28. 夢の話
アルシェスタは、城の廊下を歩いていた。デザインのラフ画を起こし始めた彼女たちを王太子妃の貴賓室へ預け、アルシェスタは魔術師棟へと赴いた帰りである。
魔術学院プロジェクトの発足にあたり、挨拶をしたいからと、現宮廷魔術師長であるアーチボルド侯爵から呼び出されたのである。デザイン画を起こしている間はアルシェスタにはやることがないので、王太子妃の厚意で部屋を一時的に退出させて貰った。
アーチボルド侯爵は明るく快活なおじさんという印象がぴったりで、アルシェスタにも気さくに挨拶をしてくれた。今までにかかわりのない家だったが、今後は関わり合いが増えていくのだろう。彼の子どもは第一王子世代なので少しだけ年代が上の方だ。
王太子妃の待つ王宮へ戻ろうと廊下を歩いているところで、声を掛けられて、アルシェスタは足を止める。
「キングレー嬢?」
「第二王子殿下」
そこに立っていたのはユーウェルだ。彼はぽかんとした様子で口を半開きにしている。アルシェスタは丁寧に礼をした。ユーウェルは片手を挙げて、それを制する。
「……いい。楽にしてくれ」
「かしこまりました」
「そなたを王宮で見るのは、その……珍しいな」
「左様でございますね。私は王宮に恒常的に出入りする身分ではございませんので」
城に出入りするのは官僚たちや使用人、騎士たち。宮に出入りするのは侍女や王家の友人たち。
アルシェスタの立場はそのいずれでもない。ただの領主の娘であるアルシェスタに、王宮での用事はない。今日が特別な日というだけだ。
ユーウェルはゆっくりとアルシェスタに歩み寄ってくると、視線が交わる。高い背を見上げて、アルシェスタは小首を傾げた。
「本日はどうした?」
「王太子妃殿下のご用命を受けまして、知り合いのドレスデザイナーをご紹介に参りました。私はただの付き添いですが、宮廷魔術師長のアーチボルド侯爵から面会の依頼があったので、その帰りです」
「義姉上の……そうだったか。夏期休暇中だが、領地には帰らぬのか?」
「……はい。王都でしたいこともあったので」
「それは……」
どこか歯切れの悪いユーウェルは、何かを口にしようとしては飲み込む。しばらく、二人の間に無言が続いた。どちらが沈黙を破るのか、気まずい空気が漂うが、アルシェスタは笑みを絶やさずに、ユーウェルの言葉がまとまるのを待っていた。
「そういえば」
「はい」
「ベルローズが、そなたに侍女の打診をすると言っていたが」
「まだ口頭でお誘いいただいただけですが……」
「そ、そうだったか。受けるのか?」
「……それは」
普通は、王族や準王族から直々に侍女の打診があるなど、この上ない光栄なことだ。一領主の娘であるアルシェスタにとっては、普通に考えればかなり上位の役職と言ってもいい。
普通の貴族の娘なら、断るという選択肢がないほどだ。例外的に、家格が低すぎる場合などはその限りではないが。どろどろの王宮の進退に関わることを良しとしない下位貴族はそれなりにいる。
「身に余る光栄なことかと存じますが……」
「ならば、何故?」
「……私には、夢があるのです。簡単にあきらめることのできない夢が。それを叶えるためには、侍女にはなれないと思うのです」
「夢? ……差し支えなければ、聞いても良いだろうか」
今日に限って、ユーウェルは妙にアルシェスタに絡みたがった。大手を振って他人に話すようなことではないが、王族に聞かれたのならば、答えなければならないだろう。
「この国を、娯楽で満たすこと」
「娯楽で、満たす?」
「昔の貴族が作った、人の尊厳を踏みにじる愚かな娯楽を否定し、娯楽とはもっと楽しく、人の生活の潤いとなるものだと広めること。娯楽の都の娘として、それこそが幼いころからの夢であり、私にとって譲れぬ使命だと思っています」
ユーウェルは、どうにも腑に落ちないという顔をしている。丁寧に言葉を選ぶ間があった後、ユーウェルは偽らざる本心を述べた。
「不快にさせたら申し訳ないのだが、娯楽とはそこまで必要なものか?」
「殿下は、必要ではないと思われますか?」
「いや。私個人としてはそう思うだけで、客観的に見れば娯楽が多くの民に好まれていることは分かる。だが、それを広めることは、王子妃の侍女という重要な立場を辞してまで使命とする必要があることか?」
「なるほど。確かに道理です。ただ、その論理で行くならば、そもそも王子妃殿下の侍女の人選が、私で良いのかが疑問です」
「そなたは自分では足りぬと?」
「侍女を務めることはできましょう。ただ、マギアス様が侍女に推挙なさるならば、私よりも相応しい人材はいくらでもおります。中立の、傘下にない家の娘をわざわざ拾うよりも、自派閥の信用のおける娘を選び取り、地盤を固める方がはるかに安定するかと愚考します」
ユーウェルは小さく頷いた。そこまで言えば、確かに何故ベルローズがアルシェスタを選んだのか、それに納得のいく理由付けが、ユーウェルの中で見つからなさそうな顔をしている。
結局のところ、アルシェスタはマギアス公爵家の派閥の人間ではない。いつ、どこに付くか分からない家の娘を、近くに置くリスクを背負う必要はない。
「そなたの言い分は分かる。しかし、少し論点をずらしたな。そなたの使命には、我が婚約者の侍女の席を蹴ってでも、成し遂げる価値があるのかという問いだったが」
手ごわい、とアルシェスタは内心舌打ちをする。ユーウェルはまぶしいほどにまっすぐだ。適当に煙に巻くのは無理だろうか、とアルシェスタは思う。
「夢、とはそのようなものでございましょう」
「夢……」
「譲れないもの。叶えたいもの。理屈ではなく、論理ではなく、心が焦がれて説明ができないもの。であるからこそ、私は私以外に務まる役職に留められることを望みません。私以外に務まるのならば――私は、伯爵家の娘ではなく、アルシェスタ・キングレーとして、その立場を辞し、夢を追い、多くの人の人生に、新たな潤いを与えたい。そう、願います」
アルシェスタが丁寧に述べれば、ユーウェルはしばらく、アルシェスタの藍玉を見つめていた。アルシェスタは目を逸らさずに、じっとユーウェルの宝石のような美しいオパールの瞳を見つめ返す。
やがて、ユーウェルは肩の力が抜けたように、小さく息を吐き出した。そして、ふっと微笑む。
「確かに、貴族の娘ならば王子妃の侍女を務められる者は多いだろう。そなたよりも適した人物も。だが、人が人を信用するのも理屈ではない。ベルローズがそなたを信用できるとしたからこそ、誘ったのではないかと私は思う」
「光栄なことだと思います。マギアス様に、信用していただけるのは」
「ベルローズだけではない。私も、そなたのことを信用できる」
「え?」
裏返った声が微かに響いた直後、ユーウェルは王家の人間として、どっしりと構え、告げた。
「まだ、ちゃんと礼を言っていなかったな。魔術競技会の日、リリーナを庇ってくれて感謝する。そなたの献身によって、誰も欠けることなく、あの災禍を乗り切れた。リリーナは王家の大切な保護対象だ。そんな彼女を身を賭して庇ってくれたそなたに、王家は無体を働かない。人材としては惜しいがな」
「殿下……」
「もしもベルローズがしつこかったら私に告げ口しろ。叱ってやるから」
「……ふふっ。お気遣いいただき、ありがとうございます」
どうやら問答は、ユーウェルの納得のいく答えを提示できたようだ。少し時間を使い過ぎただろうか。
そろそろ戻らないと、ミカルーシェを待たせているかもしれない。それを伝えてこの場を脱しようとしたとき、聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「シェス?」
アルシェスタはゆっくり振り返る。すると、そこには騎士服を身にまとったイルヴァンが立っていた。彼は驚いた様子で口を半開きにしている。アルシェスタは、王子の御前だったので軽く咳ばらいをする、とイルヴァンは我に帰り、騎士の敬礼を取った。
ユーウェルは微笑むと、イルヴァンに向かい労いの言葉を伝えた。
「イルヴァン、務め、大義である。すまんな、そなたの婚約者を少しばかり借りていた」
「は。申し訳ございません。お邪魔いたしましたか?」
「ちょうど区切りがついたところだ。そなたに返そう」
ユーウェルはそう告げると、軽く別れの言葉を告げて、廊下の向こうへと歩いていった。その後ろ姿を二人で見送ると、イルヴァンは物珍しそうな瞳をアルシェスタへ向けて来る。
「シェス、今日は登城の用事があったのか?」
「はい。王太子妃殿下のご用命で、少々。イルヴァンは、陛下に謁見ですか?」
「ああ。遠征から戻ったから、その報告に」
「そうでしたか。すみません、イルヴァン。積もる話はあるのですが、そろそろ王太子妃殿下のところへ戻らなくてはならないのです」
「そっか。じゃあ、また明後日。ゆっくり話をしよう。俺もシェスに伝えないといけないことがあるから」
「分かりました。では、イルヴァン。お疲れさまです」
アルシェスタは丁寧にイルヴァンに頭を下げると、隣をすり抜けて、王宮の方へ向かっていった。
その後、無事にデザインの案がいくつかまとまり、それらを描き起こす時間を貰うために納期を決め、王太子妃への謁見は終了した。帰りの馬車の中で、緊張が解けたのか、彼女らは死屍累々と言った様子でぐったりとしていた。その様子を見て、アルシェスタは苦笑しながらも、彼女たちを労ったのであった。




