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藍より青く染まりて曰く  作者: ねるこ
第一部 夏休み篇 長期休暇は己と向き合う時間
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23. レディに勇気を

 家から連れ出したリリーナは、やっと息ができたという具合に、深く大きく息を吐き出した。朝から手足を縛られ、あんな埃だらけの空間に閉じ込められていたのだ。呼吸をするのもつらかっただろう。


「保険をかけていて正解だったね……リリーナ、怪我はしてない?」

「は、はい。大丈夫です。すみません、アルス。結局、アルスに迷惑をかけてしまいました。何とか、叔母に捕まらないようにと努力したのですが……」

「まぁ、男爵邸はそんなに大きい訳じゃないし、向こうはリリーナよりも長く住んでたわけだし、地の利は向こうにあったんだよ。仕方ない仕方ない。それに、やっと男爵が覚悟決めてくれたみたいだし」

「覚悟……」


 リリーナは、これから国の中核に関わっていく。彼女の力は、国から望まれたものなのだ。

 貴族社会にも臆さずに飛び込んでいく彼女にとって、家の醜聞は最も無駄なものだ。自分の家で解決できるものを、外に持ち出せば、それは弱みとなる。

 平民に嫁に出た叔母に家に居座られ癇癪を起こされ、正当な男爵の娘であるリリーナが虐げられていることなど、リリーナの衰退を望む貴族にとっては格好の餌でしかない。

 それらを振り払うのは、リリーナはもちろん、養育をしている男爵の義務だ。


「家族って慣れ合うだけが形じゃないでしょ。家族が道理じゃないことをやっているなら、諫めたり罰したりするのだって愛だよ」

「私も……許せません。いきなり押しかけてきて、居座って、お父様を困らせて。確かに、私よりもあの人の方が血の繋がりが濃いのかもしれません。でも、私はお父様の娘なんです。あんな扱いをされる謂れはありません」

「男爵はそれに気づくのに遅れた。だから、二週間もの間、妹や姪に好き放題やらせてしまったんだ。守るのも、甘やかすのも結構だけど、ちゃんと罰するのだって必要なことだから」


 リリーナは小さく頷いた。彼女の中でも、ちゃんと整理する時間が必要だろう。懐中時計を取り出して、時間を確かめる。プリズムホールに着くころには落ち着くだろうか。

 視線を時計からリリーナへ戻すと、フェルナンドが狭い馬車の中で腕を組んで、昔を回想するように目を伏せた。


「うちの親父も、俺が馬鹿なことやったら叱ってくれた。身内だからこそ、厳しく言わなきゃならねぇときは言わなきゃな」

「まぁ、俺みたいに全否定されたら最高にクソっすけどね」

「お前のは特殊すぎんだよ。そういうのは毒親っていうんだ」

「あ、でも親はアレだったけど、使用人はちゃんと接してくれたっすよ。マジあれなかったら俺今頃どうなってたんだろって今の話聞いて思ったっすわ」

「ありがてぇよな。叱ってくれる存在がいるってのはさ」


 叱る――アルスは、親に叱られたことはあるだろうか。否定されたことも理不尽を言われたことも虐げられたこともあるが、アルスのことを想って叱ってくれたのはどれくらいあったのだろう。

 そんなことを考えてみても、アルスには答えが出なかった。


 プリズムホールに着くまで、軽い雑談を挟んで、到着した。ホール前の広場は特に派手に飾り付けられている。看板に描かれたエースくんが、客人を席へと誘う。


「じゃあ、フェーさんはバイト最終日だよね。今朝はありがとう、着いて来てくれて」

「お安い御用っすよ。なんもしてないですし。アニさんの頼みとあらば、いつだってどこへだって駆け付けますんで!」

「ふふ。頼りにしてます。じゃあ、最後の一日、よろしくね」

「うぃっす! 行ってきます!」


 フェルナンドは、最後の着ぐるみバイトのために、スタッフ控室へと向かっていった。リリーナはその後ろ姿を見て、首を傾げた。


「フェルナンドさんは、バイトをしていらっしゃるんですか?」

「うん。ちょっとね、手伝って貰ってるんだ」

「一体どういう……?」

「それはナイショ。聞きたければ本人に聞いてみて」


 着ぐるみの中身は秘密だ。必要な人間だけが知っていればそれで十分だ。リリーナは首を傾げていたが、アルスの口から話すことはなかった。


「さて。じゃあスレン、リリーナのことをよろしく。僕は賓客を迎える準備をしたりとか、段取りの最終確認だとかをやらないといけないから」

「任せてください! じゃあリリーナちゃん、行こっか」

「はい。本日はよろしくお願いします」


 スレンはリリーナを連れて、出演者の控室の方へと向かう。アルスはそれを見送った後、トラブルが発生していないかどうかを確認するために、ホールの中へ小走りで向かっていった。


◆◇◆


 万全を期していても、トラブルというのは往々に発生するものだ。現場は些細なことでもてんてこ舞いで、皆が忙しなく走り回っている。

 とはいえ、想定内のトラブルだ。落ち着いて全て対処ができれば、ショーの開催に影響はない。

 弁当屋から大量の弁当が届いて、これを食べ終われば、そろそろ客を迎えて席へ案内する時間だ。貴族の出迎え用には専用の人を雇った。案外、下位貴族の使用人として働いている者なんかは、日雇いバイトなどで稼いでいる者も多い。


 アルスも例に漏れずに弁当を素早く掻き込むと、身なりを整える。アルスの役割は、パトロンになってくれている夫人たちの出迎えと、とびっきりやんごとない賓客の案内だ。

 貴族の客人たちは裏口から案内をするため、アルスは取り急ぎそちらへ向かった。


 夫人たちを案内していると、エリーゼが呼びにやって来た。


「社長。彼の方がお見えです」

「分かった。エリーゼは僕についてきて」

「かしこまりました」


 アルスはもう一度ネクタイを締めなおすと、素早くエリーゼの案内を受けて、出迎えに向かう。すると、裏口側のしんとした控室に、その人物はいた。

 黒く艶やかな髪は腰近くまで伸び、先が微かに跳ねている。瞳の色素は薄く、灰と茶色の中間のような、少し落ち着いた色合いをしている。目は大きく、体はやや小さい。シークレットブーツを脱いだアルスよりも、さらに一回り小柄だ。

 ぴっちりとしたレディース・スーツを着こなした女性の名は、ミカルーシェ・アール・エルデシアン。

 ラヴァード王国の元姫君にして、この国の王太子妃である。


 アルスは彼女の傍に跪く。すると、ミカルーシェは鈴を転がすようなきれいな声音で、アルスへと声を掛ける。


「どうか顔を上げて、レディ・アルス。装いからも分かるかもしれないけれど、わたくしは本日はお忍びなの」

「はっ。本日はご足労頂き、まことに感謝いたします。エルデシアンの至高なる白金のグロリオサ、ミカルーシェ・アール・エルデシアン王太子妃殿下にご挨拶申し上げます」

「ありがとう。どうか本日はわたくしのことをミカと呼んで」

「かしこまりました」


 王太子妃の愛称を口にするのは畏れ多いが、忍びで来ている人間の本名を高らかに叫ぶわけにもいかない。アルスは立ち上がって敬礼を取ると、彼女の言うとおりにする。


「ごめんなさい、急に行きたいと我儘を言って。びっくりなさったでしょう」

「とんでもございません。ミカ様のお眼鏡に適ったことを、光栄に思います」

「ウルズ大公閣下に背を押されてしまいました。レディ・アルスならばきっとわたくしの夢を叶えてくださると」


 アルスは恭しく手を差し出す。彼女は慣れた手つきでその手に自分の手を乗せ、エスコートに応じた。

 きっとこの先、何があったとしても、二度と王太子妃をエスコートする機会などないだろう。アルスは震えを必死に隠しながら、彼女を特別な客席へと導いた。


 ミカルーシェは、ほんの少し社交が苦手だ。それは、女性貴族の中でまことしやかに囁かれている噂である。

 隣国から、両国の友好の証として王太子に嫁いできた姫君は、極めて珍しい色彩をしていた。黒と灰という、一見すれば地味な色合いではあるが、しかしミカルーシェは先代ラヴァード王が溺愛していた宝玉の姫君だ。その名にふさわしく、小さな体と愛らしい顔立ちは、幼さは見えるものの、すれ違った人の目を惹くほどの魅力がある。

 噂によれば、母方にかの東方の国の血を持つ者がいるとか。それが先祖返りのごとく、容姿の特徴に現れたのだそうだ。


「わたくしはね、唯一無二のドレスが欲しいの」

「唯一無二のドレス、でございますか」

「ええ。わたくし、少し見た目が幼いでしょう? もう数年すれば、もしかしたら年相応のレディに成長できるかもしれないけれど、今の私はレディ・アルスと同年代と言っても誰も疑わないのではなくて?」

「確かに、ミカ様はたいへんおかわいらしくいらっしゃいます。ですが淑女として、疑う余地のない在り方を示していらっしゃるかと存じます」

「お上手ね。でも――わたくしはね、王太子妃として、この国の女性貴族を束ねる者として、絶対的に誇れる、わたくしにしか着られぬドレスで、わたくしの在り方を示したいの」


 ドレスの豪奢さ、物珍しさ、そして洗練されたデザイン。

 それは、社交界における貴族女性の一つのステータスだ。目立ちたい、社交界で力を持ちたい女性は、流行の先端にあるため、自分の特徴的なドレスを作ってくれるデザイナーを抱えていることが多い。

 ミカルーシェは、いつもドレスに悩んでいるそうだ。自分の色彩に合うドレスが、どうしてもしっくりくるものがないからと、まだ見ぬドレスデザイナーを探している。

 であるからこそ、ウルズ大公からこのショーの話を聞いて、観覧に行きたいと申し出があった。


 外からは幕がかかっているように見える、特別な観客席へとミカルーシェを案内すると、彼女はふかふかのソファに座って、眼下を見下ろした。客席にはすでにたくさんの客が入っている。ここからぱっと見る限りでも、残り30分と言ったところで7割ほどは埋まっている。

 まだぞくぞく入ってきていることから、恐らくほとんどの席は埋まるのではないだろうか。ミカルーシェの座る席の反対側には、貴賓席と名付けた、少し高い位置にあるゆったりとした席に、名のある貴族家の夫人たちがすでに腰かけている。


「ねぇ、レディ・アルス。わたくしは、このショーで、わたくしの運命に出会えるかしら」

「私は神ではございませんので、人の運命にとやかく口出しできる立場にはございません。しかし、これより行なわれるは夢のひと時。非日常は、人の心にある秘めた願望を呼び起こすこともございます。もしかしたら、ミカ様にとってあれを着たい、と思われるドレスが出てくる可能性も、あるかもしれません」

「ふふ、正直ね。わたくしがこう問いかければ、多くの人はわたくしの機嫌を取るために、必ずやわたくしの眼鏡に適うものがある、と言い切るのだけれど」

「私がミカ様のすべてを理解しているなど、傲慢な思い込みです。あなたの心は、あなたの感情によってのみ動かされるものです。私にできるのは、その心を開き、非日常から夢を拾い上げる、そんな手伝いをすることでございます」


 口先だけの、上辺だけの言葉を口にする気はない。人の感性は十人十色、色々な服を並べて好きなものを選び取れと命じたとき、全員がまったく同じ服を選ぶ道理はない。

 ならばそれはミカルーシェが選び取るものであって、アルスが押し付けるものではないのだ。


「ありがとう、レディ・アルス。偽らざるあなたの真心を教えてくれて。わたくし、ドキドキしてきたわ。あなたがどんな夢の世界を見せてくださるのか、ここからちゃんと見ているわ。だから、もしもあなたがわたくしに似合うと思うドレスを見つけてくれたら、しっかり、わたくしに分かるようにアピールして頂戴ね」


 アルスは深く頭を下げる。護衛の者、侍女たちが部屋内に無事に配置されたことを見送ると、エリーゼとアイコンタクトを取って、頷き合う。


「それでは、ミカ様。良い夢を。もしも私の耳に入れたいことがあれば、そこのエリーゼに申し付けてください」

「ありがとう。成功を祈っているわ」


 アルスはもう一度丁寧な礼を返して、部屋を辞した。そして、廊下を歩きながら、顎に手を当てて、そのまま早足で、デザイナーたちの控室へと向かう。

 そしてその中の一つのドアを開けて、アルスは叫んだ。


「マリエッタ! ごめん、ちょっと相談があるんだけど……」


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