24. MIYABIなる花
話を受けたマリエッタは、急遽自分の控室に、アザレア工房の面々の中で、手が空いている者たちを招集した。
彼女らはこぞってやってくる。その部屋の隅で、アルスは髪紐を解き、スーツのジャケットを脱いでいた。
「社長……本当に、本当にやっていいんですか……?」
「さっきも言ったよ。腹は括った」
「ごくっ……」
彼女たちは息を呑んだ。視線は、アルスの腰のあたりから徐々に、胸の上あたりまで上がってくる。
まるで、獲物を観察する自然界のハンターのよう。アルスからすれば、皆小さな子兎に過ぎないのだが。
髪を降ろし、ジャケットを脱ぎ、軽く服のボタンを緩めただけで、途端にアルスの体つきは細い腰に支えられた女性の丸みが目立つようになる。
「では、社長……失礼しますっ!」
「失礼します!」
「はい。お手柔らかに」
アザレア工房の面々は、残念ながら、まだ貴族女性のドレスを作るには至れていない。そんな彼女たちが、一番身近に、ドレスを着て貰える可能性があるのが、アルスだったのだ。
マリエッタはその中でも、ひときわアルスの所作に目を奪われていた。しなやかに動かす足取りも、ぶれない上半身とぴんと伸びた背筋も。紳士の所作で隠していても、滲み出ている気品が、遠目に見た貴族令嬢のそれだったのだ。
マリエッタは無意識的に、アルスの美しい所作を脳裏に焼き付けたまま、ドレスをデザインした。その結果、珍しい東方文化のドレスは、アルスが連れて来たモデルのいずれにも物足りなさを覚えてしまった。裾や袖の広がり方は、優美な所作がなければ美しく見えなかった。
リリーナはギリギリ着て貰っても――と思っていたが、やはりアルスと比べれば粗が目立つ。結局、マリエッタは自分の憧れに蓋をして、苦しい表情で、アルスに辞退を申し出た。
アルスが着てくれればもしや、とは思ったが、対外的に男で通している美しい貴族の娘は、苦笑しながら渋った。その時点で、マリエッタは理想を高く持ち過ぎたのだと恥ずかしくなり、殊更にこの渾身のドレスを外に出すことを諦めた。
十数分前、アルスから、飛び入りだけど僕が着ようか、と言われるまでは。
工房の女子たちで化粧筆を忙しなく動かしながら、マリエッタはアルスを観察する。きめ細かい肌はつやつやでとても綺麗だ。かなり気を遣って手入れをしている様子が見て取れる。
瞳は認識阻害の魔術によって、色が変えられているらしいと聞いたことがある。本当はどんな色をしているのか、マリエッタも知らない。
赤い髪は細くて少し傷んでいるが、しかし手入れはきっちりしているのか、触り心地がいい。
こんなに綺麗な女性が、男装をして駆け回っているのが、マリエッタには勿体ないと感じる。
「化粧は念入りにしといて。あんまり僕だって知られたくないから」
貴族令嬢の身支度は、こうやって侍女に取り囲まれ、着替えから化粧まで全て世話をするそうだ。いわば、今はアザレア工房の職員が皆、アルスの侍女代わり。
それを想像した同僚が「ふへっ」と気持ちの悪い笑い声を漏らしたのを聞きながら、マリエッタは腕に力を込めて、艶やかな紫色のアイラインをしっかりと引く。唇には真っ赤なルージュをなぞって、白い肌とのコントラストでかなり色っぽく見える。
男装を解いて、素顔を明らかにしていけばいくほど、アルスは女性にしか思えなかった。
化粧が終わって、ドレスを丁寧に着せていく。変わった様式のドレスは着せるのが大変だが、試作の段階から多くの人手によって着せ替えさせていたので、皆慣れた様子で手際よく済ませていく。
ドレスを着させた後は、髪を結う。ドレスに合わせて作った、造花が付いた簪を使って髪を留める。
ビジネススーツを着ていた、下町の美少年は、ものの十数分のうちに、色香を漂わせる美女へと変貌した。アルスはそっと目を開き、立ち上がり、自分の姿を見て、珍しそうにしていた。
「これはこれは。随分と雰囲気が変わるね」
「とっても……とってもお綺麗です、社長……」
「あは。なんか照れるなぁ。皆とは男性の格好でばかり接していたもの」
アルスは軽く袖を広げて、くるりと回る。その動作でさえ軽やかで手慣れていて、マリエッタは自分のドレスが最高のモデルに着られたことに対して、思わず涙ぐんでいた。
アルスがどのような気まぐれを起こして、ドレスを着てくれる気になったかは分からなかったが、目の前にマリエッタの夢が咲いた。
「社長の出番は……」
「削ったとこにそのまんま。急に辞退になったから、長めに隙間時間を取ってたでしょう? アナウンスで辞退の連絡を伝えて貰う予定だったけど、それを無しにしてぶっつけ本番だね」
「だ、大丈夫ですか? 演出とか、アピールとか」
「全部頭に入ってるよ。全員分ね」
アルスは熱心に現場に足を運び、投資者や見学者の相手や案内をしつつも、リハーサルに常に意識を向けていた。
ファッションショーは、アルスが主軸になっている企画ではないので、実際にファッションショーが始まってしまえば、アルスは見学するだけの予定だった。ゆえにアルスは、演出やアピールを全て頭に入れ、それらが客席からどのように感じられるかをつぶさに観察し、次の機会に活かすために客席に紛れ込む予定だった。
それが、急にモデルとしてステージに出ることになったのだ。デザイナーたちの心配はごもっともだった。
「でも、どうして急に、着てくださる気になったんですか?」
「運命と出会う確率を少しでも上げたくて」
「……?」
「あは。僕が、このドレスが飛びっきり似合いそうな高貴なレディと出会ってしまったから、ちょっと見せてみたくなったんだよ」
マリエッタには、それが何を指し示すのか分からなかった。けれど、やはりアルスの所作はあまりにも美しくて、ドレスの袖や裾が揺れるたびに、目が奪われてしまう。
そして、アザレア工房の面々でアルスを観察しているうちに、ファッションショーが始まる。控室にいた面々は、関係者席へと移動していく。
アルスもまた、いったんそちらに移動した。眼科では、光の海に満たされた荘厳なステージで、司会者が開幕を宣言したところだった。
客席には、埋め尽くさんばかりの人、人、人。夫婦子連れ、若い男女、学生くらいの女性たち、裕福そうなマダムたち、色々な客層が腰かけている。
貴賓席には、自慢のドレスを身にまとった貴婦人たちが微笑みを湛えて腰かけ、ファッションショーの開幕を今か今かと待ち望んでいる。
そして、早速始まった舞台上で、モデルたちが入れ代わり立ち代わり、デザイナーたちの珠玉のドレスをお披露目する。その傍には、見目麗しいエスコート役が控えている。
そういえばエスコート役は、と思っていたが、アルスはエスコート役がいなくとも独り舞台でも踊れるのだろう。マリエッタは視線を、舞台へと戻した。
人の悲鳴のような歓声が聞こえてくる。ドレスはどれも素材もデザインも良い。夜会ではなかなか見られない大胆なデザインから、シンプルかつクラシカルなデザインまで、さまざまなものが出揃っている。
やがて、ショーが進んでいくと、気が付けばアルスはその場にはいなかった。マリエッタは、舞台上で、着飾ったアルスと出会えるのを心待ちにしていた。
アルスが連れて来た、リリーナという少女の反響はすごかった。兎のぬいぐるみを抱きしめて出て来た彼女は、スキップでもするように軽やかに舞台の中央に躍り出ると、ぬいぐるみとくるくると回って、まるでダンスでも踊るかのよう。周囲には、茶器がふわふわと浮遊する。お茶会、ダンスホール、それらが交じり合った不思議な空間。
昼が終わって、夜がやってくると、少女の着ていた明るいドレスは、蠱惑的なドレスへと変貌する。貴婦人たちからざわめきが巻き起こる。
花と炎をまき散らしながら、少女は夜の向こうへと消えていった。光の色で姿を変えたドレスは、あまりにも鮮烈な印象を人々の頭に残した。
その後、出て来たリリーナは、一転して白いドレスを着ていた。しかし、つやつやと光るのは銀にも見えて、スポットライトを浴びると、より一層美しく輝いた。
開いた足元には、ガラスの靴が見えた。リリーナが持ち込んできた、とっておきの靴だ。あまりにも、それ自体が最初からドレスとセットにされていたのではと錯覚するほどの調和があった。
リリーナは、エスコート役のスレンと、華麗にダンスを披露する。まるで、王子と夢見る少女の一夜の幻のように。
しかし、定刻を告げる鐘の音が鳴ると、リリーナは慌てて、舞台から逃げ出していく。美しいガラスの靴が、スポットライトの下できらりと輝いていた。
そんなリリーナの出番が終わり、彼女は姿を現した。先ほど、控室で見た時とは違って、何故か彼女は黒色の髪を靡かせていた。
あまりにも異質なドレスだが、しかし優雅に歩く所作はあまりにも整っていた。衆目は全て、アルスが翻す袖に弄ばれ、半透明の紙で作られた、簡素だが画に工夫が施された扇子の合間から見える艶やかな笑みが、会場を圧倒した。
アルスはお手本のような淑女の礼を披露すると、ステージの中央で、扇子をひらりと振って、緩慢な動作で踊り出す。瞬間、ステージの上にはひらひらと、桃色のサクラの花びらが舞い散り始める。
もちろん、本物ではない。あれは、アルスの幻影魔術だ。
貴婦人たちが、小さな悲鳴を上げる。貴族にとっては、所作の整っているアルスのアピールは格別に思えた。
黒い髪が揺れ、色彩鮮やかな袖がひらりと舞うと、まるで舞台の中央に花が咲いたかのようだった。
「綺麗……私の、ドレスが……貴族の皆さんに、あんなにも喜ばれて……っ」
マリエッタが、涙で視界を覆いながら、呟いた。傍にいた同じ工房の職員が、彼女の震える肩を抱いた。
「何てこと……」
震える声で呟いたのは、特別な部屋で、その様子を見下ろしていたミカルーシェだった。彼女は導かれるようにガラスにそっと触れる。もっと近くで、誰よりも近くで、あれを見たいと熱望するように。
ミカルーシェは、舞台から悠々と立ち去って行ったアルスの後姿を見送ると、エリーゼに視線を向けた。
「秘書の方。レディ・アルスが着替える前に、どうかわたくしの前に彼女を連れてきて」
エリーゼは恭しく礼をして、急ぎ部屋を退室した。ミカルーシェは、余韻に浸るように、ステージを見下ろした。
これはアルスが、若きデザイナーと、前を向きたい王太子妃の夢を繋いだ、その一部始終であった。




