第六章 恋のはじまりと揺れる未来18
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次の日、駅前で陽太の姿を見つけた瞬間――胸が強く跳ねた。昨日の夢を思い出してしまったせい。
(やば……意識しすぎだろ俺――)
夢の中で抱きしめた感触、耳元で聞いた声、重なった唇――全部、まだ鮮やかに残っている。そのせいで、いつもの「おはよう」さえ口から出にくい。
「悠真!」
陽太が笑顔で駆け寄ってくる。その顔を見た途端に夢と現実が重なって、胸の奥が甘く切なく揺さぶられた。
「陽太。今日も部活、おつかれ……」
ようやく声を絞り出すと、陽太は嬉しそうに「全然大丈夫! 悠真に会えたから」と笑ってくれる。
その言葉にまた心臓がぎゅっとなった。夢の中で聞いた言葉にあまりにも似ていたから。
(……夢なのに、こんなにも重なるなんて)
少しの沈黙。並んで歩きながら、俺は陽太の横顔を盗み見る。触れたい。手を繋ぎたい。昨夜の夢みたいに、もっと――。
けれど陽太がお父さんに叱られたあの日の顔も、脳裏に浮かんでくる。俺が求めたら、また陽太が苦しむかもしれない。
「……悠真?」
立ち止まった俺に、陽太が不安そうに覗き込む。すごく顔が近い。呼吸をすれば、きっと触れてしまう距離。
その瞬間、夢の続きを見ているみたいに――俺は一歩だけ近づきかけた。でもすぐに足を止め、ぎゅっと手を握りしめる。
「なんでもない」
かろうじてそれだけ言って、陽太から視線を逸らす。陽太はまだ怪訝そうにしていたけど、少し照れくさそうに笑った。
「そっか。……でも、なんか今日の悠真、ちょっと変」
図星すぎて、返す言葉が見つからなかった。胸の奥に、夢の残滓と現実の甘さが絡み合って、どうしようもなく切なかった。
駅から少し歩いたところで、陽太が不意に足を止めた。
「なぁ、悠真……本当は、なんかあったんだろ?」
まっすぐ見つめられて、胸がきゅっとなる。昨日の夢が鮮やかに甦り、どうしても視線を外せなかった。言いたくないのに、言葉が喉から零れ落ちる。
「実は陽太の夢……見ちゃって」
陽太が一瞬きょとんとする。その顔を見て、慌てて取り繕おうとしたけど、もう遅かった。
「俺の夢?」
「うん。陽太と一緒に……」
最後まで言えなかった。けれど、言わなくてもわかる。頬の熱さが、全部を物語っていた。陽太の目が僅かに大きく開いて、それから少し赤くなる。
「なんだ……そっか」
小さく笑ったその表情が、どこか嬉しそうで、切なくて――胸がぎゅうっと締めつけられる。
(やばい、俺……なにを言ってんだよ)
本当は隠しておくつもりだったのに。距離を置こうと、理性で押さえ込もうとしていたのに。
でも陽太が「夢」って言葉だけでこんなふうに笑うから、余計に止まらなくなる。
「……悠真」
名前を呼ばれた瞬間、心臓が大きく跳ねた。触れたい。手を伸ばしたら、夢と同じぬくもりに届きそうで――。けれどその一歩が、どうしても踏み出せない。
昨日までの夢みたいに素直になれたらいいのに。現実は、どうしてこんなに苦しいんだろう。それでも夢の続きを――いつか本当に現実で叶えたいと思ってしまう自分がいる。
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夢の話をした悠真の横顔が、頭から離れなかった。
「うん。陽太と一緒に……」
ほんの少し照れながら打ち明けた言葉が、心臓に深く刺さっている。俺といる夢を見た――それだけで、胸の奥から熱が込み上げてきた。
さっきまで「よそよそしい態度」に不安で押しつぶされそうになっていたのに、悠真の本音が零れた瞬間、逆に確信してしまった。悠真だって、俺と同じ気持ちを抱えてるんだってことを。
(……だったら、もう遠慮なんてしてられない)
父さんに叱られたことは、頭の片隅に残ってる。だけどそれ以上に今は、悠真の曇った瞳を笑顔に変えたい。距離を置こうとして苦しんでるなら、俺がその距離なんて壊してやる。
夕暮れの駅前。人混みの中で足を止めると、隣の悠真が不思議そうに俺を見上げた。
「陽太?」
悠真に呼ばれた声に、胸の奥が強く震える。俺は決意を込めて、華奢な手を取った。指先が触れた瞬間、心臓が跳ねる。
「悠真……このままじゃ嫌だ。もっと、ちゃんとふたりになれる場所に行こう」
悠真の目が大きく揺れる。驚きと戸惑い、そしてどこか期待を含んだ光。その反応を見た瞬間、俺の中の迷いは消えていた。
「大丈夫。俺がちゃんと、悠真を守るから」
そう言って、俺は人通りを外れる道へと歩き出した。握った手は離さない。背後のざわめきが遠ざかるにつれて、ふたりだけの世界が近づいてくる――。
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雑踏を抜けて、川沿いの遊歩道に出た。夕方だというのに、人影はほとんどない。水面に映る街の灯りがゆらゆら揺れて、まるでふたりだけの世界みたいに静かだった。
握ったままの悠真の手が、じんわりと汗ばんでいるのがわかる。
「……陽太、本当にここでいいの?」
不安そうに問いかける声が、小さく震えていた。
「ここなら、もう誰にも見られない」
俺は足を止めて、正面から悠真を見つめた。夕暮れの光に照らされた横顔が、少し赤く見える。胸がいっぱいになって、抑えられなかった。
「悠真……ごめんな。昨日からずっと、俺、怖がってた。悠真が離れていくんじゃないかって」
「俺が?」
驚いたように目を丸くする。その反応が愛しくて、俺は息を呑んだ。
「でも本当は、悠真だって……俺と同じ気持ちで、悩んでくれてたんだろ?」
言葉を重ねると、悠真は唇を噛んで、俯いてしまった。繋いだ手だけが強く握り返される。胸が熱くなって、自然に顔を近づけていた。
「……陽太」
名前を呼ばれた瞬間、距離なんて一気に消えた。そっと触れた唇は、昨日までよりもずっと甘くて、長くて――離れがたくて。
「俺も悠真の夢を見たんだ。今みたいに抱き合ってキスをして、笑い合ってた」
悠真が小さく息を呑んで、俺のシャツの裾を掴む。俺も堪えきれず、腕を回して強く抱き寄せた。鼓動が重なって、熱が絡み合う。川の水音すら遠ざかるほど、世界はふたりのものになっていた。
「……陽太、もう離れたくない」
囁く声が、胸に焼き付く。
「俺も。絶対に悠真を離さない」
唇を重ねるたび、昨日までの不安が溶けていった。ただひとつ確かなのは、悠真がここにいる。それだけで、俺は何度でも立ち上がれる。




