17. ホストと探偵
リリーナを迎えに行くはずが、急な商談が入ったので、アルスはスレンにその役割を任せて取引先へ向かった。
スレンはどうやら、トムを後見人として実家とは完全に縁を切って平民として自立したようだ。社員のために押さえてある賃貸の一室を借りて、平民としての生活を開始した。
とはいえ、元貴族子息のスレンには、平民としての暮らし方がまるで分からない。しばらくは、トムの家に通って、奥さんに家事を習う方針だそうだ。その見返りとして、遊び盛りの子どもたちと遊んでやっているらしい。夜から深夜の出勤であるスレンは、昼に起きてトムの家へ行き、奥さんの家事を手伝って子どもと遊んで、ホストクラブで働いて寝るという生活をしている。
「楽しそうに暮らしているようで何より」
「本当に。僕も早く、今の生活に馴染みたいです。労働って大変ですね」
「あは。弱音吐いてる場合じゃないよ。夏休みが終わったら、君だって学生と労働者の二足の草鞋をするんでしょ?」
ヴィンスの口ぶりからして、夏期休暇の間は体験入社だが、そのままこの商会で働く気満々という様子が見える。
この二節でヴィンスの能力を確認し、秋晴の節に入ったあたりで、ヴィンスに任せるポストを決定する予定だ。
しかしヴィンスはきょとんとしたように目を瞬かせた後、首を傾げた。
「……僕はもう、王立学院には通えませんよ? 今の実家の状況で、王立学院の交際費は払えないので……」
「え。ああ、そうか……んー、でも王立学院の卒業経歴って大切だよ。特に、取引先に侮られないためにはね」
「そう、か。ビジネスの現場でも、重要なんですね。社交界のみならず」
「うん。だから、この二節でうちの即戦力になってくれるって認められれば、僕がパトロンになってあげるよ」
「社長が、パトロンに?」
目からうろこと言った様子で、ヴィンスはアルスの言葉を復唱する。
これは前々から考えていたことでもあった。王立学院に通うための資金援助という名目ならば、グラッセ子爵家に支援を行なうことができる。
パトロンというのは、本来こうあるべきものだ。優秀な者に学びの場を与え、不自由なく学業に打ち込めるように支援する。
学年で3位以内の位置に常にあるヴィンスには、支援をする価値が十分にある。
「金だけは余ってるんだ。事業のために貯め込んじゃってるから、優秀な若者のために使わないとね」
「人生で、一度は言ってみたい台詞ですね……でも、よろしいのですか? 僕にそこまで施しをいただいて」
「そこまでやれば、人が善い君は僕を裏切れないでしょ。腹心って言うのはこうやって育成するんだって思ってたんだけど、見当違いかな?」
同学年で、自分と追い越し追い越せをやり合っている優秀な生徒。しかも野心は程々で、娯楽への思想もアルスに近い。かわいい顔をしているが、言いたいことははっきりと言える性格だ。
側近として、これほど頼もしい人材はいない。今その役割を果たしているのはエリーゼだが、彼女は野心があるので、そのうち独立をしたがるのではないかと予想している。
つまりは、アルスはヴィンスを側近として育てるつもりで、今「その器があると思ってたんだけど?」とヴィンスを煽っているのだ。ヴィンスはそんな言葉の裏をうまく読み取ったのか、少しだけ考え込んだ後で、こくりと頷いた。
「ありがとうございます。このご恩は、支援以上の金額を稼げるようになって、必ずお返ししますね」
「お金じゃなくて、もっと楽しいものか、それ以上に価値あるアイデアがいいなぁ。今は、僕にとってはそっちの方が価値があるからさ」
「分かりました。必ずや、期待に応えてみせます」
「うん。そのためにはまず、きっちりとこの夏期休暇中に、動けるところを見せて貰うよ」
商談から帰り、プリズムホールの前で一足先にヴィンスを下ろすと、アルスは急ぎ雀荘へ向かう。時間的に中途半端になってしまったが、今から行けばちょうど合流が出来そうだ。
スレンも見た目と言動はチャラいがしっかりしているので、恐らく問題はないとは思うが――。
馬車から降りて、御者に駐車場に回すように指示をすると、道を歩いて行った。そしてそれに遭遇した。
道端に倒れる、ガラの悪そうな男たち。
内股気味に、リリーナの前で彼女を背に庇うようにして、がくがくと足を震わせているヘタレホスト。
青い顔をして、ぷるぷるとスレンの後ろで震えるリリーナ。
地に足つかない状態で襟を締め上げられて、宙に浮かされているチンピラ。
そして、そのチンピラを持ち上げているのは、燃え上がるような赤い髪を耳の下あたりでざっくばらんに切りそろえた、黒いサングラスを掛けている男だ。
ガタイが良く、肩幅は広く胸板も厚い。背は2mを超える大柄な男で、巨漢と表現されるサロモンよりも一回り筋肉質で頼もしさがある。
焼けた肌は、普段から陽の下で仕事をする者の色をしている。
そんな彼は、この下町ではそれなりに名の知れた私立探偵だ。
「テメェ……」
「ひっ」
「ここはアニさんの大事な店の前だ。テメェらみたいなのがうようよして、店の評判が下がったらどうすんだ!」
「ひいいいいいっ」
空気をびりびりと震わせる大声で恫喝されれば、いかにチンピラであろうとも情けない悲鳴を漏らすしかない。
足をばたつかせても、高い身長の男に腕いっぱいに襟を掴まれては身動きを取れるわけがない。
「まだオープン前だ! 悪評が立って店に迷惑かかったら、テメェ、責任取れんのか! あぁ!?」
「し、しら、しらな」
「ぶっとばすぞテメェ!」
「ひぃいいいいいいっ! ごめんなさいぃいいいいいい!」
チンピラの男は泡を吹いて失神し、ぐったりと手足をぶら下げた。ガタイのいい男はそれを見ると舌打ちを落として、チンピラの男をまるでゴミのように投げ捨てた。
アルスはそれを見て、小さく息を吐き出すと、大通りに引き返した。通行人を捉まえ、チンピラの回収のために第二騎士団を呼んできてほしいと告げて、先ほどの現場に戻った。
ヘタレホストは足を震わせながらも、リリーナを巻き込むまいと精いっぱい突っ張っている。しかし、探偵の男の方は、二人にはまるで興味を示していない。
まったく、と思いながら、アルスは彼に声を掛けた。
「フェーさん」
「あ! アニさんじゃないっすか! お疲れ様です!」
「これは何の騒ぎだろう?」
探偵の男――フェルナンドは、アルスを見つけると、先ほどまでの「カタギではない男」感あふれるオーラをなかったことのように消して、アルスの方へと歩み寄ってきて、尻尾を振る。
彼の名前はフェルナンド。元・マフィアの現・私立探偵で、アルスの個人的な食客である。
「ああ。そこの女の子とチャラい奴がチンピラに絡まれてたんで。アニさんの新しい店の様子を見に行こうとしてたんっすけど、邪魔だったんで蹴散らしました」
「……なるほど。スレン、リリーナ。怪我はない?」
「しゃ、社長……怖かったっすマジで。死んだかと思いました」
「大袈裟。リリーナは?」
「私は大丈夫です。レンさんと、そちらの方が助けてくださったので……」
リリーナに視線を向けられると、フェルナンドは狂犬よろしくふん、と鼻を鳴らして、腕を組んだ。
「別に、そいつらが邪魔だっただけだ」
「はぁ……フェーさん、彼女らを助けてくれたことには感謝するけど、店の前で暴力沙汰は程々にね」
「あっ。すみません、つい……」
リリーナやスレンには辛辣なフェルナンドは、しかしアルスにだけは柔らかな雰囲気と確かな尊敬が感じ取れる態度をとる。
普段は一匹狼のような近づきがたさと扱いづらさが同居するような男だが、気に入った人物や恩義のある人物には腹を見せて喜ぶ犬のよう。
それこそが狂犬・フェルナンドの印象だ。
そういえば、なぜ自分の店に、と思っていると、フェルナンドの腹が陽気な音を立てて唸った。
それを見て、スレンは目をぱちぱちと瞬かせると、腹を抱えて笑い出した。するとフェルナンドは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「テメェ、何がおかしいっ!」
「いやだって、さっきまであんなだったのに、お腹鳴るって……は~ウケる!」
「死にたいらしいな」
「俺みたいなへっぴり腰殴れないっしょ。分かってるってフェーくんのことは。俺ホストだから何でも分かっちゃう!」
「あぁ!?」
フェルナンドはスレンの襟首を持ち上げてガンを飛ばすが、スレンはまるで相手にしていない。
この短い時間でフェルナンドの本質の一端を垣間見たのか、彼にとってフェルナンドは害ではない存在だと判断したようだ。
アルスはこの隙に、リリーナの傍へと移動すると、こっそりと声を掛ける。
「大丈夫?」
「は、はい。すみません、私が絡まれて、レンさんはそれから守ってくださって……そうしたら、突然あの人が現れて、あっという間に」
「そう。じゃあ、報酬を渡さないとね。うちの大切な労働者を守って貰ったんだから」
アルスはリリーナに先に雀荘に入っているように告げると、フェルナンドに向けて声を掛けた。
「フェーさん。ほら、中入りなよ。軽いもの作ってあげるから」
「マジっすか! あざーっす!」
「またお腹空いたから来ちゃったんでしょ。もう、仕方ないんだから」
アルスとフェルナンドの関係は、食事を与える者と与えられる者。
すなわち、フェルナンドは腹が空くと、アルスを頼ってふらりと訪れる。
その代わり、アルスに調査を依頼されれば、それを必ず完遂する。そういう雇用者と被雇用者の関係でもある。
スレンに興味を失ったフェルナンドは彼をぽいっと投げ捨てると、そのまま助かったという表情で雀荘に入っていった。アルスはしりもちをついたスレンに礼を言うと、雀荘に入り、厨房へと入って、エプロンを身に着けた。




