26. 父の心境
叔母と従姉たちは、使用人と門兵に連れて行かれた。もう使用人によって荷物は纏められ、馬車に積まれていたようだ。男爵家からの去り際、門の前に豪奢な馬車が停まっていたのを、彼女たちは信じられない目で見上げたようだ。
従姉たちはしばらく騒いでいたが、もう二度と男爵家の敷地内に入ることを禁じられたことを聞くと、ようやく自分たちは追い出されたのだと理解したそうだ。この先、彼女たちが生きていけるかは分からないが、しかしアルスにはある程度の確信はあった。
恐らく、男爵は仕事についても手を回しているのだろう。彼の性格上、そのまま放り出すということはなさそうに思えた。
「アルス殿。この度は、本当にご迷惑をおかけいたしました。不快な想いもたくさんなされたでしょう。男爵家の長として、恥じるばかりです。本当に、申し訳ございませんでした」
「構いませんよ。こんな仕事をしていると、自分よりも身分が下の人間に軽んじられるなんてよくあることです。結果的にファッションショーには何の損害も出ませんでしたし、彼女たちにはいい薬になったんじゃないですか?」
「……優柔不断な父娘で本当に申し訳ない。結果的に、泥を被らせてしまうことになりました」
「おや。何のことでしょう。僕には何がなんやらさっぱり」
アルスは軽く肩を竦める。男爵は、妹を説得するための材料として、アルスへの不敬を理由にした。それが使えるように、アルスは立ち回った。
彼女にとっては最も分かりやすく、自分の過失を認められることだった。貴族であったことを鼻にかける彼女にとって、身分が上の貴族に無礼を働いたということは予想以上にショックな出来事だったのだろう。
とはいえ、これ以上男爵に罪悪感を植え付けるのも面倒だ。そう思ったアルスは、リリーナに微笑みを向けて問いかける。
「リリーナ。ファッションショーはどうだった? 今後の参考にしたいから、心のままに感想を教えて欲しいな」
そう尋ねれば、リリーナはほっとしたように微笑んで、色々なことを教えてくれた。
とても緊張したこと。でも、周囲にはたくさんの人の目があって、彼女たちは一様に、綺麗なものが大好きだということ。
ドレスの色が変わったとき、観客席がざわめきに変わったのがすごく新鮮だったこと。自分も、観客席から自分のことを見てみたかったこと。スレンとのダンスが楽しかったこと。
人に良く見せるためにはどうすればいいか、自分なりにたくさん考えたこと。経験や知識をもとに、誰かにびっくりして貰えるような、それでいて楽しい気分になれるような演出やアピールを考えるのはとても楽しかったこと。それと同時に難しく、たくさんの人たちと議論になったこと。
「あの、ガラスの靴をスポットライトの下に取り残していく演出は良かったね。リリーナが考えたんだって?」
「はい。私は、好きな物語を参考にしただけですけど。鐘の音が鳴ると、魔法が解けて、楽しい時間は終わってしまって。でも、一緒に舞踏会を楽しんだ王子様とまた会える日を繋いでくれるのが、あのガラスの靴なんです」
「ロマンチストだねぇ。なるほど、あの演出にはそういう意図があったんだね。参考になるよ」
「そんな、それほどでは……。でも、私、ファッションショーが終わったとき、本当に魔法にかけられていたんだなって思ったんです。魔法が解けて、日常に帰りたくなかった。家に帰ったら、また叔母様と従姉たちにいびられるんじゃないかって、そう思ったら悲しかったんです。でも……」
「でも?」
「アルスが一緒に来てくれて、本当に嬉しかった。今日で全部終わらせるんだって、勇気を貰えました。私にとってこのファッションショーは、本当に得るものが多い、二度とない体験だったと思います。アルス、魔法のような時間をくれて、本当にありがとうございました」
リリーナは大きく頭を下げた。それを見て、男爵は満足そうに微笑んでいた。しかし、リリーナの目じりに微かに涙が浮かぶのを見ると、アルスはそっと微笑みを向けて、リリーナを促した。
「こちらこそありがとう。また機会があれば仕事をしよう」
「はい。ぜひ。私でお力になれるか分かりませんが、精いっぱい務めます。アルスとはまた仕事がしてみたいです」
「良かった。……さて。今日は疲れただろうし、早めに休んだ方がいいんじゃないかな」
「ですが……」
「アルス殿は私がお見送りする。ゆっくり風呂に入って、休みなさい」
「……分かりました。あの、アルス、またお店に行ってもいいですか?」
「うん、もちろん。僕は明日からしばらく不在にすると思うけど、好きなだけ遊んでいくといいよ」
「ありがとうございます! それでは本日もお疲れ様でございました! お先に失礼いたします」
妙に手慣れた様子で、リリーナは退勤の挨拶をすると、その場で淑女の礼を取って、部屋を出た。その後ろ姿を見送って、男爵はほっと息を吐き出して、アルスと向きなおった。
「また一つ、娘が大きくなった気がします。嬉しいとともに、何だか寂しいですね」
「そういうものですか?」
「ええ。……本当に、アルス殿には頭が上がりません。……アルス殿。この後、お時間は?」
「特にありませんよ。この後は、帰って寝るだけですので」
でしたら、と男爵は少しだけ会話を求めた。そして、どうやらアルスに内密な話があるようだったので、スレンとフェルナンドは先に帰すことにした。馬車の御者に、雀荘まで送ることを言いつけ、アルスは改めて男爵の正面に腰を下ろした。
男爵は居住まいを正して、そしてもう一度、大きく頭を下げた。
「本当に、娘がいつもお世話になっております」
「やめてください。私が、好きでしていることですので」
「学院の方でも、お世話になっていると聞いております」
その言葉に、アルスは目を丸くした。とはいえ、予想の範囲内ではあった。アルスはゆったりと微笑むと、少しだけ居住まいを正して、広げていた膝を閉じると、その上にそっと手を置いた。
「お調べになったのですね」
「はい。大変申し訳ないとは思いつつも、娘のことは気になってしまいまして」
「当然の反応かと思います。むしろ、安心しました。大切な一人娘に変な男を近づけるわけには、いきませんものね?」
「とんでもない。ただ、国から援助を受けている身ですので、自分にできることは自分でしなければなりません」
「では、改めて男爵にご挨拶を。ACE代表のアルス、改めキングレー伯爵家長女、アルシェスタ・キングレーにございます」
正装のズボンの端をそっと摘まみ上げて、淑女の礼を取る。少しばかり、違和感はあるが、しかしアルシェスタの整った所作は、その違和感を補って余りある気品を湛えていた。シルファス男爵は立ち上がると、同様に紳士の礼を取る。
「キングレー伯爵令嬢にご挨拶申し上げます。いつも娘が学院でお世話になっております」
「ふふ。運命とは数奇なものですね。学院外で彼女に関わる気はございませんでしたが、偶然出会ってしまい。彼女の境遇に、少しばかり同情してしまいまして」
「その慈悲深いお心に、感謝いたします。娘を妹とのいざこざに巻き込みたくはなかったのですが、従姉たちは血がつながらないにもかかわらず、貴族として暮らしているリリーナがどうにも気に入らなかったようで……使用人になるべく庇わせるようにしておりましたが、リリーナが逃げ込める場所を作ってくださったこと、本当に感謝しております」
アルシェスタは優しげな微笑を浮かべる。シルファス男爵に促され、ソファにそっと座りなおすと、整った淑女のマナーを披露して、紅茶を飲む。紳士のフリをしているときも十分に整った所作だったが、淑女として在り方を直したアルシェスタの姿は、それとは比べ物にならないくらいに優雅だったとのちに男爵は語る。
男爵はリリーナに貴族として満足のいく教育を受けさせてやれなかったこと。そのせいで、学院で他家の貴族子女に軽んじられることになって、本当に申し訳なく思っていたこと。アルシェスタがリリーナに幾分かの淑女教育を施してくれたことに、本当に感謝していること。それらを、身振り手振りを添えて伝えられた。
「たいへんお恥ずかしながら、我が男爵家の状況はよくありません。リリーナの代に爵位を残すのは難しいかもしれない、とも」
「ええ。そのようですね」
「しかし、リリーナは今、国から重要な素質を見出され、日々皆に認められるレディとなれるように努力しているのです。淑女教育も、魔術も、家に帰ってからもずっと熱心にしているあの子を見て、このままで良いのか、と」
「と、言いますと?」
「私は今こそ一念発起し、事業に取り組み、男爵家を栄えさせるべきなのでは、と。リリーナの足を引っ張らないように――あの子の実家として、胸を張れるように。今までは、滅びゆく家でも、あの子を大切にしてくれる男の元へ嫁がせて、役目を終えるつもりでした。ですが、もしもリリーナが宮廷魔術師などになったときに、父親が無能なせいであの子の実家は没落したのだと謗られれば、優しいあの子は傷ついてしまう。あの子の経歴にも傷をつけてしまう」
男爵の言うことはもっともだった。今、リリーナはスクルズ子爵から経済的な支援を受けなければ王立学院という社交界に出られないほどに困窮している。このままいけば、彼女が一人前になる頃には実家はなくなっているだろう。
彼女の活躍次第で新たに爵位は得られるかもしれないが、実家が没落する事実は変わらない。その事実が、彼女の足を引っ張る可能性は十分にあり得る。
それを回避するためには、今から事業で挽回し、経済状況の回復を図る必要があるのだ。
アルシェスタはそっとカップを机の上に置き、また少しだけ膝を開いて、少しだけ前のめりになる。
「なるほど。この先は、商人として聞きましょう。私に何か、お手伝いできそうなことはありますか」
「……本当に、ありがとうございます。よろしければ、コンサルタントをご紹介いただけませんか。私には商いを行なう才能がありません。ですが、やると決めたならばしっかりと進めなければなりません。そのために、まずは相談役が欲しいのです」
「理解しました。何名か、起業を目指していて貴族の後ろ盾があれば助かる人物や、相談役として実績がある者、商業法の専門家などに心当たりがあります。履歴書を持って来ますので、気になる人材がいればお繋ぎいたしますよ」
「ありがとうございます。もう二度と、娘の足を引っ張るようなことはしません。あの子の夢を、応援します。血は繋がりませんが、たった一人の大切な家族です」
シルファス男爵は立ち上がり、深々と頭を下げた。アルスは立ち上がって、それに礼で応えると、今日の会合は終了となった。スレンとフェルナンドを送り届け、帰って来た馬車に乗り込んで、アルスは疲れた体にゆっくりと鞭打つ。
(家族、か)
最近無性に家族というものが気になるのはどうしてなのだろうと、アルスは小さく呟いた。




