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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第一部 夏休み篇 長期休暇は己と向き合う時間
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27. 東方の国とこの国と

 ファッションショーの数日後の朝、アザレア工房の面々は、朝からざわついていた。ある程度フォーマルな装いで、華美にならない程度に飾り立てられているのは、マリエッタだ。その付き添いについてくる二名も、同じような装いをしている。

 彼女らはアルスから、マリエッタのドレスを見て、オーダーメイドを頼みたいやんごとない身分の方から声を掛けていただいたので、一度顔を合わせたい旨を伝えられていた。つまり今から、どこぞの高位貴族の屋敷へ向かうことになるということである。


 高位貴族たちは、庶民からは想像もできないような、宮殿のような屋敷に住んでいる。貴族街に平民は滅多に入れないが、一度入って歩けば、数十分歩いても、一つの貴族家の塀が見えていることもある。

 そんな雲の上の人たちに会いに行くのだ。生まれも育ちも庶民である彼女らにとって、生まれてから今日までこんなにも緊張した日はなかった。


 やがて、定刻になると、工房には一人の訪問者があった。どこかエリーゼに似ている侍女を連れてやってきたのは、絵本の世界から飛び出してきた、お姫様かとも思う人物だった。

 淡い青色の髪をハーフアップにした少女は、見たこともない高価な青色のドレスを着ている。あからさまに貴族の娘と言わんばかりの少女は、マリエッタに向かい微笑みかけた。


「お迎えに上がりました。どうぞ、こちらにいらして」


 マリエッタをはじめとして、工房の面々は数秒間呆けた後に、誰かに袖を引かれてやっと我に帰る。貴族の客人を待たせたことを自覚して、勢いよく頭を下げて謝ると、少女は口元に手を当てて、上品に微笑んだ。

 彼女に連れられ、馬車に乗り込む。いつも利用している乗合馬車とは座り心地がまるで違う。沈み込むクッションのお陰で、お尻が全然痛くならない。

 マリエッタたちは、今日どこに向かうのか、商談相手は誰なのか、何も聞かされていなかった。アルスの言うことには、道すがら説明するとのことだったのだが、そういえば彼女はどこに――と思い、問いかけてみることにした。


「あの……」

「?」

「アルス社長はどちらに……?」


 問いかければ、彼女はきょとんとした顔をして、そして首を傾げた。


「え。目の前」

「……え?」

「あれ。もしかして気づいてなかった? 僕だよ」

「……。…………。………………。えええええ!?」


 三人の声が重なった。アルスは少しだけびっくりしたように、目を瞬かせていたが、三人の百面相があまりにも面白かったのか、腹を抱えてケタケタと笑い始めた。先ほど彼女の面影に見やった、絵本から出て来たお姫様のイメージは粉々になった。

 言われて見てみれば、顔のつくりはアルスにそっくりだ。しかし、色の印象もあるだろうが、見た目の印象が真逆だったため、同一人物だなどと考えもしなかった。声色も全然違った。彼女たちは混乱する頭で、自分自身に言い訳を続ける。


(詐欺だ……)

(詐欺だわ……)

(詐欺です……)

「今、失礼なこと考えてるでしょ」

「そ、そんなことは!」


 実のところ、三人は見慣れない貴族令嬢姿のアルスに戸惑っていただけで、話しているうちにやっと存在が一致したのか、ゆっくりと現実を受け入れていった。


「いや、ごめんね。いつもの格好で行ければ良かったんだけど、今日行く場所に関しては、僕が素性を隠したまま入ると何かしらの問題になるかもしれないところでさ。止むを得ず、僕も貴族の娘の姿を取るしかないんだよね」

「そ、そうだったんですね……」

「貴族の娘の姿を取るって言った……」

「言った……」

「まぁそういうわけだから、馬車の外ではいっぱい猫被るけど、内緒にしといてね。あんまり貴族の娘の姿を見せると、皆気後れしちゃって話しかけづらくなるかもしれないから」

「はい……ところでアルス様、今日はどちらに行くんですか?」

「あそこ」


 アルスが馬車の外を指で示す。その建物を見て、三人はさらに固まった。

 アルスの指の先にあったのは、この王都の中心に聳え立つ、白亜の建物。この王都の中で最も高く、最も広く、最も堅牢な、庶民では一生入ることを許されない場所。

 エルデシアン城、そのものだったからだ。


「お、城」

「っていうことは、マリエッタにドレスの相談をしたい人って……」

「うん。この国の、王太子妃殿下。つまりは――」

「次の、王妃、様?」


 マリエッタは顔を青白くして、狭い馬車の中で、思わず叫んでしまった。その周囲の付き添いの少女たちも、目を瞬かせて、ぱちぱちと現実逃避を繰り返している。

 アルスにとって、反応は予想通りだった。しかし、この馬車に入るまで、彼女らに行き先を告げられない事情があった。

 もしも王太子妃にデザイナーとして指名があったことを事前に伝えていれば、彼女らはその重責に耐えられずに、ぽろっと誰かに漏らしてしまったかもしれない。

 今日の結果如何で、彼女たちには身の振り方を考えて貰わなければならないので、結局は会わせるまでは伏せる必要があったということだ。

 ミカルーシェも何か考えているだろうし、そのあたりは王太子妃の意向に沿うしかない。

 結局、平民も貴族も、王族にとって臣下であることに変わりはないのだ。


 アルスから諸連絡を伝えられて、いよいよ馬車は王城に入った。頑丈な城門をくぐる際には番兵の厳しい検閲が入る。アルス――アルシェスタは一通の招待状を取り出して、それを番兵に見せた。それと同時に、家門を示す装飾品を提示する。

 領主の娘であるアルシェスタは十分な身分とその保証があるため、それ自体はスムーズにいった。ただ、連れである彼女らの鞄の中は隅々までチェックされた。

 とはいえ、正式な王太子妃の招待なので、親の仇のように検査されることはなかった。やがて、十分ほどすると、城門をくぐることを許され、駐車場に馬車を置いて、外に出る。

 すると、王太子妃付きの侍女が迎えにやって来たので、マリエッタたちを連れて、アルシェスタはゆっくりと城内を進んでいく。


 マリエッタたちは、初めて入る王城内を楽しむ余裕もなく、はぐれないようにアルシェスタの後ろを付いていくので精いっぱいだった。

 主塔から離れた位置にある宮殿へと連れられ、一室へと通される。そこは、王太子妃専用の貴賓室だった。

 部屋の最奥に腰かけているのは、華美に飾り立てたミカルーシェだ。あの日、お忍びでやって来た彼女とは違い、王太子妃らしく、威厳ある姿でそこに座っている。


「王太子妃殿下、ご機嫌麗しゅう」

「アルシェスタ。会いたかったわ。来てくださってありがとう」


 ミカルーシェは麗しく微笑を浮かべる。机を挟んで反対側に腰かけたまま、後ろのマリエッタたちに目をやった。


「紹介してくださる?」

「はい。こちら、MIYABIなドレスのデザイナーであるマリエッタ。その付き添いでやって来た、アザレア工房の工房長のアナ、ベテランデザイナーのモイでございます」


 アルシェスタが名前を告げて紹介をすると、彼女たちは事前に言い含めていた通り、丁寧に頭を下げる。庶民なので、この非公式な場では、最低限の礼儀で良いとミカルーシェが気遣ってくれたのだ。後々、仕事をすると決まれば最低限のマナーは覚えて貰う必要はあるだろうが、今のところこれで十分とのことだ。

 ミカルーシェに促されたので、アルシェスタがミカルーシェの正面に。マリエッタ、アナ、モイの三名はその隣にそれぞれ座ることとなった。


 そこからは、早速商談が始まった。ミカルーシェは、MIYABIなドレスをいたく気に入ったこと。自分には東方の姫君の血が入っていること。それらを伝えた。


「わたくし、将来はこの国と祖国と、母なる故郷との国交を目指したいと思っているの。珍しい、華美な布がたくさんあると聞いていたから。まさに、あなたがあのドレスに使ったような。あれはどうやって手に入れたの?」

「あ、あちらは、えっと……手染めをしました。図書館にあった古い文献を参考に……」

「まぁ。ご自分で染められたの? 素晴らしいわ」

「恐縮です」


 東方との国交は、実際に案が上がっていたと記憶している。ただ、海に浮かぶ島国と、きっかけもなく交流するのは少し難しかった。しかし、ミカルーシェの血がそのきっかけとなるのならば、たとえば外交に行った際に、母なる故郷の文化を身にまとっていれば、かの国の目に留まることもあるだろう。

 まさに、ミカルーシェはそれを切望していた。それを叶えてくれる、腕のいいデザイナーとの出会いを待っていたのだそうだ。


「繊維も自分たちで作れるのね。それは素晴らしいわ。ねぇ、あのドレスを着てみてもいいかしら。わたくしとアルシェスタはほとんど体型が変わらないから、着られるのではないかと思っていたのだけれど」

「は、はい。こちらに」


 マリエッタがスーツケースを差し出すと、侍女が受け取り、中身を確認する。部屋内には女性しかいなかったので、簡単な衝立を立てて、その場で着替えを終える。すると、案の定、ミカルーシェにはMIYABIなドレスがよく似合っていた。

 リリーナの色彩感覚は大したものだ、とアルシェスタは考える。リリーナが言っていた、このドレスに合う色彩は、見事にミカルーシェの色だったからだ。


「素敵だわ。今までに着たどのドレスよりも、何だかわたくしにしっくりくる。綺麗……」

「こ、光栄です。王太子妃殿下」

「着てみたら、ますますわたくしのためだけにデザインされたドレスを着てみたくなったわ。ねぇ、レディ・マリエッタ。わたくしのためにドレスを仕立ててくださらない?」

「ほ、本当に、私でよろしいのでしょうか……? わ、私は、まだデザイナーとしても半人前で、経験がまだほとんどないのですが……」

「だったら、私が初めての客なのね。ねぇ、レディ・マリエッタ。デザイナーとして成長して頂戴な。わたくし、あなたを最初に見出した女として胸を張りたいわ」


 庶民からデザイナーデビューをして、いきなり国の王太子妃のドレスのデザインを任される。

 マリエッタにとっては空前絶後のプレッシャーを感じているに違いない。けれど、王太子妃によきに計らえと言われては、やるしかないのである。彼女はいい意味で、王族としての傲慢さをちゃんと持っている。

 自分の存在を唯一無二と示すために必要な装備を得るために、平民の少女に発破をかけることを躊躇わないのだ。


「アルシェスタ。ドレスの発注や卸し方については、わたくしに案があるのだけれど、製造に関しては宛があって?」

「はい。アザレア工房にカドが立たないように、手配の準備は済んでございます」

「それは良かったわ。きっと横やりがたくさん入るわね。でも、彼女たちの不利益にはならないようにしないと」

「我が商会の提携先に、貴婦人との取引に実績のある商会がございますので。そこを通せば、大抵のことは煙に巻けます」

「頼もしいわ。では、カムフラージュを挟んで、その商会に発注する形にしましょう」


 平民の工房が王太子妃のドレスを担うとあっては、その地位を狙う者たちからの妨害が絶えないだろう。マリエッタを奴隷のように、自分の下に抱え込もうとする動きはあってもおかしくはない。

 そのために、少なくとも民間の商会が手出しをできない程度の煩雑な行程を通すように見せかけておく、というのが作戦である。


「高位貴族のやっかみからは、わたくしが守ります。だからアルシェスタは、下町や下位貴族のほうに目を光らせて頂戴」

「かしこまりました」

「ふふ。じゃあ早速、デザインの相談をしても構わないわよね。ねっ。アルシェスタ」

「はい。心行くまで」


 ミカルーシェは、まるで幼子のように、自身の身にまとうMIYABIなドレスを見て、目を輝かせる。アルシェスタがマリエッタに指示を出すと、マリエッタたちはデザインに必要な道具類を、鞄から取り出して用意し始めた。

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