29. いつもの密会
「やぁやぁアルス」
「ご機嫌麗しゅう、大公閣下」
「いつもありがとうね。今日は連れも一緒なんだが構わないだろうか」
登城した次の日、夜は大公の訪問があった。心なしか、雀卓を導入してから頻度が増えている。
大公の影には、長身の人影が一つ。黒いローブを着てフードをすっぽりと被り、仮面を付けている人物だ。一目で訳ありだと分かる。
とはいえ、大公の連れであれば断る理由はない。アルスは肯定して、彼らをRoom02に招き入れた。
「彼女の家庭の諸問題に対処してくれたんだって?」
「対処というほどのことはしてませんよ。ちょっとだけ男爵を煽ったりはしましたが」
「さすがにあのレベルの問題だと介入ができなくてね。我々が動くと問答無用に処分になってしまう」
困った叔母と従姉たちは、困らせはしたが犯罪までは犯していない。ギリギリ貴族籍詐称に抵触するかどうかというところだったが、法で罰されるようなことまではしていないはずだ。民事の範囲ならば王家が介入するわけにもいかないだろう。介入した場合、強制的な排除以外の方法を取れるビジョンが見えなかった。
「まぁ、結果的に厄介な身内とちゃんと話をつけて、男爵が前向きに事業を進めて家を栄えさせる決意ができたようなので良かったのでは、と思っています」
「そうだね。リリーナ嬢の自立の援助はパトロンで事足りるが、男爵家の復興は男爵自身がやる気になってくれないとどうにもならないからね」
「家同士の無償の援助は隷属の証ですから」
「ああ。そうなると困るから、男爵家の困窮が表沙汰になる前に、何とか回復して貰わないとね」
シルファス男爵家を傘下に置きたい家が、援助を理由に抱え込む。現状、リリーナの魔術には価値ができてきているので、次に対処するべき問題は不当な貴族家の干渉だ。
「リリーナ嬢との繋がりができてから、明らかに彼女との縁目当てで声を掛けて来る貴族家を列挙しても?」
「助かる。頼むよ」
アルスはつらつらと、ファッションショーの終了日から今日まで、リリーナのことを気にしながらアルスに声を掛けて来た貴族家を挙げ連ねていく。顔が広いアルスだからこそ、彼らは遠慮なく声を掛けて来る。中には、アルスの表の素性を知らない者も。
やがてつらつらと貴族家を挙げ終えると、ウルズ大公はこくりと頷いた。
「分かった。そっちに関しては私が目を光らせておくから、アルスは適当に止めておいてくれ」
「ええ、そのつもりです」
「アルスに迷惑はかけないよ。いつも通り、面倒なのに絡まれたらちゃんと大人を利用するんだよ」
「はーい」
およそ親子世代の会話には思えないものだ。
アルスは目の前にある高級ワインをぐいっと煽る。一瞬、大公の隣にいた連れが何か言いたげに身じろいだが、仕事の疲れはアルコールでしか癒せない。喉の奥で弾けるアルコールが、アルスの気分を乗せていく。
「ああ、そうそう。どうやら甥が世話になったようだね」
「おや。お耳に入りましたか」
「ああ。惚れた弱みというのかな、リリーナ嬢の前でならばいちばん、ユーウェルが油断すると踏んでの犯行だったようだ」
「青いですねぇ」
アルスがひらりと肩を竦めると、またしても連れが身じろいだのをアルスは視線だけで確認する。そしてすぐに大公に視線を戻すと、やれやれと言った様子で口を開いた。
「まぁ、王家のいざこざに手出しも口出しもするつもりはありません。僕はたまたま、あの日やけに甘えん坊で出かけるのにも僕に同行を願ったリリーナがかわいくて仕方がなかったので、手を貸しただけなので。殿下を助けたのは結果論です」
「はは。こちらとしてもアルスを巻き込むつもりはないさ。まぁ、アルスのことだから、察しくらいはついていそうだけれどね」
ユーウェルを狙う勢力。この国では現在、王位争いの政争は起きていない。ユーウェルを担ぎ上げようとする勢力もいるにはいるが、ユーウェル自身が王位を望んでいないので、ほぼいないも同然だ。
そんなユーウェルが狙われる件と言えば、恐らくは北西の国に関わることだろう。
今から三代前の国王の時代、北西の国は豊かなエルデシアンを従えるべく、侵略を繰り返していた。しかし、国境に位置していた向こうの国の貴族領が、祖国からの不当な扱いに耐えかねて反旗を翻し、エルデシアンに下った。その結果、辺境に生まれた巨大な砦が北西の国の侵攻を許さず、現在はその貴族家は新たにエルデシアン王国の辺境伯位を得て、今も北西の国境を守っている。
ただ、王家もこの国の貴族家も、いまいち信用しきれていないというか――辺境伯家は、ある程度孤立している。他国から離反して辺境伯位という重要な役職を手に入れた家をよくは思わず、社交界に受け入れることもない。ただ、王家は北西の国境を破られるわけにはいかないので、辺境伯家への無用な干渉を各家に禁じ、危機があれば必ず王都から助力をすると協定を結ぶにとどまっている。
北西の国は、あの領地を何としても取り戻したい。だから、今の孤立している状況は好ましい。
だが、ユーウェルが辺境伯家と懇意にしている。なぜならば、辺境伯の当主はユーウェルの剣の師であり、ユーウェルはその師を慕っているから。
きっかけがなく、縁が結べなかった辺境伯家を正式に国に迎え入れる、その懸け橋として、ユーウェルは王城内でも必要な立場と認識されている。
辺境伯夫人は北西の国の謀略によって若くして儚くなっていて、辺境伯家には跡取りがいない。であるからこそ、殊更に辺境伯はユーウェルを我が子のようにかわいがっているという噂だ。
「まぁ、殿下にもリリーナにも怪我がなくて良かったです。殿下と顔を合わせたのは予想外でしたが」
「ああ。その件に関しては、アルスに謝らなければならないことがある」
「何です?」
「ユーウェルはどうやら、乳兄弟を使ってアルスの素性を調べていたらしい。気づくのが遅れて、ほぼほぼ詰め切られそうだったから、私から情報を渡して口止めをしておいた」
「ああ……なるほど。いえ、顔を合わせた時点で覚悟はしておりましたので、私としては殿下の良心にお祈りするしかありませんね。言いふらされると少々都合が悪い」
あの日、アルスはユーウェルの目の前で、リリーナから信用を得ていることを明かされてしまった。そうなってしまえば、ユーウェルがアルスのことを調べ上げようとするのは自然な流れだ。
大公が途中で気づいて必要な情報を渡し、口止めをしてくれたのならばそれ以上には望めない。あることないこと報告されて、ユーウェルに目の敵にされるよりは余程ましだ。
「アルスとしては、リリーナ嬢に知られるのがいちばん微妙かな?」
「そうですねぇ。今、彼女にバレると王家に怒られちゃうかも?」
「ははは。あんな熱烈な手紙を見てはねぇ」
「本当ですよ」
リリーナから先日届いた手紙には、ありありと「シェス様のような淑女になりたい」などと書かれていた。
これを裏切るリスクがありすぎる。もしも今、リリーナの淑女教育のモチベーションがアルシェスタへの憧憬ならば、これを覆すことによってリリーナのやる気が失われるかもしれないのだ。
貴族社会に馴染んで欲しい王家の意と反してしまう。無責任に偶像を見せたのならば、せめて学院を卒業するまでは隠し通せと言われそうなものだ。
「僕って、リリーナ嬢と不思議な縁でもあるんでしょうか。学院でも、下町でも、数奇な運命によって引き寄せられて出会ってしまうんですが」
「そうかもしれないね。私としては、学院内では仕方ないのかもしれないと思っていたのだけれど、まさか下町でまで困っている彼女を拾っているとは思わなかった」
「仕方ないんです。かわいそうな天使と猫が落ちてたので」
「君は本当にお人よしだねぇ」
どちらにせよ、関わる選択を取ったのはアルスだ。リスクがあるのも重々承知のうえで、アルスはそれを自分で選び取った。成人を過ぎた貴族の子なのだから、その選択に自分で責任を取るのは当たり前のことである。
もうこうなったら、学院を卒業するまではのらりくらりと躱すしかあるまい。
「まぁ、なるべく頑張って隠してみます。今は顔を覚えられないように、数週間はリリーナと会わない予定です」
「協力を頼んだこちらの言うことではないが、少し関わりすぎたかもしれないね。アルスの負担を増やす意図はなかったよ」
「いいんです。私が、放っておけないだけなので」
アルスはグラスを空っぽにすると、近くの棚から、また新しいボードゲームを取り出した。
真面目な話が半分、楽しい話が半分。
それが、アルスと大公のいつもの密会の様子である。
◆◇◆
帰りの馬車の中で、ウルズ大公は連れに声を掛けた。
「ね? 心配するようなことなんて、何一つとしてなかっただろう?」
連れは小さく頷くと、フードを外した。すると、銀色の髪が覗く。顔の半分をすっぽりと覆う仮面を外せば、そこにはオパールの瞳が覗いていた。
ユーウェルはしばらく考え込んだのち、叔父に向かいゆっくりと頭を下げる。
「此度は、私に機会を下さり、感謝します、叔父上」
「いいんだ。ユーウェルがあの日、アルスと出会ったのは太陽神ソル・デュー……あるいは、月の女神ルナティレーズの導きかもしれない。どうやらリリーナがアルスに甘えて連れ出した結果、出会ったようだから」
「――。私は困惑しています。何ですか、あれは」
ユーウェルは、先ほど見やったアルスの様子を思い出す。
品行方正、いつもたおやかな笑みを浮かべ、平民や下位貴族の羨望や憧憬を一心に集める、誰にでも分け隔てなく優しい委員長。それが、学院でのアルシェスタの評価だったはずだ。
しかし先ほど見たアルスは気だるげに話し、平気で酒を煽り、大公に対して気安い様子で、ユーウェルのことを子ども扱いした。
――自分の方が年下なのに!
そんな考えが過りながら、ユーウェルは頭を抱えた。
「叔父上……女というのはあんなにも恐ろしいものですか……」
「ははは。ユーウェルはやっぱりまだまだ子どもだねぇ。二面性なんて、貴族にとっては問題にならない程度には日常だ。君の方が裏表がなさすぎるくらいだよ」
「何度思い返しても、あの者とキングレー嬢が一致しません。二面性とはいってもアレは特別ではないのですか?」
「まぁ特別かそうじゃないかと言われれば、特別かもしれないねぇ。普通の貴族の娘とは逆方向の二面性だから」
苛烈であること、浪費家であること、傲慢であること――。
そんな本性を隠し、外では貞淑に振舞う貴族の娘などごまんといる。それこそ、外ではあんなにも完璧な淑女と呼ばれるベルローズは、あれでいて少し抜けていたり、少し傲慢な部分がある。
アルス――アルシェスタの二面性は、どう考えてもユーウェルの常識内のそれではなかった。男の顔と女の顔を使い分けて貴族社会を生きている者など聞いたことがない。
「まぁ、ユーウェルのやるべきことがあるとすれば、アルスがリリーナ嬢に何かしらの価値を見出す前に、リリーナ嬢の地盤を固めてしまうことだろうね」
「リリーナを利用しないとは限らないと?」
「アルスは商人だから。自分の利益になることならば、リリーナ嬢を利用するかもしれない。とはいえ、今はリリーナ嬢を純粋に気に入っているようだから、彼女を不幸にはしないと思うけれど」
「彼女と腹の探り合いをするのは、骨が折れそうですが」
「それならばユーウェルも彼女と縁を繋げばいい。彼女は道理の通らない我儘を喚く者には容赦しないが、自分の心のうちに入れた人間には優しくしてくれるよ。彼女がリリーナ嬢を守ろうとするのは、リリーナ嬢が彼女の心の内側にいるからだろうね」
要するに、とユーウェルがつぶやく。大公が答える。友人になればいいのだと。
二面性を認めたうえで友人になってくれる人間は、彼女にとってもありがたいはずだと。ウルズ大公は、アルスの人格の部分は、アルシェスタが普段抑圧されている部分だと思っている、と。
屋敷で待つより自分の足で歩き、芸術より武術を好み、茶会より遊技場を好む。それは、世間からすれば、男性のようだと言われることかもしれない。
「アルスはただ、自分らしくあろうとしているだけなんだよ。貴族社会だと、疎まれているけれどね」
「……自分らしく」
「まぁ、まずは手紙でも書いてみればいい。敵対する意志がないことを伝えれば、ユーウェルが学院内で困っているとき、彼女はきっと助けてくれるだろうから」
夜更けごろ、馬車は王城へと辿り着いた。自室に戻ったユーウェルは、ぼんやりと月を見上げながら、執務机について、便箋を手に取った。
数日後、アルスにはウルズ大公の使いの者から、一通の手紙が届けられた。その手紙を見やったアルスは、穏やかに微笑んだ後、受け取りましたと丁重に伝えた。




