第六章 恋のはじまりと揺れる未来19
***
川沿いで重ねた唇の余韻が、まだ熱を残している。握ったままの手は、汗ばんでいるのに決して離れなかった。
街灯の明かりに照らされながら並んで歩く。けれど、時間は残酷で、駅前の交差点が見えてくると、胸の奥がきゅっと縮んだ。
「ここで、もう帰らなきゃだね」
自分で言ったのに、声は少し掠れてしまった。陽太は一瞬黙って、俺の顔をじっと見つめてきた。その目があまりに真っ直ぐで、視線を逸らせない。
「悠真」
名前を呼ばれただけで、心臓が強く鳴る。
「本当はさ、もっと一緒にいたい。けど……」
「うん、わかってる。俺も」
そう答えると、陽太は少しだけ俯いた。そして、周囲を確かめるみたいに一度視線を巡らせてから――ふっと俺を抱き寄せてくれた。
不意打ちの温もりに、喉が詰まる。すぐに離れてしまうかと思ったのに、陽太は耳元で小さく囁いた。
「また明日も会えるよな?」
「……うん、絶対」
短いやりとりなのに、それだけで胸が満たされていく。別れの足取りは重いのに、心は甘くて温かかった。
改札口で手を離したあとも、指先には陽太の体温が残っていて、電車に揺られながらそっと胸に手を当てた。
(――またすぐに、陽太に会いたい)
切なさと幸せが同時に膨らんで、どうにも眠れない夜になりそうだった。
***
部屋の明かりを消してベッドに横になっても、胸の奥はぜんぜん落ち着かなかった。ついさっきまで隣にいた悠真のぬくもりが、まだ手のひらに残ってる。
抱き寄せたときの細い肩の感触。名前を呼んだときの、少し震えた返事。耳元で聞こえた「絶対」って言葉――全部が鮮やかすぎて、頭の中を何度も繰り返してしまう。
(……もっと一緒にいたかった)
別れ際に笑った悠真の顔は、少し無理してるようにも見えた。本当は俺と同じで、離れたくなかったんだろう。それをわかってるのに、素直に「帰るな」なんて言えなかった。
父さんに叱られたことも、頭の隅にずっとある。でも、それでも――俺は悠真を手放したくない。抱きしめたいし、触れたいし、笑ってほしい。欲張りだって思うけど、止められない。
「悠真……会いたい」
暗い天井に向かって、小さくつぶやいた。ほんの数時間前まで隣にいたのに、もう胸が苦しいくらいに恋しい。
スマホを手に取って、メッセージの画面を開く。
『今日はありがとう。また会おうな』
短く打って送信ボタンを押す。既読がつくまでの数秒さえ長く感じて、心臓がばくばくしていた。
(返事……来るよな)
その期待と切なさで、また眠れない夜になりそうだった。
***
ベッドの上でうつ伏せになったまま、スマホの画面を見つめていた。ピロン、と短い通知音。胸の奥が一気に熱くなる。
『今日はありがとう。また会おうな』
ただそれだけの言葉なのに、どうしてこんなに嬉しくなるんだろう。会ったばかりなのに、もう会いたいって思ってる。けど素直に「会いたい」って返したら、陽太を困らせちゃう気がする。
(……ほんと、俺ばっかり欲張りだ)
枕に顔を埋めて、少しだけ転がる。胸の中がふわふわして切なくて、すごく息苦しい。
悩んで、打っては消してを繰り返す。
『こっちこそありがとう』
『また会えるの楽しみにしてる』
そう打ち込んで、指を止めた。本当は「いますぐ会いたい」って打ちたかったのに。
送信ボタンを押すと、すぐに既読がついた。そして、また返ってきた。
『俺も。悠真といる時間、すげぇ大事に思ってる』
「……っ」
声にならない声が漏れた。指先が震えて、胸がぎゅっと締めつけられる。
(もうだめ。やっぱり俺も言いたい――)
思わず画面を開き直す。けど打ち込んだ言葉は、また消した。
『おやすみ』
その一言だけを送る。ほんとは「好き」って言いたい。でもそれを伝えてしまったら、重たくてウザいヤツって思われるかもしれなくて、怖くて言えない。
画面に浮かんだ陽太からの『おやすみ、悠真』を見つめながら、俺は胸にスマホを抱きしめて目を閉じた。
きっと今ごろ、陽太も同じようにスマホを握ってる。そう思うだけで、心があたたかくなる。
切なくて、でも甘い夜だった。




