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届かぬ調べに、心が響き合い  作者: 相沢蒼依


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第五章 恋の鼓動と開く心43

***


 修了式の翌日に控える練習試合を前に、体育館での調整メニューを終えて教室に戻ると、すでに夕方のチャイムが鳴っていた。窓の外は茜色に染まりはじめ、教室もどこか静かな空気に包まれている。まだ残っていた数人のクラスメイトも荷物をまとめ、ひとり、またひとりと帰っていく。


 その中で悠真だけが机に向かい、ペンを走らせていた。珍しくいつもの読書じゃなく、なにかの復習か、問題集を開いていた。きっと、テストが終わっても手を抜かないタイプなんだろうなと、見ていて思う。


(……やっぱ、誘うなら今しかないか)


 バッシュの音がまだ耳に残る足で近づくと、悠真はペンを止めて顔を上げた。


「あ、陽太。今日も部活だったの?」

「うん。練習試合があるからさ。ちょっと仕上げの確認ってとこ」

「そっか……お疲れさま」


 そう言ってほほ笑む悠真の顔が、ふと視線を逸らす。


 こないだ中庭で、やっと“気持ちがわからない”と言いながらも、俺の言葉を受け止めてくれた。その記憶はまだ、心の真ん中に残ってる。だけど――。


(……俺だけが勝手に舞い上がってたら、どうしよう)


 その不安が、少しだけ口を重たくしている。でも言わなきゃ。悠真に伝えなきゃ。


「なあ、明日の練習試合……観に来てくれない?」


 ほんの一瞬、悠真の目が見開かれた。だけど、すぐに表情が読めなくなる。俺が聞きたかった「いいよ」の一言が、すぐに悠真の口から出てこないことがショックだった。沈黙がその場に落ちる。


「あのさ……無理には言わない。悠真は部外者だし、バスケの試合なんて興味ないかもしれないし」


 思わず口を突いて出た言い訳が、逆に“期待してた”ことを暴いてしまってるみたいで、胸がチクリと痛む。


 けれど、悠真はゆっくりとした口調で返事をした。


「ううん……行くよ」

「……え?」

「明日の予定、ちょうど空いてるし。陽太の試合、ちゃんと見てみたいなって……ずっと思ってたから」


 思わず息を飲む。予想していたよりずっとあっさりと返ってきた“肯定”。でもその言葉の重さが、じんわりと胸に沁みていく。嬉しくて、けれどどこかで「ほんとに?」って思ってしまう自分がいる。


(この距離はもう“両想い”って呼んでいいのかな――)


 その確信がどうしてもほしくて、俺はつい言ってしまう。


「じゃあ……明日、試合中に名前を呼んでくれたら、めちゃくちゃ張り切るかも」


 冗談っぽく言ったつもりだったけど、悠真は一瞬、顔を赤らめた。


「あー、そ、それは無理かも……っ」

「そっか。でも聞こえなくても探すから、悠真の声。もちろん、フェロモンの調整だって忘れないぞ!」


 俺が歯を見せて笑うと、悠真は困ったような、それでいて少しだけ嬉しそうな顔をした。


(ほんの少しだけでも、前より俺を見てくれるようになった。それだけで明日、すげぇがんばれる)


 そう思いながら、俺はそっと悠真の机に手を置き、目を合わせる。


「じゃあ明日の9時、体育館で待ってる。悠真、ちゃんと来てくれよな?」


 頷いた悠真の横顔は、窓から差し込む夕陽に照らされて、どこか眩しく見えた。




***


 試合当日の体育館は、独特の熱気に包まれていた。まだ観客席は半分も埋まっていないというのに、コートに立つと空気がピリついて感じる。


 シューズが床を蹴る音、ボールがバウンドする音、控えのメンバーたちの声援。全部が混ざって、アドレナリンをじわじわと沸き立たせる。


「陽太、相手の10番、かなりクセがあるぞ。シュートフェイントがうまいから、絶対に引っかかんなよ」

「わかりました。今日はバンバン点を取るつもりです!」


 チームメイトの言葉に短く返して、ふと視線をスタンドに向けた。


 一番後ろの列、通路側。そこにいた。悠真が応援用の冊子をぎこちなく持ち、まっすぐこっちに視線を注ぐ。制服の半袖ワイシャツ姿で額に少し汗を滲ませながら、それでも目は俺をしっかりと追っているのがわかった。


(来てくれたんだ……)


 胸の奥がじわっと熱くなる。だけどその隣にはもうひとり、見慣れた顔があった。


 1年の一條。俺に恋してると公言してはばからない“アイツ”が、悠真の隣でやはり俺のほうを見ていた。ただし、悠真とはまったく違う視線で。


 まるで、戦いを挑むような眼差しをしている。


(まさか隣同士で座るとはな……)


 でも、なぜかその光景に少し笑えてきた。静かに張り合ってるのが、遠くからでも伝わってくる。悠真はやや緊張したように手を膝に置き、背筋を正している。一方の一條は、折りたたんだ冊子を握りしめて、俺の一点を見据えていた。


(――ふたりとも、見ててくれてる)


 自然と気持ちが引き締まる。俺は俺で、この試合に応えなくちゃいけない。バスケ部の一員として、シューティングガードとして、そして――。


(悠真に、カッコイイって思ってもらいたい!)


 試合開始のブザーが鳴る。ボールが宙に上がり、俺たちの夏のはじまりが体育館に響き渡った。



***


 コートに響く靴音と、ボールが跳ねる軽快なリズム。汗が額をつたっても、視界はまったく曇らない。


 残り2分、スコアは互角。息を切らしながらも、静かに深呼吸をした。


(ここからが勝負どころだ――)


 相手のガードが緩んだ瞬間、思いきって一歩踏み込み、ボールを受けた。観客席からどよめきが起こる。


 ディフェンスが詰め寄ってくる。それでも俺の脚は止まらない。瞬間、体を深く沈めてフェイントをかけ――一気にディフェンスを抜いた。速度をあげてドリブル。左サイドを素早く駆けあがりながら、後ろからのプレッシャーを体で受け流す。


「行けっ、西野!」


 チームメイトの声。だがその直後、ほんの一瞬の間――観客席から、か細い声が飛んだ。


「……陽太!」


 振り返るつもりはなかった。だけど、その声だけは聞き逃せなかった。たった一言。けれどそれは確かに、俺の耳に届いた。


 振り返らなくてもわかる。それは悠真の声だった。胸の奥で、なにかが点火される。


(……今の、悠真の声……)


 相手ディフェンスが戻り、リング下で構える。ここで止められたら意味がない。俺はスピードを落とさず、ゴール下で一瞬逆サイドに視線を向け――パスを出す“ふり”をして、すかさずターンした。


 体勢を崩した相手の肩をすり抜け、高くジャンプする。空中で静止したような一瞬の滞空――そしてリングに向けて、腕を思いっきり振り抜いた。


 シュート音とともに、ネットがぱあっと揺れる。


「ナイスショットッ!」

「すげぇ、あれは完全に読まれてたのに……!」


 歓声とざわめきが、体育館を包み込んだ。


 俺は静かに着地したまま、観客席を見上げる。一番奥の通路側横――悠真が口元に手を当てたまま、その場に立ち上がっていた。その隣では一條がなにかを堪えるように、腕を組んでいる。


 ふたりの姿が目に入った瞬間、胸の奥でなにかが弾けた。


(“見ててほしい”なんて、もう通り越してる。あの声で、俺はここまで飛べた――まだ終わってない。もっと悠真の心に届くプレーをするんだ!)


 心の奥でそう誓いながら、ふたたび仲間の元へと戻っていく。この瞬間、俺の背中には、まるで炎のような情熱が灯った。

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