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第十九話【MAYAという女②】

 ◆


「うっ……」


 片倉は呻きながら上半身を起こした。


 時刻は午前10時過ぎ。


 時間が巻き戻るわけはないから、少なくとも1日以上経っているということだ。


 しかし昨晩の記憶がなかった。


 ──そもそもここはどこだ? 


 知らない天井、知らないベッド、知らない家具、知らない部屋だ。


 部屋は随分と広い。


 片倉は六道建設時代、個室が与えられていたものの、その広さはせいぜい5畳半といったところだった。


 この部屋は少なくともその4、5倍はある。


 しかも間取りを見る限り、この部屋一つだけではない。


 片倉は昨日のことを思い出そうと苦心しつつ、ベッドから出たところで、自分が半ば裸に近い状態だということに気付いた。


 ──装備は


 すわ誘拐でもされたかと、片倉の寝ぼけた頭が一瞬で覚醒し、周囲を注意深く観察すると──


「あら、起きたの」


 そんな声が響いた──例によって、耳元で。


「MAYAさん」


 いつの間にかベッドにMAYAが腰かけている。


 シルクタッチのネグリジェというかルームワンピースというか、やけに扇情的な格好をしていた。


 一般的な感性を持つ男なら、むしゃぶりつきたくなるような色香がむんと漂っているが、片倉は全く動じない。


 そんな片倉の態度をMAYAはじっと観察し、おもむろに繊手をさっと片倉の下腹部へと這わせる。


 だが、やはり片倉は動じない。


 それどころか──


「ここはMAYAさんの部屋ですか?」


 平然とした態度でそう尋ねた。


 するとMAYAは納得したように頷き、「そうよ。それにしても色々無くしちゃったものがあるみたいね」と答えた。


 ・

 ・

 ・


 片倉には色々なものが欠如している──例えば味覚、例えば性欲。


 片倉自身、自分のどこが壊れているのか把握しきれていない。


 元からそうだったわけではなく、ダンジョンで壊されたものだ。


 片倉真祐は有形無形、様々なものをダンジョンで失っている。


「まあ、ちょっと軽く何か食べましょう。舌が馬鹿になってるとはいえ、何かしらは食べないといけないでしょ? ……ああ、服はそれを着てね。荷物とかはリビングに置いてあるから。それじゃあ向こうで待ってるから」


 MAYAはそう言って部屋から去っていった。


 ◆


「それじゃあ、自分の状態については大体理解してはいるのね?」


 テーブルの向こうに座るMAYAが片倉に尋ねた。


「ええ。でも戦闘能力やカンに影響はないみたいですから。勿論ずっとこのままでいいとは思っていませんが、俺にも目的があって、それを果たしたあとに自分の事を考えていけたらいいと思っています。ところで俺はなぜここに?」


「ちょっとした確認をしたくてね。少し──格というか、階梯というか……そういうものが上がっているように見えたから。見る人が見ればわかるのよ。最近結構苦労したんじゃない? でもまさちゃんはそれを無事に乗り越えた」


 MAYAの言葉はあの大蛙を示唆していた。


 とはいえ、なぜMAYAにそれがわかるのかはさっぱりわからなかったし、格だとかなんだとかも何を言っているのか理解できなかった。


 だからそれを問いただしてもどうせ煙に巻かれるだろうと、片倉は質問するのを諦めた。


「そんな感じですね……ところで、端末は」


 片倉が言いかけると、MAYAがウォーカーを手渡してくる。


「ありがとうございます。拠点を早めに決めたくって。受付の人の話ではこれ一つで全部できるみたいですが。なんだかどんどん技術が進歩しているみたいで、ついていけるか心配です。そのうち、ダンジョンの中と外でも通信が出来たりするようになるんですかね」


「まあ結構努力してるのよ協会も。でも異なる二つの世界同士を繋ぐ技術はまだ確立できていないわね」


 なぜかMAYAがどこか嬉しそうに言う。


 片倉はそんな彼女の素性が気にならないといえば嘘になるが、深くは聞かないことにした。


 風の噂ではMAYAも元探索者だという話だし、探索者同士というのは深く詮索しないという暗黙の了解があるのだ。


 これを『探索者の仁義』と呼ぶ者もいる。


 ・

 ・

 ・


 そんな風にして適当に会話をかわしながら、片倉は端末の操作に慣れていく。


 そして百人町に手頃そうな空き物件があり、結局そこに決めた。


 家賃は決められた期日までに振り込みだ。


 そのあたりの金は六道建設からの退職金でまかなうことができた。


「ふうん、1LDK……15万円か。探索者向けだけど、ちょっと手狭かしら?」


 MAYAがそんなことを言うと片倉も内心同意する。


 探索者は仕事柄、色々と荷物が多くなる人種なので、住むなら広ければ広いほど良い。


「まあ俺は余り大物は振り回しませんし、あるものを使う感じですから。サイバネ手術もバイオ手術もしていないので、調整機器を置く必要もありませんしね」


 片倉の戦闘スタイルは一言で言えば徒手空拳+小ぶりの刃物といった感じで、費用的にもスペース的にもエコではある。


「じゃあ次は何かしら、住まいも決まったけれど。早速どこかダンジョンでもいくの?」


「一応考えはあります。センターの志波さんに教えてもらったんですが、トー横がダンジョンになってしまったみたいですね。その関連で依頼が結構出ているみたいで、とりあえずそれを受けてみようかなと思ってます。当然モンスターと戦闘になるでしょうし、怪異系や人型のモンスター相手の感覚を取り戻すのも良いかもしれません」


「ああ、向こうは動物が多そうだものねえ」


 MAYAが納得したように頷く。例外こそあるものの、ダンジョンに出没するモンスターの種類は、そのダンジョンができた場所の由来や地域性に強く影響される。


 山だの森だの、そういった場所にできたダンジョンには動物の姿形を取ったモンスターが多く出るし、墓地や心霊スポットなら非実体系のモンスターが出たりする。


 ただこれはあくまでも原則だ。


「最近のダンジョン事情のことも聞きたいし、どこかのチームが募集してるならそこに入ってもいいかなとは思ってます」


 より困難なダンジョンへ挑もうという骨のある探索者がいるならば、親しくなっておこうという目論見もある。


 求道者のように力を求め、ダンジョンの奥深くへ足を踏み込む命知らずは一定数いるのだ。


 片倉はそういう同種を求めていた。


「そうね、一人でダンジョンに向かう人もいなくはないけれど、そういう人はだいたいダンジョンに飲み込まれちゃうわね」


 MAYAの口ぶりは、まるで何人もそういう探索者を見てきた者のような口ぶりだった。


 それにしても、とMAYAが眉を顰める。


「トー横か……。あそこは最近できたダンジョンだから余りデータがないんだけれど、なぜか人気なのよね。特に最近探索者になったような子たちに。あとは探索者じゃなくて一般人も何人か迷い込んじゃったりしているわ。協会は規制線をしきたいみたいだけれど、ほら、自発的にダンジョンに挑もうって人を妨害したらいけないじゃない? だから協会も困ってるみたいよ。結局、人海戦術で早期に全容を明らかにしようとしているみたいだけど」


 これは極端な例だが、複数の入場口があり、特定の一つ以外は非常に高難度なダンジョンにつながるというようなギミックつきのダンジョンというのもないわけではない。


 そうでなくとも、種が割れれば危険性ががくりと下がるダンジョンも珍しくないのだ。


「今更まさちゃんに言うことじゃないけれど、ちゃんといろいろ情報を集めてからダンジョンに行くのよ?」


 片倉は神妙に頷く。


 探索者として強くなるためには、ある程度の無謀さも必要だが、無謀さしかないと早死にするだけだ。


 ある程度の慎重さも必要となる。


 もちろん、慎重なだけでは探索者として強くなることはできないが。


 そのジレンマをどう解消していくかが探索者稼業の肝と言えるだろう。


「それで、まさちゃんのお眼鏡に叶いそうなチームはあった?」


 片倉がウォーカーのディスプレイを覗き込むと、そこにはどこかで見たようなレイアウトのスレッドが並び、これこれこういうメンバーが欲しいというような希望が書いてあった。


 真面目な募集もあればふざけたような募集もある。


 例えば男3人のチームで美女とやらを募集していたり、自分たちよりはるかに格上の探索者を募集していたり。


 探索者というのは誰も彼もがそういうカジュアルな人種ではないが、この探索者協会という民間団体自体がどちらかといえばノリが軽い面があるため、集まる探索者も集まりやすくなるのだ。


 関東には他にもいくつか民間に探索者団体があるが、基本的にはストイックな気風だったりする。


 片倉もそういう小規模な探索者団体に所属することを考えるには考えたが、いかんせん持っているデータ量やサポートの質が他の団体とは段違いのため、協会を選んだ。


 "山"はまだまだあるのだ。


 まかり間違って途中で力尽きるわけにはいかない。


 なにせ山々を超えた先には光が、希望が待っている──そのはずだからだ。


 だが片倉の心のどこかでは、いつも『本当にそんなことを成し遂げることができるのか』という低く昏い声が響いている。


 成し遂げることができるにしても、どれだけの時間がかかるのかもわからない。


 そもそも"山"とは、片倉が考えるように強大なモンスターを意味するのかというのも定かではない。


 そのことを考えると、幻想の酸が全身の神経を駆け巡り、心が侵され、気が滅入ってくるのも確かだった。


 しかし──


 ──行くしかない。やるしかない。澪に、もう一度逢うために


 澪のことを思えば心に気力が湧いてくる。


 ただ、同時に棘が刺さったようなチクリという感も覚える。


 ──あの声はこう言った。『お前は一つの山を越えた。100の山を越えるがいい。最後の山を登り切った時、どんな願いも一つだけ叶えよう』と。なら、俺が成し遂げたとしても……


 片倉の願いはただ一つだ。


 それに揺るぎはない。


 しかし、小堺の、沙耶の、海鈴のことを過去のものとして完全に振り切ることもできなかった。


 だからこれからのことを考えると厭気が差してしまう。


 目的を達成するためには片倉一人では不可能だ。


 だから仲間が要る。


 しかし、と片倉は思う。


 この時片倉の脳裏にはあるイメージができていた。


 ・

 ・

 ・


 空一面に広がる黒い雲。


 荒れ果てた大地が広がり、空気も毒気を孕んでいる。


 このままその場に立ち止まっていれば、ただ死を待つのみだ。


 周囲に転がる数多の屍と同じように。


 とはいえ、救いの手がないでもない。


 目の前に建つ塔に登り、空の果てに見える黒雲の切れ目を目指すのだ。


 そこからは光が差している──救いの光が。


 しかし、手を伸ばすにも高さが足りない。


 ならば重ねるしかないではないか、屍を。


 屍を重ねに重ねた塔を登れば良い──


 ・

 ・

 ・


 片倉は重苦しい溜息をなんとか飲み込んだ。


 胃の腑に落ちるそれは胆汁の味がする。


 自分は一体何をしているのか、何をしようとしているのか。


 片倉はどんな事でもやる覚悟ができている。


 必要があれば、命を預け合った仲間を目的達成のための捨て駒として使う覚悟だ。


 しかし覚悟ができているからといって、何も思わずに居られるわけではなかった。


 これから背負わなければいけないであろうあらゆるモノの重さのことを考えると、ともすれば何もかもを捨てて死んでしまいたくなる。


「まさちゃん」


 MAYAの声に片倉は、いつの間にか俯いていた顔をあげた。


「何に悩んでいるかは聞かないけれど、そういう時って大体辛いと思う方を選ぶと良いわね」


 MAYAの言っていることは片倉にも何となくわかった。


 楽な道というのは往々にして破滅へと繋がっているものだからだ。


 迷宮で難敵を相手にした時、ただ逃げるだけではほぼほぼ惨死を迎えてしまうように。


「……MAYAさんは何者なんですか?」


 片倉は何となく聞いてみた。答えてもらえるとは思っていない。


 しかし、意外にもMAYAは答えるかどうか悩む素振りを見せた。


「そうねえ……。答えてあげたいけれど、まだ少し早いかな。まさちゃんはまだまだ新米だし。でも目をかけていることは事実よ。これからも精進しなさいな」

ネオページで数話先行しています、そっちもよろしくね

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