20. 着ぐるみバイトと先輩に挨拶
ファッションショーまであと3日というところ、アルスは雀荘でフェルナンドに昼食を振舞った後で、指を立て、にこりと微笑みかける。
「フェーさん。3日間の日雇いバイトあるんだけど、やる?」
その言葉に、麻婆豆腐を掻き込んでいたフェルナンドは顔を真っ赤にしてかろうじて飲み込んで、じっとアルスを見上げた。美しいトパーズの瞳が揺れ、期待と羨望に揺れる。
病み上がりのフェルナンドに荒事を任せることはできないが、アルスの仕事は荒事とは表面上は無縁だ。
何故なら、人を楽しませるための事業なのだから。
「たぶんフェーさんがやったことない職種だと思うけど。それなりに過酷な環境での労働だから、報酬は弾むよ」
「マジっすか! アニさん……アニさぁあん……」
「ふふ。今から急遽雇う人探さなくちゃってなってたからどうしようって思ってたんだけど、身長的にもフェーさんにちょうどいいと思うんだよね」
「でかい身長が必要な仕事っすか! 任せてくださいよ。これでもガタイには自信あるんで」
アルスとフェルナンドが並ぶと、アルスはますます子どもにしか見えない。年齢的にも5、6歳は上だろうし、髪の色が同じなので、黙っていれば兄弟に見えなくもない。
大柄なフェルナンドなら、あれもきっちり合うだろう。
瞳の高貴さゆえに表立って仕事を任せられない彼だが、この仕事ならば遠慮なく働ける。
ちょっとイメージとは違うかもだけど、とアルスは舌を出した。
食事を終えたフェルナンドを連れて、アルスはプリズムホールへと向かう。ファッションショーの開催がいよいよ間近に迫り、広場では本気の呼び込みが始まっていた。
そんな呼び込みのネタの一つとして、子ども、女性向けに考案された宣伝方法というのが――。
「……アニさん。あの、何っすかこれ」
「これはね。うちの会社のイメージキャラクターである、エースくんだよ」
二足歩行の、白毛のウサギ。頭に青色のキャップを被り、そのキャップの額の部分に★とAのマークのバッヂが付いている。
オーバーオールはキャップと同じ青色で、いつも微笑んでいるため爽やかな印象のあるキャラクターだ。
ACEの会社説明資料を作っていたときに、何か物足りないと唸っていたら、社員の一人が提案してくれたゆるめのイメージキャラクターだ。
ウサギというのはその跳躍力から、上昇志向の象徴であり――と宣伝されたが、要はたまたま生まれ出でたキャラクターが民間にウケ、今ではロゴの後ろにウサギのシルエットが入っているくらいだ。パンフレットにもいつも顔を出している。
そしてフェルナンドが今身に纏っているのは、そんなエースくんの着ぐるみである。
「夏でも着ぐるみプロモができるように、内側に冷却の魔術式を仕込むことに最近成功してね。炎天下でもそれなりに涼しく着ぐるみを着られるようになったんだよね」
「……着ぐるみ……」
「子どもと女性に大人気のキャラクターでね。だから、エースくんがチラシや風船を配ってたら、色んな人が貰いに来てくれると思うんだよね~」
そんなエースくん着ぐるみだが、最初に雇った人に合わせて大きめに制作したので、今も雇う人間は身長が高いことが大原則になっている。とはいえ、意外と好評なバイトだ。体が大きいせいで子どもたちが怖がってしまうことに嘆いている巨漢たちが、子どもたちに群がられる貴重なシチュエーションを体験できるからだとか。
「な、るほど。つまり、こいつを着て、広場で風船とかチラシとか配るんっすね」
「そういうこと。テストプレイはしたけど、暑すぎたらすぐに日陰に避難していいから。この辺の通り、昼間は親子連れや若い女の子たちが多いから、宣伝効果高まるなって思ってるんだよね。平民の子たちの関心ももう少し集めたいから、急遽導入することになったんだ。頼めるかな、フェーさん」
「やったことないっすけど大丈夫っすかね」
「喋ったり、ため息吐いたりはNGね。あと、子どもたちが意外と強くぶつかってくるから、それを優しく受け止めてあげて欲しい。握手を求められたら応じてあげて。あとは普通に、近づいて来る子どもたちに風船あげて、女の子たちにはチラシをあげて。風船欲しいって言われたらあげてもいいよ」
アルスはそう告げると、近くに置いてあったエースくんの頭をゆっくりと持ち上げて、それをフェルナンドに被せる。サングラスは預かって、着ぐるみの口の位置に目が来るように微調整する。
「見える? これ何本?」
「3本っす。意外と視界狭いっすね」
「そうだね。ちょっと見えにくいかもしれない。足元に気を付けてね。じゃあ、頭が簡単に取れないように紐を結ぶから。っと、これでオッケー。そのかばんの中にチラシが入ってるから。これが風船。風船が無くなったら、補充場所は――」
確認事項を全て済ませると、フェルナンドは着ぐるみ越しに頷いた。彼は意外と、アルスの頼みなら色々な仕事をやってくれるタイプだ。彼にゆっくりと立ち上がって貰うと、あとはスタッフに任せる。
「じゃあ、あとよろしく。フェーさん、頑張って」
「うぃっす! ちゃんと報酬分働いてきます!」
かくして、エースくん着ぐるみはのしのしと歩いて広場の方へと向かっていった。アルスはその後ろ姿を見送って、ふーっと息を吐き出した。
深く呼吸を繰り返した後で、軽く頬を張る。
「……よし」
アルスはプリズムホールの中へと歩いていく。今日まで先延ばしにしていた仕事に、片を付けるために。
暗いホールの中で、今日もリリーナがリハーサルを頑張っている。一着目のドレスが直り、上がって来て、今日のリリーナは白いドレスを身に纏っている。
そんなホールを見下ろせる、特別な部屋へ向かう。当日、歓迎する予定のやんごとない身分の賓客専用の個室だ。
外からは黒い幕がかかっているようにみえるが、中からはガラス張りで、ステージを見下ろすことができる。そんな仕組みの部屋である。
部屋の前で待っていたエリーゼに軽く手を挙げた後で、小さく呼吸をして、中へと入る。
そこにいたのは、サロモン・バーンズ伯爵令息だった。
彼はアルスを見つけると、ほっとしたように息を吐き出して、穏やかに微笑んだ。
「良かった。ここ数日、私は実は後輩に嫌われていたのではないかと、気が気ではなかった」
その言葉を聞いて、アルスは頭を垂れると、口を開いた。
「まさか。私が少し臆病だっただけです」
その言葉を聞いて、サロモンは少々快活な笑い声をあげた。
バーンズ伯爵からこの打診があったとき、アルスはサロモンの状況について考察した。
可能性としては、二つ。一つは、もともと知っていて、伯爵が引き合わせようとしている。もう一つは、このつなぎをきっかけにサロモンはACEを洗い、アルスのところに辿り着く。
彼に知られていないという可能性を考える余地はなかった。彼の仕事は丁寧で、信用が全ての商人の世界で、父が勧めた商会について調査を入れない道理はない。
であるからこそ、彼が商人である限り、この邂逅は避けられなかった。
「私もまだまだ未熟だった。確かにキングレー伯爵は優れた商人だ。だが、その姫君でさえもすでに商人として活動されているとは思わなかった」
「隠れてやっていましたから。設立から事実上一年しか経っていない、ACEという商会に目を留めるのは、国一番の商会にいるあなたにとっては難しいことだったと思います」
「それでも、父は知っていた。業績を挙げていて、バーンズ商会の取引先となりえる商会だったからだ。娯楽とアルコールは切り離せない。私は、娯楽事業にもちゃんと情報網を張るべきだった。勉強になったよ」
バーンズ伯爵の情報網には、アルスも恐れ入った。まさか、国一番の商会の情報網に引っ掛かっていたとは思わなかったのだ。もしかしたら、アルスが仲良くしているパトロンの誰かがぽろっと漏らしたのかもしれないが。バーンズ伯爵も、遊戯が好きそうだったから、どこかの社交場でACEのことを知ったのかもしれない。
「しかし、見事な男装だ。すれ違っても気づけない。事実として、君の秘書殿に聞くまで、三度ほどすれ違ったが気づかなかった」
「お褒めに預かり光栄です。どうしても、夜の街で商売をするとなると、女の姿だと不都合が多くて」
「いや、やっぱり面白いな。人には隠し事が常だが、君の隠し事は格別に面白くて素晴らしい。わくわくする。君にとっては、不本意だったかもしれないが」
「この先バーンズ商会と付き合っていくなら、避けて通れぬ道だと理解しておりましたので。そして、私の野望を叶えるためには、バーンズ商会との取引は必須。多少の恥は、受け入れてみせましょう」
一つも曇りなく、アルスの本心だった。恥じらいという感情は多少はあるし、であるからこそ臆病さは生まれた。しかし、アルスには、サロモンはこれくらいでアルスに偏見を持たないという信用があった。
彼は公平で、平等で、価値観が広い。女性が男装をして商売をしているなんて、商人の世界ではよくあることだ。彼はそれを理解し、アルスの事情を瞬時に汲み取った。
彼は商人としても、学院生としても、アルスにとっては先輩なのだ。
「早めに知れて良かった。繋いでくれた父上に感謝をしないとな。君と取引をするのは、同年代である私の仕事になるだろうから」
「私もです。あなたにまで他人のフリをするのは疲れる。受け入れてくださって感謝します」
「と、いうことは、もしやリリーナ嬢には……」
「明確に他人だと誤魔化したことはないのですが、あれはたぶん気づいてませんね。まぁ、指摘されたら正直に話そうと思います。それまではいったん保留で」
「そうか。なら、私も余計なことは言わずにおこう。君にも心の準備というものがあるだろう」
「まさしく。今日まであなたのところに来られなかったのと、同じ理由です」
サロモンは豪快に笑う。どうやら、顔合わせは上手くいったらしい。アルスはほっと胸を撫でおろした。
バーンズ商会の次期中心人物としっかりと縁を繋げたことは、生徒会で苦労をした結果に見合うものだ。ひとまずは、面倒だった生徒会に入った利益の一つを確保できたアルスは、報われたような思いを抱いた。
その後、アルスは彼を連れて、プロモーションについて、彼と情報や意見の交換を行なった。サロモンは興味深く色々なものに耳を傾けてくれていた。そして、広場で頑張って風船を配るエースくんを見て、サロモンは興味津々だった。エースくんと握手をするサロモンを見て、今度着ぐるみの中に入る経験をして貰っても、良いかもしれないと思った。




