第五章 恋の鼓動と開く心47
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蝉の声が耳にまとわりつく、夏休み最初の週末。夕方とはいえ、まだアスファルトは熱を残していて、駅前の風もじっとりとしていた。
悠真との待ち合わせになってる改札の前で、落ち着かない気持ちを抱えながら、スマホで時刻を見ても、時間が進むスピードはいつもより遅く感じた。待ち合わせは17時。もう3分は過ぎてる。
(……遅いな、悠真)
練習試合のあとに誘われた、この夏祭りと花火大会。悠真のほうから「一緒に行こう」って言ってくれて、驚くほど素直に嬉しかった。浴衣を着てくるって言ってたし、もしかして今日は――ちょっと特別な日になるかもしれない。
(……って、俺だけ気合い入りすぎてたらどうしよう)
白いシャツに、夏用の黒いパンツ。汗をかいてもいいように保冷ボトルを持ち、待ち時間のためにコンビニでラムネも用意した。
鏡の前で二度も着替え直したのは、きっと今日が“ただの夏の日”じゃないと、どこかで思ったから。
自分の身なりを改めて見直していた、そんなときだった。
「ごめーん、お待たせしちゃって!」
少し息を切らせて現れたのは――悠真じゃなかった。真っ白なレースのブラウスに淡いラベンダー色のスカート、そして肩までの髪をまとめた、見知らぬ女の人。ぱっと見で高校生くらいかな、と思ったら。
「もしかして陽太くん? 悠真の……クラスメイト?」
「え、あ、はい。そうですけど……」
名前を呼ばれたことに戸惑っていると、彼女はにこっと笑った。
「私、悠真の姉の朱音。あのコがね、浴衣の着付けに手間取っちゃってて。とりあえず、私が先に迎えに来たの。悠真ってば今日すっごく気合いを入れてるみたいで、もう帯がどうとかこうとか」
「あ、なるほど……」
ちょっとホッとした。ドタキャンとかじゃなくてよかった。
「……でも、へぇ。悠真の“クラスメイト”って感じじゃないね」
「え?」
朱音さんはいたずらっぽく目を細めた。
「なんかこう……“好きな人と待ち合わせ中です”って顔、してるよね」
「っ……」
なにも言えなくなって視線を逸らすと、彼女はケラケラ笑いながらスマホを取り出した。
「悠真、そろそろ来ると思うから。じゃ、私はこの辺で。あ、たぶん変なとこはないと思うけど、浴衣褒めてやってね? 何度見たって代わり映えしないのに、鏡の前で10分くらいポーズの確認してたのよ」
「えっ、あ……はい」
バイバイと手を振って、朱音さんが駅の反対側に消えた直後――。
「……陽太」
振り返ると、そこには浴衣姿の悠真が立っていた。淡いグレー地に藍色の金魚模様。細身の体にさらっと着こなしていて、普段よりも少し大人びた印象を受ける。髪はきれいに整えられ、カールした前髪が涼しげに揺れていた。
一瞬、時間が止まったように感じた。想像よりずっと、悠真は綺麗だった。呼吸を忘れるくらい見とれて、それだけで胸がいっぱいになった。
「……どう? 似合ってる、かな」
ほんのりと赤くなった頬でそう聞く悠真の姿に、喉がカラカラに乾いた。
「似合いすぎて、言葉が出なかった……」
「うっ……嬉しいけど、ちょっと恥ずかしぃ」
小さな声でこぼした“けど”がかわいすぎて、心臓が跳ねた。それなのに、悠真の唇はちゃんと笑ってた。
蝉の声に混ざって、花火大会の開始時刻を知らせる町内放送が聞こえてくる。夕焼け空が、少しずつ夜の色に染まりはじめていた。




