19. 月の女神とスポットライト
腹いっぱいになってほくほくとした顔で、フェルナンドは帰っていった。
あの調子だと、数日はご飯を集られそうなので、何か彼に見返りに頼める労働を探しておこうと決めて、アルスはスレンとリリーナを連れ、プリズムホールへ移動する。
ファッションショーの会場となるプリズムホールは、年に一度の音楽祭が行なわれる由緒正しき場所であり、キングレー伯爵領のソル・ソレイユ劇場ほどではないが、公共施設の中で、収容可能人数は国で上から二番目に多い。
ただし、用途はどちらかといえば民間向けだ。王家が行なう国のための興行は、多くが貴族向けのものである。各季節の祭典等がそれにあたる。
ゆえに、このプリズムホールでは大小さまざまな催しが、民間の多様な発想によって不定期的に開催されている。
今は、数日後に迫ったファッションショーの広告やポスターで、ホールの外部・内部が装飾されている。
「とりあえず、段取りを確認しておこう。まず、リリーナの衣装は、恐らく直るのがギリギリになるだろうから、流れと動きを確認するのと、それとアピールや演出の企画だね」
「はい。着ているドレスに合わせて、魔術や動きで、ドレスが映えるように動くんですよね」
「うん。一応、前のモデルが考案してくれた演出をそのまま使う予定なんだけど、もしも修正が利く範囲でリリーナの意見があれば是非とも聞かせてほしいかな。主役はドレスだけど、それは着る人の力があって初めて良さが分かるものだから」
魔術を使って、演出を派手にしよう。
アルスがミランの企画書に目を通して、一番目に提案したことである。服飾のショーというのはあまり前例がなく、ミランの発想力に感嘆したアルスは、せっかくだからと色々と口を出すことにした。ミランがそれを望んでいたからだ。
服飾の業界から企画業に挑戦したいという意思を持ってACEの門を叩いた彼女らしい企画だ。それらが噛み合い、奇跡的な出会いをいくつも経て、形となった。
アルスはミランを領地へ送り込み、ソル・ソレイユ劇場で一番人気の劇団の公演を見せた。そのとき、視界を覆った華々しい魔術の演出に、ミランはすっかりと虜になったのだ。
「分かりました。えっと……私も、そういうの好きなので、何か思いつくことがあったら言うようにします」
「そう。それは良かった。リリーナに着て貰うドレスは、予定では三着。仕上がらなかったり、演出上の都合があったりすると少し減るかも。ドレスは見せて貰った?」
「はい。えっと、確か一着目は……メルヘンクロックドレス、ですよね」
リリーナが着る予定のドレスは、全てアザレア工房の作品。そして、何の縁か、あの日アルスが良いと目を付けた三つのドレスである。
メルヘンクロックドレスと名付けられたそれは、アルスが幻影の魔術を込めたものだ。水色・城を基調とした、フリルをふんだんに使ったひらひらとしたドレスで、時計を模した飾りや意匠が至る所に盛り込まれている。
「初めて見たとき、びっくりしました。当てる光の種類で、色が変わるだなんて」
「ね。あのデザインの相談をされたとき、本当にびっくりしたよ。幻影魔術を使って、二つの顔を持つドレスを作りたい……あれはドレスデザイナーの発想って言うよりは劇団の衣装とか小道具とかを作る演出家の発想に近いけど、彼女はそれを見事に形にしてみせた。すごいよ」
クロックの名に相応しいドレスは、白い光を当てると元の水色・白色のドレスに。しかし、青い光を当てると、黒色・赤色のドレスになるというものだ。
朝昼と夜で色が変わる、それこそがドレスの名の由来である。
「次は確か、シルク・シンデレラですよね。あのドレス、本当にかわいい……!」
「あれいいよね。僕ね、あのデザインには無限にアレンジの可能性があると思うんだ。一見すると真っ白なドレスって婚姻を思わせて、パーティでは避ける傾向があるんだけど、シャンデリアの光が当たると銀色になるし」
「そうなんです。それに、腰の位置についているリボンの色を変えるだけでもぐっと印象が変わりますし、素材を変えたとしてもあのデザインならどんなドレスにもなれそうで」
「まさに、なりたい自分になれるデザインだよね。色、生地、飾り、モチーフ……そういうのを全部、自分好みに特注したとしても、きっとどんなレディにも似合う素敵なドレスだ」
汎用性があるということは、それだけ個性が出るということでもある。多くの選択肢があるものは、同じものを多様な人の前で並べたとしても、同じものが出来上がるとは限らない。
あのドレスには、カタログの一ページ目に載せられる求心力がある。アルスはそう確信している。
「最後は確か……」
「MIYABIなドレスだね。遥か東の島国にあるという、KIMONOという服を参考にしたと言っていたけれど」
「……この国では、斬新なデザインですよね」
「毛色が全然違うね。ほかのドレスと比べても、頭一つ抜けてる」
MIYABIなドレスは、色彩と模様が鮮やかな布を、何枚にも重ねて塗ってある、少し風変わりなドレスだ。
袖が幾重にも重ねられた布によって膨らみ、垂れさがった袖の中を覗けば、虹色に並ぶ布にそれぞれ花の模様が刺繍されている。ドレス自体もパーツが分かれていて、それを重ね着るので裾も独特な形をしている。
アルスの直感だが、確かにこのドレスは独創的すぎて上流階級に受け入れられ難いものの、花を重んじるこの国では、長い目を見て気に入られるデザインではないかと思っている。
この国に生えているサクラといった花も、確か元を辿れば東の島国のものだったと聞いたことがある。実は随所に、その見たこともない国の文化が根付いているのかもしれない。
「ただ、MIYABIなドレスは難しいかもしれない」
「え? ど、どうしてですか……?」
「実はね、ドレスを作ったデザイナーが、理想のモデルが見つからないって言ってたんだ。前のモデルのときも渋い顔をしていて、実は辞退の相談を受けてた」
「そんな……」
「まぁ、彼女らにもそれぞれ信念や意地があるからね。仕方ない。服に着られてるだけのモデルなら、トルソーの方がいい仕事をするだろうから」
そんな話をしているうちに、馬車はプリズムホールへ到着する。スレンのエスコートでリリーナが降りた後、アルスは御者に馬車を任せて、彼女たちと共にホールへと入った。
――と、そこへ。
「にゃぁ」
「みゃぁ」
「んみゃぉ」
「うわ」
「ね、猫!?」
突如として、たくさんの猫たちが駆けて来た。アルスは思わずそのうちの二匹を素早く抱き上げる。リリーナも咄嗟に一匹抱き上げ、スレンもそれに倣う。しかし、捕まえきれなかった一匹が足元をすり抜けて、部屋の外へと飛び出して行ってしまった。
「す、すみません~!」
こちらへ駆けてくるのは、モデルの一人だ。黒を基調としたドレスを身にまとった彼女は、猫を一匹肩に抱きかかえながら、泣きそうな顔をしていた。
どうやら、演出を共にする猫を逃がしてしまったようだ。そういえば、大胆なアピールを提案した参加者がいたという連絡を受けた気がする。
てんやわんやしながら手分けをして、何とか逃げ出した猫を捕まえたアルスたちは、ほうほうのていで客席へと移動する。まずはモデル数人のリハーサルを見て、リリーナにしっかりとイメージを持ってもらう方針である。
「あら? あれは……」
「……ああ。彼はバーンズ商会の御曹司だよ」
リリーナの視線の先にいたのは、しっかりとスーツを着込んだサロモンだ。アルスは三つ編みを指先で払った後で、流れるような動きで眼鏡を掛ける。
バーンズ伯爵から申し入れがあったのは、接待の日の帰る直前だった。息子であり弟子でもあるサロモンに販促関連の課題を与え、夏期休暇中に結果を出してみろと言ったのだが、どうやら色々と思い悩んでいるようだと。
そんなときにこのファッションショーの話を聞いたのだ。前代未聞の催しであるにも関わらず、今平民街はその話題で沸騰しているのだとか。これもプロモーションに力を入れたお陰ではあるが、そのノウハウを是非とも現場で学ばせたいと、そう打診を受けた。
結果として、良い取引の口を用意するという甘言に心を揺さぶられ、アルスは保身よりも利益を取った。サロモンのファッションショー見学を受け入れ、こうして彼は客席からファッションショーのことを観察しているのだ。
「そう、だったんですね。サロモン様が、いらしてるんですね」
「……ああ。面識あるんだ?」
「え? ええ、そうですね。少し、親切にしていただいたことがあったので」
(サロモン様、ねぇ。思ったより親密そうだ。まぁ、僕が知らないとこでも色々人づきあいがあるのは当たり前なんだけど)
名前で呼ぶということは、少なくとも友人であることは疑いようもない。
サロモンはインパクトのある巨体に反して気配り上手で細かい作業が得意だ。基本的に穏やかな性格で、動物に好かれているようで、しばしば学院で飼っているウサギと戯れている姿が散見されている。
そんな彼は、噂に踊らされてリリーナを詰るようなことはないだろう。商人という立ち位置がそうさせるのか、彼の平民への振る舞いはアルスのそれに近い。
「挨拶するなら、してきてもいいよ」
「……では、せっかくですから、少しだけ」
「うん。あと十分くらいでリハが始まるから、それまでには戻っておいでね」
「分かりました」
リリーナは丁寧に一礼をして、その場を辞した。隣でプリズムホールの広さにテンションが上がりまくっているスレンに声を掛けて大人しくさせると、アルスはリハの開始を待った。視界の端では、リリーナとサロモンが楽しげに話している。
やがてリリーナが戻ってきたころ、リハーサルが開始された。今日は演出も含めて確認をするらしく、ライトが落とされ、舞台の上にスポットライトが灯る。
「うわ凄いっすね。あんなに目立つんだ」
「そうだね。スポットライトは主役を示す道しるべ。照明が落ちた世界で、あの光を浴びた者が、皆の視線を集めるんだ」
「リリーナ嬢はあれを浴びるってことっすね」
「うっ。……き、緊張するけど、頑張ります……」
スレンとリリーナが楽しげに騒ぐのを見やりながら、アルスは丁寧に演出のチェックを行なう。止めるべき演出は相談をしなければならない。
リリーナが小さく「あっ」と声をあげたので、アルスはメモ帳から目を離して顔を上げる。階下からは「にゃぁ」という猫の声がたくさん聞こえた。
スポットライトが灯ると、そこには黒いドレスを身にまとった、美しい女性の姿があった。一匹の猫を肩に抱きかかえ、足元にたくさんの猫が座っている。
「あれは……」
「月の女神ルナティレーズをイメージしたドレスだね」
「月の女神さまの?」
「そう。月の女神ルナティレーズは、猫のような眷属を持つ、黒い衣纏う美しい女性の姿で描かれる。たいそうな猫好きで、この国に生きてる猫は全部、ルナティレーズの寵愛を受けてるって言われてるよ」
この国で崇められている二つの神、太陽神ソル・デューと月の女神ルナティレーズ。
男性の勇ましさがソル・デューにたとえられるならば、女性の美貌はルナティレーズにたとえられる。今までに多くのデザイナーが、ルナティレーズをイメージしたドレスに挑戦してきた。
あのモデルが着ているドレスも、その一つだ。しかし、実際の猫を使ってルナティレーズを想起させる演出を計画するとは、恐れ入る。アルスはそう思っていた。
「確か、神話にはルナティレーズの眷属たちは月を通して人間の夢に飛び込み、その人間を襲う不幸を後ろ脚で踏みつぶすって言われてるね。だから、大きな猫に踏みつぶされる夢を見たら、女神の加護を得たってことらしい」
「この国では猫って神聖な生き物っすよね。捨てたらガチで村八分って聞きましたけど」
「……そうですね」
リリーナは恐らく、猫を嫌う叔母のことを考えているのだろう。よくよく考えれば、彼女もたいがい罰当たりである。貴族社会で生きていなくてよかったな、と切に思う。
「あーあーあー。猫ちゃんたちが逃げちゃったよ。あれ、成立するのかなぁ」
「気まぐれな猫ちゃんにまっすぐ歩いて貰うって難しいですよね。客席に入ったら大変だし……」
「これはさすがに演出変更かな。100回に1回成功する演出は許容できない」
アルスは軽く立ち上がり、手すりを蹴ってそのままホールへと落ちていった。リリーナは慌てて下を見下ろすが、アルスは身体強化魔術であっさりと着地をすると、逃げた猫の一匹を抱き上げた。
するとどういうことか、猫たちはあっさりとアルスへと集まっていく。足元でにゃぁにゃぁ鳴く猫たちを、アルスは見下ろして微笑みかける。
「うちの社長、月の女神様みたいっすね」
「そうですね……アルスは猫に好かれるんでしょうか?」
結局、その後の話し合いで実物の猫を使うのは止めようということになり――アルスは幻影魔術を使ってうまいことできないかと気を回し始めたのである。




