第五章 恋の鼓動と開く心13
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「おはよー」
一條くんが入って来た後ろ側の戸口から、陽太の声が聞こえた。教室にいるクラスメイトがその声に反応してあちこちから挨拶がなされる。いつものB組の朝の風景――明るいそれに導かれるように、先週の俺なら真っ先に陽太の元に駆け出したのに。
(もう陽太とは友達じゃない俺は、このままスルーするしかないんだろうな……)
「陽太先輩っ、おはようございます!」
後ろにいた一條くんが音をたてて椅子から立ち上がり、陽太にアピールするみたいに大きな声をかけた。その行為は挨拶すらできない俺に、わざと見せつけているように感じてしまう。
「なんで一條が、ここにいるんだよ?」
陽太が近づいてくるのが、気配でわかる。きっとすぐ傍にいるっぽい。俺は話を聞いていないことを見せつけるように姿勢を正して、文庫本を手に取り、栞が挟んであるページに視線を落とした。
「陽太先輩ってば、まーた名字呼び。玲って呼んでくださいって言ってるのに」
「一年のくせして生意気なんだよ。友達じゃないんだから当然だろ」
陽太のセリフに、思わず口元がニヤけそうになった。俺は友達だから、名前で呼んでくれてるんだって。
「大好きな陽太先輩に、玲って呼ばれたいよ~」
「はいはい、そこ邪魔だ。さっさと退いてくれ、スクールバックが置けないだろ」
さりげなく一條くんが陽太に告白してるのに、それに耳を貸すことなくサラッとかわす。
(――そうだよ。陽太は学校でも数少ないアルファで、オメガからしたら手を出してほしい存在。自分からアピールしなきゃ、会話することも叶わない相手なんだ……)
きっと俺が知らない間に、たくさんのオメガから告白されているに違いない。だから告白を断るなんて、きっと簡単なんだろう。俺は陽太から告白されたけど無理って言ったのに、それでもしつこく迫られた挙句にキスされて。
「陽太先輩、体育祭の最後のリレーの写真、プリントアウトしたんです。陽太先輩がアンカーでゴールした瞬間、オメガがみんなクラクラしてたんですよ!」
「わざわざ撮影したのを持ってきてくれたのか。サンキューな」
俺ひとりだけ、わけのわからない悶々とした気持ちを抱えているのに、どうして陽太はいつもどおりでいられるだろう。
「いいんですって。陽太先輩の劇的瞬間を撮ることができて、ラッキーって思っちゃた。見てくださいよ、これ!」
「へぇ、思ったよりもいいのが撮れたんだな」
盛りあがるふたりの声を聞いてるだけで、不快感がどんどん増していく。ここでは落ち着いて、本を読むことができない。
ガンッ!
「ゆ、悠真?」
静かに腰をあげたハズなのに、思った以上に勢いよく立ち上がってしまい、陽太の机に椅子をぶつけてしまった。
「ごめんね、西野くん」
どんな顔で自分が謝ったのかわからない。だけど俺を見つめる陽太の面差しに悲壮感が漂っていたことで、あまりいい表情じゃなかったのは明らかだった。
「悠真、話が――」
「俺にはないよ」
「俺はあるんだって!」
左腕を掴んで、俺を逃げないように捕獲した陽太。彼の瞳に悲しみと熱が宿る。
俺たちが言い合いをしたせいか、ざわめいていた教室が水を打ったように静まり返る。俺よりも頭ひとつ分小さい一條くんが、俺を掴む陽太の手をじっと見つめていた。
「西野くん、手を放して」
「俺の話を聞いてくれたら解放してやる」
「解放って、なんだよそれ……」
言いながら左腕に力を入れて抗ってみせたものの、部活動をしている陽太にはまったく歯が立たない。
「西野くんが俺に無理強いするとか、嫌いになってくれと言ってるみたいだね」
俺は迷うことなく、彼がキズつきそうな言葉を吐き捨てた。途端に左腕にかかる圧がなくなったので、掴まれた陽太の腕を振り払うと勢いがつきすぎた。裏拳が陽太のこめかみに当たって、ガツッと音が響く。
「いたっ!」
「あ……」
「陽太先輩、大丈夫ですか?」
駆け寄る一條くんを無視して、俺に注がれる陽太の視線。もの悲しさと苦しさが混在している感じは、俺の心にも伝わってきて酷く胸が痛んだ。
陽太に掴まれた左腕を擦り、踵を返して教室をあとにする。謝らなきゃって思ったのにそれすらもできなくて、逃げるように廊下に飛び出した。
「虎太郎!」
背後からかけられる声に反応する前に、巨大な壁が目の前に立ちふさがる。ギョッとして慌てて立ち止まりかけたら、ひょいとお姫様抱っこをされてしまった。
「涼、月岡を捕まえたけど、どうすればいい?」
俺をお姫様抱っこした榎本くんは、駆け寄って来た佐伯に問いかける。
「月岡が落ち着く場所と言えば、ひとつしかない。そこで話を聞いてやってくれ」
「合点承知! 俺をこき使ったことについて、涼にしっかり徴収するから、そのつもりでいろよな!」
豪快に笑いながら廊下を悠然と歩く榎本くんに、お姫様抱っこされた俺。違うクラスで接点のない俺たちの関係について、いろんな噂が飛び交ったことを、あとから知ったのだった。




