった。WEB小説中心に活躍していた作家であり、紙出版した著作物も中小の会社で認知度が低かった点が影響しているようだ。ざっと十名ほどと連絡を試みたが、芳しい情報は全く手に入らなかった。
そこで一旦休憩しようと簡単に昼食を作って済ませ、午前中にできなかった床掃除を始めた。朝より気温が高かったせいで汗ばみ、部屋着が肌に張り付く。思うように事が済まない苛立ちと相まって不快に感じながら、朝早く来た刑事達とのやり取りを思い出す。
彼らが和可菜を疑った根拠は、交友関係の中で何かしらのトラブルを抱え、かつアリバイが曖昧だったからだろう。揉めた内容は拓雄との結婚を反対していた件や、あのDMに書かれた公にされては困る和可菜の秘密に関してだと思われる。
歩が何故二人の結婚に反対だったかは分からない。しかしあんなDMを和可菜に内緒で拓雄に送り付け呼び出そうとしたのは、何としてでも阻止するのが目的だったのだろう。結婚を諦めるよう、直接会って彼女の秘密を耳打ちする計画だったに違いない。警察もそう考え、彼女を犯人と疑ったのではないか。
とはいえ、その秘密を警察が把握しているかは不明だ。知っているのはまだ意識が戻らない歩と、和可菜自身だけなのかもしれない。他にいれば、警察による聞き込みによりいずれ明らかになる可能性は考えられる。
だが友人を突き落としてしまうほど隠したい秘密だとすれば、ほとんどの人が知らない場合だってあるだろう。
本当は、直接彼女を問い詰め聞き出せば済む。事実を知れば、過ちを犯すほどのものかも分かる。しかしそれができなかった。もちろん怖かったからだ。
もし拓雄がその秘密を知った場合は婚約破棄される恐れがあると思えば、彼女が口を割るとは思えない。そう考える一方で、正直に話してくれるのではないか、という期待もあった。ただその秘密が、彼女と結婚したい想いを覆すほどのものだったらどうするか。拓雄はそれを危惧していたのである。
床をモップで掃きながら、そうしたジレンマに頭を悩ませていた時、パソコンからメールの着信音が鳴った。
和可菜からかと思い画面を覗くと、一斉メールを打った同窓生の一人からの返信だった。椅子に座ってクリックすると、そこには拓雄の知りたい情報の一片が書かれていた。
― ご無沙汰しています。元気ですか。突然のメールで驚きました。綿貫君は保険会社に勤めているんだよね。それなのに何故そんなことを知りたいのか不思議ですが、噂は耳にしているのでお伝えします。今私はⅮ出版の編集部でライトノベルの担当をしています。メールに書かれていた著者と直接取引をしたことはありませんが、聞いたのはキラメキ出版の担当者とかなり揉めているという話と、ガンマプラム社と印税関係でトラブルになった件かな。そこの誰と揉めているかなどの詳細は知らないけど、その二社に勤めている人とは交流があるよ。もしこれ以上知りたかったらまた連絡して下さい ー
拓雄は力強く拳を握った。そこで早速返信し、実はその筆者がある事件に巻き込まれ、全く面識もないのに知人の知人というだけで警察から事情聴取を受けたと書き込んだ。
またその知人にも疑いが掛かっているので無実を晴らす為、その筆者が誰とどんなトラブルを抱えていたのかを知りたい、との思いを綴った。その上で二社の社員と話が出来るようお願いしたのである。
すると再び回答があり、そういうことなら先方に一度メールを送って連絡先を教えていいか、または先方から連絡させるかを確認してくれると書かれていた。
是非お願いしたいと送り、スマホは今警察に預けているのでメールのやり取りか、良ければネット回線でビデオ通話をしたいからと、こちらのアカウントも伝えた。
そこで反応を待つ間に急いで床掃除を終わらせ、その後再び午前中に連絡がつかなかった相手に再度電話をかけまくった。すると午後になったからか、ぽつぽつと繋がり始めたのである。トラブルになった相手の具体的な会社名が分かった為、話は進めやすかった。そこから複数の新たな情報が入り、当該担当者に近い別の人物との紹介も取り付けられた。
こうして夕方一杯時間をかけて取り組んだ所、多くの事が判明したのである。
まず明らかに揉めていたと分かる人物は三名。一人目は判田一樹という四十近い、キラメキ出版の編集者だ。歩は彼と何らかの理由で揉め担当変更を迫ったが、断固拒否されたという。それどころか自分が担当でなければ出版はできない、とまで脅されたらしい。
だがそれなら他で出すか電子書籍にして稼ぐと歩は激しく主張し、さらにこれまでのやり取りをネットに晒すと編集部の上司達にも宣言したそうだ。そうした抗議を受けて編集長を始めとする判田の上司は、担当者の非を認め謝罪したが、当の本人が認めなかったという。その為現時点では社内においても相当揉めていると分かった。
今回、歩が何者かに突き落とされ意識不明の重体に陥った件は、業界内の一部では知られているらしい。当然キラメキ出版でも騒ぎとなり、本人は否定しているものの判田が犯人ではないかとの噂まで広がっているそうだ。ただ事件当日にアリバイがあったかどうかまでは確認できなかった。
二人目は中東由香里という二十代後半の、ボーイッシュで逞しい女性編集者だという。彼女はガンマプラム社における歩の担当者だ。SNSの書き込み通り、以前出版した本の印税が契約通りに支払われていないと分かり揉めたという。
しかも実際間違っていたのに、非は編集部ではなく営業だと中東は他部署に責任を擦り付け、謝罪しなかったらしい。その態度に腹を立てた歩は、もう信用ならないと出版権の引き上げを申し出た為、それを引き留めようとガンマプラム社と協議を進めていると分かった。
三人目は同じ会社で、中東の上司に当たる辻脇浩編集長である。歩の件で担当の中東と共に営業の責任だと主張していたという。
ただ彼は中東と異なり、出版権を引き上げられれば責任問題になると恐れ、頭を下げて何とか事態を収めようとしていたらしい。ただ歩は彼の謝罪を受け入れなかったそうだ。
この会社でも事件の概要は知れ渡っており、判田と同じく犯人はこの二人の内のどちらかでは、と疑われているという。もちろん両名とも否定しているようだが、彼らのアリバイの有無は定かでない。それ以外にもいくつか情報は入ったが、いずれもこの三人を上回る程のトラブルを抱えている人物は見当たらなかった。
そこで拓雄は決心した。明日の予定は和可菜の要望でキャンセルになった為、一日中空いている。それなら名前の挙がった三人を、直接調べようと考えたのだ。
会社の所在地はネットで確認できた。日曜日なので出社しているとは限らない。ただ三人とも警察の事情聴取は受けているはずだ。しかも社内で噂になり、肩身の狭い思いをしているだろう。よって人目を避けるように、休日出勤している確率は高いのではないか、と予想したからである。
夕方過ぎには約束通り、警察から連絡があってスマホは無事返却された。
訪ねて来たのは阿川達とは違う男性二人だったが、彼らによると位置情報や通信履歴を調べた所、拓雄の供述との矛盾点はなかったという。削除または何らかの細工を行った形跡も見当たらなかった為、取り敢えず拓雄への疑いは晴れたようだ。
容疑者から外れたことでホッとしたが、和可菜への疑いはまた別の話だ。そこでスマホが戻って来たと彼女に連絡を入れた。
警察の反応などを説明し、少しばかり雑談を交わす。その後懸案事項になっていた疑問の一つを、思い切って投げかけてみた。
「ところでさ。歩さんがDMの送り主なら、公にされて困る秘密って何か、和可菜に心当たりはあるのかな」
それまでの円滑なやり取りが途絶え、やや長い沈黙が続いてから呟くように言った。
「ごめん。分からない。多分そう脅さないと、拓雄さんは来ないと思っただけじゃないかな」
「じゃあ、俺を呼び出してどうするつもりだったんだろう」
「直接会って結婚相手に相応しいか、見定めようとしたのかも。すごく反対していたから」
「どうして会った事もない俺との結婚を、歩さんは反対したんだよ」
「えっとね。気を悪くしないでよ。彼女が言うには、良い大学出で社会的地位があり経済的にも恵まれた人なんか、私と上手くいかないって。それに転勤族と結婚して、お母さんを一人にしておくつもりなのかとも責められた。彼女はうちの事情を良く知っていたから」
「凄い偏見だな」
「そうなの。私を心配しての助言だと信じたかったけど、余りに一方的だったから一度会って話せば分かると言ったのね。ちゃんと紹介するからって。でもその時は断られちゃったの」
「でも結局会うつもりだったんだよな。半年前からアカウントを作り、俺とDMのやりとりができるまでつき纏ったんだから。ちょっと変わっているというか、困った人だよね」
和可菜はそんな彼女でも友達に変わりないと言っていた為、やや気を使いながらそう遠回しな表現をした。
「そうだよね。ごめんなさい。こうなったのは、私がちゃんと引き合わせなかったからなの」
「でも会わせろと言ったのを、断った訳じゃないんだよね」
「うん」
「だったら和可菜のせいじゃないよ。紹介すると言ったのに、断った天邪鬼な彼女が悪いだろう。それにしても分からないな。俺との結婚を反対していた理由は、経済的な格差だとか家庭環境の問題だけじゃなかったのかもしれない」
「それって、どういう意味」
少し間を置いた彼女は、訝しげに尋ねてきた。その声を耳にしてやや怯んだが、勇気を振り絞って言った。
「あのさ。もしかして俺の癖とか昔の件を、歩さんに言ったとか、」
「そんなの、話してない。教える訳ないでしょ。何よ。拓雄さんは、私がそういう人だと疑っていたわけ。だからあんな呼び出しをするほど、結婚を反対していたと思っていたの」
言葉を途中で遮り、語気を強めはっきり否定した。それを聞いて心底安堵し、猛省した。
「本当にごめん。信じていたよ。でも余りに不可解だったから、ほんの少しそう思っただけなんだ。申し訳ない。ごめんなさい」
平身低頭で謝り続ける拓雄に、彼女は渋々といった様子で許してくれた。
「分かったわよ。実際そう疑われてもおかしくない行動を、彼女がしたからね。拓雄さんがそう思うのは無理もないか」
「有難う。そう言ってくれると助かる。俺だってこんなこと、言いたくなかったんだよ」
これ以上揉めたくないと思ったのか、彼女から少し話題を変えてくれた。
「うん。ところでさ。昼間に送った歩のSNSの書き込みとかは、もう読んだの」
ホッとした拓雄は頷いた。
「読んだ。和可菜が言っていた通り、出版社の人とかなり揉めていたのはよく分かった。そういう意味では、かなり気が強くてしっかり芯を持った人だね。曲がったことが嫌いで、正義感があるというか真面目だからか、嘘や信頼を裏切る言動が許せないんだろうな」
「そういうところ、あるかも。理不尽な事には結構しっかり怒るし、相手にもはっきり文句が言える子なの。だからといって短気な訳じゃないよ。普段は大人しくて、どっちかと
いえば寡黙な感じだから。基本的に人とのコミュニケーションは苦手だし」
「そうなんだ。でも編集の人達とのトラブルは、かなり厄介そうだね。ああいう小説家だとかのフリーランスの顧客って、俺はほぼ接した記憶がないから良く知らないけど、仕事に関してだとお金のことも絡んでくるじゃない」
「そうだよね。拓雄さん達の営業だと、会社関係の社長や役員だとか、従業員さん達とのやり取りが多いから」
「今の部署に来る前は、個人事業主の人とかとも接点はあったけど、フリーランスは無かったと思う。余程の売れっ子でない限り、複数の会社から仕事を請け負っているとはいえ二つの取引先と揉めるのは、なかなか勇気がなければできないってことは想像がつくけど」
「そうなの。一つは担当者と揉めて、出版してくれないのなら他に回すって書き込んでいたけど、私が知る限りでは実際に当てがあった訳じゃないと思うんだよね」
「そうなのか。印税関係で揉めて出版権を引き上げる話も合ったよね。そっちはどうなの」
「引き取って代わりに出してくれる出版社が、具体的にいたとは思えない。もちろん詳細までは聞いていないから、応援してくれている会社が本当にあったのかもしれないけど」
「少なくとも和可菜の知る限り、後ろ盾があるからと安心して喧嘩した訳じゃないんだな」
「それはない。あの子ってそういうことは関係なしに、嫌なものは嫌、ってはっきり主張しちゃうタイプだったから」
「和可菜は彼女から、揉めていた編集者が誰だとか具体的な話は聞いてないの」
「そう言えば、なんとなく聞いた気がする。書き込みを見て心配になったから尋ねたことがあるから。だけどそう詳しくは教えてくれなかった。内容が本当のことだと認めてはいたよ。でもそれ以上の事情については濁されちゃったから、よく知らないの」
ここで拓雄は彼女に打ち明けた。
「実は彼女の書き込みをヒントに誰とどう揉めたか、俺なりに調べてみたよ」
「え、そうなの。でも、どうしてそんなことをしたの」
「歩さんは突き飛ばされたんだよね。だったら揉めていた人が犯人かもしれないと思ってさ。もちろん警察だって捜査はしていると思うけど、じっとしているのも嫌だったし」
和可菜の疑いを晴らす為だとも告げ、同窓生を当たって三人まで絞り込み、それぞれ既に警察の聴取を受け疑いがかけられている状況を説明した。
相槌を打ち、時々驚いていた彼女は、一通り聞いてから口を開いた。
「じゃあ、三人の内の誰かが犯人かもしれないのね。早く捕まってくれるといいけど」
「そうだろう。そうしたら俺達も警察に煩わされずに済む。歩さんが目を覚ましてくれれば、いつもの生活に戻れる。結婚式の話だって進められるからな」
「うん。そうなったらいいね」
その後もしばらく話して通話を終えた。反対しなかった和可菜の言動から判断し、拓雄は改めて真犯人は誰か、または秘密を知る人物かを早期に突き止めようと決めたのだった。