18. 訳あり探偵の素性
厨房に入って包丁を握れば、従業員が出入りして調理を手伝ってくれた。
平民に向かって自立の計画を立てるアルスにとっては、料理もそれほど難しいことではなかったが、それでも日常的に料理を嗜んでいる者に比べれば質が落ちる。
宿場の女将の包丁捌きに憧れるアルスとしては、厨房は学びの宝庫だった。
「はい。炒飯と麻婆豆腐、お待ち」
「んっまそ……いただきます!」
フェルナンドは、待ってましたと言わんばかりに合掌してから、スプーンを引っ掴んでがつがつと胃袋の中へと食事を掻き入れていく。
よほど腹が空いていたのだろう。その勢いに驚きつつ、アルスはリリーナとスレンの正面にもそれぞれ同じものを置いた。
「リリーナとスレンも。賄」
「あ、ありがとうございますっ。いただきます……!」
「あざっす~。いただきます!」
現男爵息女と、元子爵子息は、並んでお行儀よく食べ始める。しかしながら、この辺りではめったに見ない異国の料理は珍しいからか、二人の食事ペースもかなり早い。
予想以上に、料理でも客が取れる可能性に思い至ったアルスは、食事メニュー周りのデザインを再考した方がいいと、オープン直前になって杞憂する。
「フェーさん、最近あまり顔を見せなかったから仕事が順調なんだと思ってたんだけど……またなんかあったの?」
「いやぁ……それが、仕事中に連中とドンパチやりまして。そいつらはボコボコにしたんすけど、派手な怪我をしちまいまして。医者にかかったり療養したりで、貯金が底をついちまって……」
「また危ないことしてる……はぁ。まぁ、下町の私立探偵なんて、猫探しや浮気調査以外の依頼は、そういう荒事にもなってくるか」
「面目ねぇです。あまりアニさんの手を煩わせないようにと思ってたんですが、空腹に逆らえず……」
元マフィアという出自、そして貧困層出身のフェルナンドにとっては、毎日が死に物狂いだ。彼は犯罪からは足を洗っているが、それでもまともに生きていけるほど、安定した生活は送れていない。
アルスにとっても、フェルナンドにとっても、お互いが命の恩人という関係性だ。アルスは、腹を空かせたフェルナンドを見捨てる気にはならなかった。
彼が自分なりに自立しようともがいているのも見ているからだ。数節に一度、食事を集りに来るくらいで邪険にしたりはしない。
「フェーくん腹ペコだねぇ。よしよし、いっぱい食べるんだよ〜」
「テメェ、舐めた口利いてんじゃねぇぞ。アニさん、何なんっすかこの軽薄適当男は」
「うちで新しく開いた女性向け接待店の看板接待員。こんなだけど、夜になると色んなご婦人から手を引っ張られて取り合われる一流の接客員だよ」
スレンの話は、トムを通して聞いている。研修も必要ないほどの教養とマナーを持ち合わせ、元貴族ということもあってか接待を受けた婦人の評判も良い。もうすでに看板の一人として頭角を現し、滑り出しの店を存分に支えている。
彼の参入によって、人手不足問題もある程度解消できたようだ。
「アニさんに迷惑かけんじゃねぇぞ、新入り」
「ほんと社長には頭上がんねえんすよね。俺としても社長に拾って貰わなきゃ、今頃ホームレスまっしぐらだったと思うんで」
「……いかにも育ちが良さそうだってのに、ホームレス?」
「うん。うち貴族だったんだけど、バカ兄貴がやらかして没落したんすよね。んで、俺はそんな家を出奔して路頭に迷いかけてたら、クラスメイトに拾われてさ」
おや、とアルスはメニュー表の図案を起こすのを止めて、顔を上げる。フェルナンドとスレンは意外と話が合うのか、身の上話をし始めると、フェルナンドのスレンを見る目が少しずつ変わっていった。
言っては何だが、スレンの身の上はかなり壮絶だ。虐待、養育放棄を平気でする両親に、国家反逆罪を犯した兄。そんな家庭で育った彼は、抑圧されたものが大きすぎたのか、今はかなり適当で奔放だ。
「んだよそれ。ふざけてんな」
「でしょー!? アホ兄貴もクソ両親もクソ食らえって感じっすね」
「お前も案外苦労してんだな。そんな感じしないけど」
「いやだって今が楽しくて仕方ないんだもん! 家族から解放されて、優しい上司とか同僚に恵まれて、自分で稼いで自分で生活する……それがこんなに楽しいことだなんて思わなかったんだよね」
「分かるぜ、その気持ち」
気が付けばスレンとフェルナンドは肩を組んで笑い合えるくらい、互いの境遇に同情しているように思えた。さすがにフェルナンドは元マフィアだということまでは話さなかったが、ざっくりと自分の身の上を話すくらいの返しをした。
彼は捨てられた子だ。下町に捨てられたのをマフィアのボスに拾われ、彼の下で育てられた。
彼にとって親とはボスであり、家族とはマフィアのファミリーの皆だった。しかし、彼はある日突然、ボスから破門された。
フェルナンドは、目を擦るのに邪魔だと思ったのか、サングラスを外した。すると、隠されていた瞳が露になる。
黄金色の瞳は純度が高く、美しい。強気に吊り上がった瞳は猫の目のような印象もあるが、どちらかと言えば気高い獅子の方が近い。
何故ならば、その瞳は、不思議な光の反射をする、この上なく美しいものだからだ。比喩するならば、ゴールデントパーズ。
高貴な血筋の証である、宝石の瞳を、彼は持っているのだ。
スレンは気づいたのか、一瞬だけ目を丸くするが、言葉を飲み込んだ。
そう、フェルナンドの出自を語るうえで、最も厄介なのがこの瞳である。
マフィアのボスも、彼の瞳が特別なものであると気づいていた。フェルナンドが、何かしらの理由で捨てられた、どこぞの高貴な御仁の落胤であるということは、何となく察しがついたのである。
情を移していたマフィアのボスは、もしもフェルナンドがこの先、高貴な家に戻るようになったときに、下手な瑕疵にならないようにと、マフィアの印を彼に刻む前に、フェルナンドをファミリーから追放することにしたのだ。
――というのが、ウルズ大公の見解である。実際には分からない。さすがに、マフィアの知り合いはアルスにはいなかった。
とはいえ、家族も同然だったファミリーを追放されたフェルナンドはしばらく荒れていたし、一時期は下町で片っ端から喧嘩を吹っ掛けていた。
ちょうどアルスが下町で生活を始めて三節ほど経った頃、クラブの前で空腹で倒れていた彼を助けたことがきっかけで、彼と交流を持つようになったのである。
一宿一飯のお礼に、という彼を用心棒代わりとして少しだけ扱ったり、興信所の職員のように扱って簡単な足を使った調査を頼むうち、彼もこれを生業にして自立すべきだと思ったのか、今は私立探偵という職に落ち着いている。
彼の元にはマフィア関連の厄介ごともほどほどに持ち込まれるため、彼の体にはいつも生傷が絶えない。
そんな彼が安心をして、食事を摂れる場所が、アルスの店であるそうだ。
気が付けば、リリーナも今は男爵家の娘だが、孤児であることを話していた。ここにいる三人は、それぞれが少し複雑な出自をしている。
それを互いの傷と認識したのか、店の外で初めて顔を合わせたときのような険悪なムードはなくなった。アルスはほっとした。傷を持つ者同士は、下手に他人の傷に触れて傷つけることを厭うのだろう。
小綺麗なスレンとリリーナに噛みついたフェルナンドの態度は、下町では普通と言えば普通だった。
しかし、相手の話に耳を傾け、自分の話を聞いて貰えれば、こうして分かり合えるのだ。
「貴族の子ってのも、割と大変なんだな……俺は貴族様ってのは、もっとぬくぬくとお気楽に育ってるとばかり思ってたぜ」
「いやぁ、うちが特殊なだけだと思うけどね。リリーナちゃんは孤児院スタートだけど、今は男爵に大切にして貰ってるんだもんね」
「はい。父には、本当に良くしていただいています。血は繋がらなくとも、父娘であることは疑ったことがありません」
「血が繋がってなくても家族、か。その通りだな。家族に必要なのは、血の繋がりでもなんでもない」
それぞれの過去にそれぞれの事情があり、それは決して幼い子どもが願っても変えられないものだ。
しかし、今はそれぞれ自立を目指して、彼らは前に進んでいる。
そういう人間を見るとつい後押しをしたくなるのが、アルスの性だった。きっとアルスがフェルナンドやスレンやリリーナを応援したいと願っているのは、過去に負けず、今の自分の在り方を追い求め続けようともがいている姿が、もどかしくも好ましいからだ。
やがて、彼らが食事を終えた頃を見計らって、アルスは立ち上がると、声を掛けた。
「フェーさん、お腹膨れた?」
「はい! ほんと美味かったです。食ったことのない不思議な味でしたが、満腹感が強くてすげぇありがたいっす」
「そう。良かった。口に合ったようで」
「このご恩は必ず返します! なんか力になれることがあったら言ってください」
「じゃあ、今度付き合ってよ」
フェルナンドは目を瞬かせた後、鍛え上げられた上腕二頭筋の辺りを軽く叩いて、まばゆい笑顔を浮かべた。
「お。全然いいっすよ。交渉ですか?」
「まぁ、交渉っちゃ交渉だね。言葉が通じないタイプの相手とね」
「うわぁ……面倒な客抱えちまったんっすね? 腕組んで後ろに立ってるだけでいいなら全然力になれると思います」
「ありがと。それで十分だよ」
働かざる者食うべからず。フェルナンドはそのあたりをよく心得ていた。
食事の恩義は必ず体で働いて返せ、というのが彼の父の教育だ。必ずアルスの力になるのだと息巻きながら、フェルナンドは幸福な満腹感に支配されていた。




